淫魔族の運命
ルシアが大声を上げたせいだろう。
淫魔族たちがいっぱい出てきた。
手には錆びた剣や包丁、角材などの武器を持っている。
心地よい殺気だ。
仲間を救うために自分より強い相手に向かっていこうとしている。
「みんな、待って、この人は――」
「ルシア姉ちゃんから離れろ!」
一人の少年がナイフで俺に切りかかってきた。ルシアに似ているから、たぶん弟だろう。
俺は少年のナイフを二本の指で受け止めた。
「待って、ロイ! 違うから! お願い、武器を下ろして! 私はただ驚いただけだから――ち、違うのです、陛下。これは反逆行為ではなく――」
陛下という言葉に、淫魔族の皆も俺の正体に気付いたのだろう。
「え……陛下?」
俺に切りかかってきた少年も己の過ちに気付き、武器をその場に落として、両膝を地面に付く。
「申し訳ありません、陛下。どうかお許しを――」
「いきなり斬りかかってきたのは許せないが、突然アポも無しに君達の居住区を訪れた俺の方も悪かった。普段通りにしてくれ――というのは無理な話かもしれないが、俺たちは多少の無礼で罰したりするつもりはないと言うことは理解してほしい」
淫魔族の間から少し緊張が和らいだと思う。
「陛下、こちらにどうぞお越しください。案内いたします」
「ちょっと、ローリエ……陛下をまさかあそこに連れていくの!? 陛下が気を悪くなさったら――」
「いいの。むしろ、陛下に見て頂きたいの。淫魔族の現状を――」
なんだろう?
俺たちはセーフハウスの中に入った。
セーフハウスは大きな洋館だった。
金持ちの家みたいだ。
場違いな感じがする。
「襲われたりしないか?」
「歓楽街を仕切っている顔役の鰐人族の親分の縄張りですので、襲われる心配はありません」
ルシアが説明をした。
日本の薄い本だと、庇護してやる見返りに身体を要求してきそうだが、そもそも鰐人族の美的感覚は人間や淫魔族と異なるし、あいつら卵生だから淫魔族と子作りなんてできない。
「こちらにどうぞ」
ローリエが案内したその先には、淫魔族の大人たちがいた。彼女たちは子どもを抱いているが、男女問わず皆がガリガリに痩せていて、一体年齢もよくわからない。
「小さな子どもに精気を送っているのです。人間や獣人でいうところの授乳ですね。子どもは快楽物質を生み出すことができませんから、大人の淫魔族が子どもに精気を送る必要があります。このセーフハウスでは、年長者から順番に子どもに精気を与える役目を負っています」
「精気を送るって、もう限界だろ」
「はい。ですが、そうしないと子どもが死んでしまいます。それに若い世代の淫魔族を残さないと種が途絶えてしまいますので。世間にはあまり知られていませんが、淫魔族の平均寿命は病気や怪我などにならなければ三十五歳――亜人族の中でも極端に低いのです」
淫魔族は全員若くて美男美女が揃っていると言われていた。
美男美女が揃っているというのは理解できたが、全員若いと言われる原因はそこにあったのか。
「はぁ……ローリエが俺に忠誠を誓った理由がわかったよ」
「どういうことです?」
ルシアが尋ねた。
「ルシアさん、あんたも俺から精気を吸ってみたらわかる」
俺はそう言って彼女に手を差し出す。
「え……ですが」
「陛下の仰る通りにしなさい」
戸惑うルシアだったが、俺とローリエの言う通り、俺の手を握り精気を吸った。
そして気付いた
俺から精気を吸う時に快楽物質を送る必要がないこと。それでいて俺に全く苦痛を与えていないことに。
「淫魔族は五回までしか精気を吸うことができないが、俺相手だとその回数に関係なく、回数が無くなった者にも精気を送ることができる。ローリエは俺のことを淫魔族の食糧庫にしようとしているんだろう?」
「……はい、その通りです」
ローリエは俯き、肯定した。
彼女に必要なのは英雄王の肩書きを持つ俺ではなく、勇者の力を持つ俺だ。だから、四天王で種族の代表としての立場よりも、俺に名前を捧げることで、俺の臣下としての立場を優先させた。
俺が王の座を誰か別の者に譲ったときも傍にいられるように。
「いまは一週間に一度、ローリエに精気を送っている。だが、それを仲間の淫魔族に送ったところで、淫魔族全体の不足分の精気を賄うのは無理だろ? この現状を俺に見せたのは、不足分の精気を俺に賄わせるためか? 悪いが俺は同情心で人助けするようなお人好しじゃないぞ?」
「……はい」
「それで、ローリエは、いや、お前らは対価となる代償を支払うことはできるのか?」
「それは……」
彼女たちには答えられなかった。
代償として、種族全体を守ってもらうために何を渡せばいいのか?
ここで下手な答えを出せば、それが俺に受け入れられなければ救われない。
「そういえば、クメル・トラマンとサイショ・ムノダメの密会を報告してくれたのは淫魔族だったな。淫魔族はニブルヘイム王国中、いや、さらには人間の国にも潜入して暮らしている。その情報収集の力を俺のために使え。その情報に応じて精気を送る。とりあえず、前回の報酬としてここにいる全員に精気を送る事で契約としないか?」
「陛下、お待ちください。ここにいる全員に精気というのは、いくら陛下であっても――」
「不可能だと思うか? 俺は勇者だぞ」
それから一時間かけて、ここにいる淫魔族全員に精気を渡した。
精気って凄いな。
さっきまで子どもに精気を渡してガリガリに痩せていた淫魔族も綺麗な女性になっている。全員三十五歳前後らしいが、二十代半ばくらいにしか見えない。そして全員が美男美女だった。
その中でも絶世の美女と思われる女性二人が俺の両脇を固め、酌をしてくれる。
「陛下、ありがとうございます」
「あぁ、陛下が陛下でなければ、娼館で最大のサービスを致しますのに」
その最大のサービスというのは気になるが、しかしこうして美女たちに囲まれて酒を飲むのも悪くないな。
淫魔族の男性のうち何人かは既に自分の体内に溜め込んだ精気を王都の外の仲間に届けるべく、ここを発った。
俺が今回渡した精気があれば、淫魔族全体で分けても一年は生きていけるそうだ。
この場にいる淫魔族が己の運命が変わったことを知り喜んでいる中、一人元気のないものがいた。
俺に斬りかかってきた少年だ。
「さて、ロイといったか? 俺は寛大な人間だが、それでも王に斬りかかってきた者を無罪で許すことはできない。さっきローリエとルシアと話し合いお前の処罰について決まった」
「どのような処罰でも受け入れます」
ロイはそう言って頭を下げた。
そして――
「おーい、アイナ! 宰相候補を連れて来たぞ!」
と言って、俺はアイナにロイを差し出す。
俺が考えた罰は、ロイを宰相候補生として働かせることだった。
ローリエとルシアが言うには、ロイは真面目で頑張り屋で、そして頭がいい。
唯一欠点があるとすれば、姉であるルシアのことになると短慮な行動をすることがあるそうだが、しかし明らかに格上である空気を出していた俺に斬りかかってきたあの胆力は認める。
「本当ですか!? わぁ、可愛い女の子ですね」
「アイナ様……私は男です」
「え? でも、それ、メイド服ですよね?」
うん、まぁ、宰相候補にして馬車馬のように働かせるっていうのが俺の考えた罰だったんだが、ローリエとルシアが言うには、そんなのは罰にならないとのことで、何故かメイド服を着させて女装させることになった。
容姿が整った淫魔族だ。
女装をさせたらこれがまた凄かった。
「……恥ずかしい」
「まぁ、頑張れ」
こうして、俺は優秀な宰相候補と、諜報の得意な淫魔族の忠誠心を得たのだった。