嵐の前の静けさ
ニブルヘイム英雄国の領土は世界の半分という広大な領土であるが、しかしその国境と接する国の数は決して多くない。
まずはトーブル公国。トーブル公国はレスハイム王国の属国だ。
その南にあるのが、現在、俺たちと戦争間近のレスハイム王国。
そこから南西にあるのがモスコラ地方――現在は魔王の息子が治め、名前を変えてモスコラ魔王国。
さらに南東に俺が長年暮らしていた他民族国家アルモラン王国。
アルモラン王国の西には大砂漠と呼ばれる広大な砂漠が広がっている。
そして、トーブル公国の西には幅が数百メートルはある大河が流れていて、そこには半翼種族が狩場にしている。半翼種族はどこの国にも属さず川の中州に集落を作って生活している独立民族であり。その歌声には船を沈める力がある。そのため、ニブルヘイム英雄国からもトーブル公国からも船を出すのは非常に困難。
モスコラ魔王国の西はダークエルフが治める領地が広がっていて、現在そこからの伝令は届いていない。まぁ、あっちはあっちで魔王の就任や移民の受け入れのため、てんやわんや今すぐ戦争どころじゃないのだろう。
つまり、いま相手にしないといけないのはレスハイム王国のみ。
中でも一番重要なのが、ガーラク砦だ。
ニブルヘイム英雄国にとって守備の要となる拠点であるが、それと同時にここを奪われたら一気に前線を後退せざるを得なくなる。
ニブルヘイム英雄国は多くの戦力をガーラク砦に集中させていた。
「城内も随分と静かになったな」
「祖父から何度も聞かされましたが、戦いの前はいつもこんな感じだそうです」
「嵐の前の静けさってことか」
地図を見ながら、俺はイクサに声をかけた。
サエリア率いる魔法師団の七割、シヴが鍛えていた歩兵団の八割が出陣しているし、よく王都に謁見に来ていた貴族たちも貴族の義務を守るため、自領に戻り、兵を率いてガーラク砦に向かっている。
唯一全部隊が残っているのはイクサ率いる近衛兵たちか。
「ただ、妙なんだよな。なんでレスハイム王国は仕掛けてこないのか」
ガーラク砦の東にある、レスハイム王国のイッチ砦、バンニ砦、サードン砦にはそれぞれ多くの兵が集まっているという偵察の報告を受けている。
それもかなり前に。
既に使者が訪れて五週間が経過した。
当初予想した三週間より二週間も過ぎている。
そのお陰で、ニブルヘイム英雄国はガーラク砦に部隊を集める時間を稼ぐことができたのだが、それは逆にいえばレスハイム王国にとっては攻め時を逃したとも言える。
「何かを待っているということでしょうか?」
「そうだな。例えば、内通者がいて、手薄になったこの城を攻めてくるとか?」
「その可能性は薄いかと。この城はコアクリスタルの力が最も集まる場所。ジン様一人の力だけでも数百万の兵の力に相当します。敵もそれを理解し、攻めるとしたらサブクリスタルのある我ら四種族の里を狙うはず」
「だよな……ということは何かを待っているのか?」
一体何を?
と考えていたら、シヴが部屋に入ってきた。
「ジン様! アーマーベア狩りしてきていいですか?」
「いまは緊急事態だ。アーマーベア狩りは冒険者に任せておけ」
「冒険者ほとんどいないです! 戦争に行ってます」
「戦争に? そうか、そういう職業だったな」
冒険者っていうのは、だいたいは傭兵の副職みたいなもんだ。
戦争がないときに稼げないから、冒険者になって盗賊や魔物を退治して金を稼ぐ。
でも、戦争が起これば、国や貴族に雇われて戦いに赴く。
王都でも冒険者不足になるのは仕方ないか。
「それで、アーマーベアはどこに出るんだ?」
「北の森の五番樹の近く!」
「農村に近いな……農民に影響が出るのも時間の問題か」
残ってる兵の派遣――いや、アーマーベア一匹だけならシヴ一人で行った方が直ぐに終わるか。
「仕方ない、行ってきていいぞ。ただし、三時間で戻ってこい」
「うぅ、三時間難しいです」
シヴが自信なさげに言う。
「討伐依頼だからアーマーベアは冒険者ギルドに運ばなくてもいい。近くの農村に運んで食ってもらえ」
「でも、五番樹まではここから走っても二時間はかかるです」
「行きは俺が送ってやる。それなら可能だな?」
「可能です! 頑張るです!」
「武器は持ってるな?」
「持ってるです!」
「よし、行ってこい」
俺はシヴの頭に手を当て、魔法を唱えた。
シヴの身体が一瞬で消える。
「転移魔法――見事なお手前です」
「ああ。ようやく狙った場所に飛ばせるようになった。開戦が遅れたお陰だよ」
既にガーラク砦にも転移できるようにしている。
一度、空高く転移し、そこから見下ろす形で離れた大地に再度転移することで離れた場所にも転移できるし、一度転移してしまえば次は直接転移できる。
何かが起これば即座に俺も移動できるわけだ。
何も起こらないのが一番なんだが。
「ジン様、少しよろしいでしょうか?」
シヴが狩りに出かけてそろそろ戻ってくるかというときだった。
「ローリエか。どうした?」
「娼婦街にいる淫魔族から妙な噂を聞きましたので、お話に」
「噂?」
淫魔族の中には娼婦として体を売って働く女性も少なくない。彼女たちは快楽を相手に与えることができる種族だからだ。
そして、そういう店には様々な情報が入って来る。
ただの噂のような情報でもバカにできない。
「どういう話だ?」
「ひと月以上前、クメル・トラマンとサイショ・ムノダメが密会していたらしいです」
「あいつらが? ていうか、クメルの奴、まだ王都にいたのかよ」
「クメルはどうも王都にいる奴隷から解放された人間たちに、人間族の種族の在り方を説いていたみたいで、人間族のコミュニティネットワークを密かに築いていたみたいです」
そういえば、冒険者ギルドにいた冒険者たちも人間族同士の繋がりとかいろいろと言っていたな。
「会話の内容は?」
「すみません、そこまでは――情報の精度も確かなものではありませんし、会っていたとしても、どこで会っていたのかもわからない状況です」
「そうか……いや、助かった」
しかし、サイショとクメルが会ったのは偶然か?
あいつは王都に来て直ぐに王城に来た。本来ならば、即座に自国に戻り、開戦の準備をしないといけないはず。
それなのに時間を使ってクメルとあうメリットは――
「まさか――あいつらの狙いって!?」
「ジン様! アーマーベア倒して来ました!」
俺がある事に気付いたとき、シヴが戻ってきた。
「シヴ、イクサ、出陣の準備だ。俺たち三人でガーラク砦に赴く!」