プロローグ
高校から父親が入院している病院に向かって歩いている途中の出来事だった。
突然、俺は見知らぬ場所にいた。
壮厳な石造りの壁に覆われた、まるで中世ヨーロッパの古城の謁見の間を思わせるようなその場所だった。
周囲には豪華な装飾を施した長いローブや金の糸で縫われているマントを纏っている、日本人よりも彫の深い顔をした人たちが俺を見ていた。
目の前には台座があり、金色の腕輪が置かれている。
「おぉ、勇者よ! よくぞこの世界に参られた!」
まるでミュージカル俳優のように声高らかに叫んだのは、いかにも王様ですって感じの太ったおっさんだった。
この世界?
いま、この世界って言ったか?
質の悪い冗談だと思う。
というか、おっさんが喋った言葉は日本語じゃないのになんで理解できたんだ?
さっきから頭が痛い。
俺が頭を抱えていると――
「伝承の通りだな。勇者はこの世界に召喚されると、この世界で生きていくのに必要な知識と勇者の力が手に入るのだ」
必要な知識? 勇者の力?
意味がわからない。
意味がわからないのに、理解してしまう。
彼の言っていることは事実なのだと。
頭痛が収まったと思えば、今度は身体が熱い。
まるで自分が自分で無くなっていくかのような恐怖に呑み込まれそうになる。
勇者としての力が備わっていくってことなのか。
苦痛は永遠に続くと思われた。
周囲の人間は俺を見ているだけで、手を差し伸べようとする者は誰もいない。
そして、その時は終わった。
痛みが消えていく。
「終わったな。さて、勇者にはこれから魔王退治のためにこの地で修行に励んでもらうことになる」
「陛下、質問をすることをお許し願えないでしょうか?」
俺は恐る恐る尋ねた。
「いいだろう」
「私は元の世界に戻れるのでしょうか?」
「もちろん可能だ。其方が魔王を倒したその時には、元の世界に帰すつもりだ。むろん、褒美も取らせる」
「ありがとうございます」
確信した。
このままここにいてはいけないと。
「それとお許しいただけるのでしたら、陛下の話を聞く前に少し休憩させていただけないでしょうか? 先ほどから頭が痛く、集中できないのです。陛下の有難いお言葉を賜るのにこの状態では不敬極まることでしょう。どうか、しばしの休息を――」
「うむ、そういうことならば仕方がない。誰か、勇者様を休める場所に案内して差し上げろ」
というと、兵士の一人が俺を案内してくれた。
俺は頭が痛い素振りをして礼を言い、謁見の間を去る。
そして、長い時間歩かされる。
頭が痛いと言っているのに、なんで近くの部屋ではなく螺旋階段を登らされるのだろうか?
「どうぞ。中のものはご自由にお使いください」
用意された部屋もかなり豪華な造りだった。
調度品一個売るだけでもかなりの金になりそうな気がする。
そして窓の外を見る。
そこは尖塔の一番上の部屋だった。
誰かを休ませるための部屋ではない。
造りは豪華だが、これはむしろ牢獄だ。
俺はここからどう逃げ出すか思案する。そう、逃げるのは確定だ。
王はもちろん、周囲の人間は信用ならない。
彼は知らなかったのだろう。
勇者に与えられるという知識について。
例えば、召喚されたとき、目の前の台座に置かれていた腕輪は隷属の腕輪といい、それを付けた相手を言いなりにする魔道具だった。主に奴隷などに対して使われる。
俺はそれを知識として得ていた。
だが、それを見ただけで王様の信用が下がったわけではない。
召喚された人間が極悪人であったり、性格に難ある相手だと思ったら無理やりにでも隷属の腕輪を着けさせて使役しようとするのは保険としてありだろう。
問題は俺の質問に対する答えだ。
魔王を倒したら俺を元の世界に帰すと言ったときの王の目は嘘を吐いてる目だった。
帰さずに別の仕事を押し付けるのか、それとも帰す方法を知らないのかはわからない。
あそこでしつこく質問するようなら、下手したら無理やりにでも隷属の腕輪を着けられていただろう。
それをしなかったのは、勇者の力を恐れているからかもしれない。
(さて――)
外に見張りが二人。さらに下にもう二人の気配がする。
入ってきた扉から出て外にいる二人を昏倒させても騒ぎになったら出口を塞がれる。
俺は窓を開けた。
マンションの五階くらいの高さ。
高さ十五メートル。
普通なら落ちたら大怪我を負うか、もしくは死ぬ。
だが、知識として得た勇者の力ならば大丈夫なはずだ。
このくらいの高さからなら落ちても死なないし、さらに十メートルは先にある城壁に跳び移ることだってできるはず。
逃げた先のことを考えると、先立つものは必要だ。
振り返って部屋を見る。
壺や絵画などの調度品、ベッド。
幸い、中の物は自由に使ってもいいと言葉を貰っている。
試しにガラスの水差しを手に持ち、この世界に召喚されたときに得た能力を試してみる。
思い浮かべるのは見えない穴。
そこに水差しを入れるイメージで前に突き出すと、水差しが俺の思い浮かべた実際には何も見えない穴の中に入っていく。
【次元収納】
別の空間に無限に物を入れることができる能力だ。
俺は部屋にあるものを手当たり次第に中に入れる。
そして、全て収納し終えたところで、俺は窓枠に手を掛けた。
外は昼。
さすがに窓から飛び降りて誰にも発見されない程、ここの警備体制は甘くないだろう。
それになにより、怖い。
決断するまでに数分の時間を要した。
だが、決断してからは早かった。
俺は部屋の隅まで助走し、窓枠に足を掛けると、大きく跳躍し、尖塔より遥か先にある城壁の上に飛び移ることに成功した。
が当然、城壁の櫓で見張っていた兵に見つかり、鐘を鳴らされる。
「勇者が逃げたぞ」と言う声が聞こえてきたので、俺は慌ててそこから飛び降りて王都の中へと逃げだした。
こうして、俺――邦来仁の異世界の生活は始まった。
※ ※ ※
普通、フィクションの物語ではこの後、困難と立ち向かったり、大切な仲間ができたり、巨悪と戦ったりするのだろう。
だが、そんなことにはならず、既に五年の時間が流れていた。
俺は召喚された国から離れた多民族国家アルモランで、「ジン」と名乗って生活をしている。
砂埃の舞う砂漠地帯のこの国は、多くの人種が生活をしているため異世界人の俺でも目立たずに生活ができる。
勇者の力のお陰で仕事にも困っていない。
仕事の傍ら、元の世界に戻る方法も調べているのだが、五年経った今でもそちらは全然わからない。
「よぉ、ジン! 隣のミランダちゃんに告白して振られたんだ! 愚痴を聞いてくれ――ん? 相変わらず調べものか?」
酒場で葡萄酒を飲みながら本を読んでいる俺に声を掛けてきたのは蜥蜴人族のダルクだ。
蜥蜴人族というのは人よりも少し大きい、二本足で立つトカゲのような生物なのだが、人と同じで言葉も喋れるし、服だって着ている。
俺を召喚したレスハイム王国では魔物と呼ばれて忌み嫌われているが、アルモランでは人権も認められ、他の種族と同様の生活を送っている。あの時隷属の腕輪を装備していたら、ダルクのような罪のない蜥蜴人族も殺していたのだろうと思うと、あの時即座に逃げ出したのは英断だったと思う。
「転移魔法について調べてたんだ。どうだ? 何かいい情報があったらエール一杯奢ってやるぞ」
「転移魔法ねぇ――失われた古代の魔法だろ? そうだ! いい情報があるぞ!」
「本当か?」
「ああ、転移魔法が存在したっていう古代の時代の遺跡ダンジョンが発見されたんだ」
「遺跡ダンジョンか」
ダンジョンというのは、魔物が湧き出る瘴気が集まるスポット的な場所だ。魔物といっても、人に近い蜥蜴人族のような種族ではなく、獣に近い駆除対象となるものだ。
遺跡ダンジョンとは、ダンジョン化している遺跡のことで、最近発見されたものなら古代の財宝等が眠っている可能性もある。
「場所は?」
「おっと、続きはエールを奢ってもらってからだ」
「ああ。白蟻炒めもサービスしてやろう」
「お、いいねぇ。ジンも一緒に食うか?」
「俺はパスだ」
白蟻炒めは文字通り白蟻を塩で炒めただけの料理だが、蜥蜴人族だけでなく人間にも人気の料理だったりする。
一度、賭けに負けて食べさせられたことがある。正直、美味しかったがそれでも見た目が本当に白蟻なので、見る分にはいいが、食べたいとは思わない。
注文したら早速テーブルに運ばれてきたので、ダルクは早速白蟻炒めを素手で掴んで食べ、それをエールで流し込む。
「かぁぁぁ、疲れた身体に塩分と酒精が染み渡る。本当に蜥蜴人族が過ごしやすいのはこの国くらいだよ」
ダルクが喉を鳴らして喜びを表現する。
「魔王の領土はダメなのか?」
ここから西に少し行けばもう魔王の領土だ。
魔王国とも呼ばれている。
「ジンには言ってなかったか。俺は魔王国の出身なんだよ」
ダルクは苦虫を噛み潰したような表情で白蟻を噛み潰して言った。
「確かに蜥蜴人族の集落はいくつかあるが、隠れ里のようなもんだよ。魔王に認められていない種族は捕まって戦闘奴隷にされるか、遊び半分に殺されるのがオチだ。兄貴も奴隷狩りに捕まって帰って来なかった。それで俺たちの一族は魔王領から逃げ出す決心をしたんだが。国境を越えるときに大半が死んだよ」
と言ってダルクはもう一度エールを飲む。
魔王の悪い噂は何度も聞くが、当事者の話を聞くとやっぱり思うところがある。
魔王の目的が世界征服だというのなら、いつか戦わないといけない日もあるだろう。
それが敵とも言えるレスハイム国王に利することになっても。
「なぁ、ダルク。それで例の話だが――」
「そうなんだ。ミランダちゃん、いま別のオスの卵を生んでいるから俺のための卵は生めないって――」
「そうじゃねぇ! 遺跡ダンジョンの話だ」
「あぁ、そっちか。ほら、南西の王家の墓あっただろ?」
「王家の墓って、盗掘されまくって何も残ってない廃墟だろ?」
「そこに隠し通路が見つかって、その奥がダンジョン化しているって話なんだ。発見者は早々に逃げ出してギルドに報告してな。それで冒険者の何人かが調査に向かったが、調査隊は壊滅。九人が死んで一人がなんとか逃げ帰った。それでわかったのが、古代の遺跡ダンジョンだってことだけ」
冒険者というのは、いわば戦いに関する何でも屋のことだ。
調査隊の冒険者といえば凄腕の傭兵レベルの者たちだが、それが壊滅状態か。
間違いなく高難易度ダンジョンだな。
だったら、墓荒らしを免れ、遺跡の財宝がそのまま存在する可能性も高い。
「それと、これはあくまで伝承なんだが、王家の墓の奥には、どんな願いでも叶えてくれる魔神が封印されているって話がある。もしかしたら、その遺跡ダンジョンの奥にその魔神が封印されているのかもしれないな」
「それは面白そうだ。ちょっと行って来るよ。ダルク、もし俺が留守の間にチビが帰ってきたら」
「餌くらいは恵んでやるよ」
「ありがとうな」
俺はダルクに礼を言い、その遺跡ダンジョンに行く準備をした。
どんな願いでも叶えてくれる魔神――もしもそんなのが本当にいるのだとすれば、元の世界に戻れるかもしれない。
そんな淡い期待を抱いて。
新作です。今夜、もう一話更新します。
応援としてお気に入り登録と評価を頂けると大変励みになります。
一章完結まで毎日更新予定。