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DESIRE 2031  作者: 亜墨紫蘭
エピソード1.眠らぬ街の不死者たち
9/9

エピローグ

そこは四階建てのビルの一階で、シンプルだが洒落た外装をしていた。「OPEN」の掛札と、ライトに上から照らされた立看板。「Soiree」と筆記体記された金色の文字に出迎えられながら、由良は黒い扉に手をかけた。ふわりと甘い匂いが鼻先をくすぐる。


「いらっしゃ――あら、椿さん!」


甘く柔らかな声が飛んでくる。白いボブを揺らし、小夜子の杏色の瞳が由良を見て微笑んだ。カウンター席には記憶にある姿が見えた。グレーのスーツで眼鏡の、由良からすれば「不思議と印象に残りづらい顔立ち」こそが最大の特徴の伊吹暁。彼は立ち上がると「……もう、我々とは関わり合いになりたくないかと思っていました」と言った。

「先日の一件は本当に……」

「事件は解決しましたし、関わりたくないなんてそんなことはありませんよ。それより、彼女……金剛さんの具合はどうですか?」

「じき退院できます」

「……そうですか、良かった」

他に客の姿はない。内装は上品で洒落ているし、店主は人を惹きつける魅力がある。立地が良ければ流行りそうに思えたが、彼女は今のままで良いと思っていそうだ。

「貴女こそ大丈夫ですか? 背中を斬られたと聞きましたが……」

「明日から復帰です」

カウンター席の一番端には、山城秋成の姿がある。目が合うと、軽く会釈して応じてくれた。テーブルにはトニックウォーターの瓶とグラス、そしてミントアイスとブラウニーが盛られた皿がある。影になって見えづらいが、腰の辺りにあの黒い刀を下げていた。

「私も彼と同じデザート盛りを頂きたいのですが」

「椿さん、チョコミント平気な人なのね。ご注文承りました、少しお待ちくださいね」

彼女はそう言ってタブレット端末を操作した。カウンターの奥には扉があり、そちらが厨房になっている構造であるようだ。扉の向こうから微かに足音が聞こえる。

「飲み物はサービスさせてもらいますね」

「小夜子さん、いいんですよ。私はそれが仕事ですから。それに……その、ほとんどは山城さんが」

「いいのよ」

小夜子はそう言ってカウンターから身を乗り出し、耳元で囁いた。

「山城君を撃たないでくれて、ありがとう。私たちなかなか死ねないから……そういうのやっちゃう時があるの」

「誰が相手だって私はそうした。安い言葉かもしれないけど……死なないからと言ってあなたたちを撃つのは、私にとっては正義じゃない」

僅かな感情の揺らぎが、吐息になって漏れる。花の香りと妖艶な微笑みに隠された彼女の素顔が、ほんの一瞬だけ見えたような気がした。


「お待たせしました、チョコミントアイスプレー……ト…………」


そんなやりとりの最中、カウンター奥の扉が開き、そろそろと女性が顔を出した。人のことは言えないが、女性にしては背が高い。長い茶髪を高い位置でシニヨンにして結い上げ、前髪を切り揃えて額に流している。目鼻立ちがくっきりとした化粧映えしそうな顔であったが、化粧は限りなく控え目だ。


「お、おおおおお取り込み中でしたね、失礼しま……」

「いいのよリリィちゃん! 内緒話は終わり。それに貴女のこと紹介しなきゃって思ってたのよ」


声を聞いて思い出した――あの時、金剛玉藻と共に殺されそうになっていた彼女だ。髪型が変わっていたので、一瞬分からなかった。しかし、自信のなさげな声はよく記憶に残っている。デザートプレートを由良の前に置くと、小夜子に肩を叩かれて促され、彼女は深々と頭を下げた。


「――お久しぶりです……あの、以前はとても、お世話になりました」

「どうしたの。前の会社は?」

「何だか居づらくて……それに、あんまり人間関係が楽しく無かったので、辞めたんです。それで、職業安定所に通ってたら、バスで小夜子さんとたまたま会って」

「そう! ヘッドハントしたの」

「まだ、名前も名乗ってなかったですね。北上璃々衣といいます。……あ、あの。デザートの味……どうですか?」


ネームプレートを指で指し示し、彼女は深々と頭を下げる。言動の随所に自信のなさが垣間見えるが、礼儀正しい子だ。スプーンを手に取り、アイスとブラウニーを一口ずつ口に運ぶ。どちらも手作りのようで、甘さを抑えたミントアイスと、対照的に甘みを強くしたブラウニーの味は上手く調和していた。

「……美味しい。今度同僚も連れてくる。アイツ、ミント苦手だけど、これを食べたら手のひら返すと思う」

ふと気付けば、山城がじっと北上璃々衣に視線を注いでいた。彼は「良かったな」と呟いた。すると北上の瞳から突然、ぶわっと涙が溢れ出す。

「良かったです、本当に……ふぇぇ……ちょっと、ちょっとすみません。すぐ戻ります。戻ったらあの、他にもおいしいの、作り、ますから」

小夜子が何か言葉をかけたそうにしていたが、北上の方が早かった。入ってきた扉にそそくさととんぼ返りし、バタンと音を立てノブが跳ね上がる。


「……俺が泣かせたみたいじゃないか?」

「そうね」

「そうだな」

「……」

「悪い意味で泣かせた訳じゃないですから、良いのでは?」

「…………」


腑に落ちない顔をされたので、フォローにはならなかったらしい。気まずそうな顔をして、山城は席を立つ。いつの間にか、彼のデザートプレートもグラスも空になっていた。


「もう行くの?」

「ああ」

「――行ってらっしゃい」


短いやり取りだったが、それ以上の言葉はいらないのだろう。開いた扉から温い空気が入り込んできたが、それも一瞬のことであった。そこで由良は、彼に渡さなければならないものがあったことを思い出し、少し席を外すと告げ外に飛び出した。微かな残り香を掻き消すように、煙草の煙の匂いが漂っている。すぐに見つかった。路地裏を歩く後姿が見える。

「待って!」

声をかけると気付いて振り返ってくれた。今日は月のない曇った夜だったが、どこからか届く街の灯りと煙草の火で、ぼんやりと顔が見えた。


「……その、何て言うか……無茶をさせたと思った。ごめんなさい」

「謝る必要はない。慣れている、気にするな」


由良は小さなビニール袋に入れられた、金の小さな十字のネックレスを取り出して差し出した。「串刺し公」――本名は「鹿島聖」という名だった――の塵から見つかったものだ。彼が特定の宗教を信仰している痕跡は見つからず、持ち主の可能性が高いのはそれ以外の事件関係者になる。山城ではなく、金剛玉藻の可能性もあるのだが、由良は直感で彼の方だと思っている。どうやら正解のようで、山城は「……探してた」と呟き、ネックレスを受け取った。

「貴方の?」

「……姉の遺品なんだ。奴に奪われて、捨てられたかと思っていた。ありがとう。大事なものだ」

山城は細い鎖を首にかける。それは真夏だというのに堅苦しく着こなした襟元に隠れ、見えなくなってしまった。


「じゃあ、俺はこれで」

「またどこかで」

「ああ。君は死ぬなよ。命はひとつきりなんだから」


あなたも、という言葉を飲み込んだ。彼は誰に言われようが、命を投げ出すことを躊躇いはしないのだろう。彼なりの正義のかたちに、刹那の邂逅を交わしただけの由良が口出しするのは、どうも躊躇われた。

――それでも、彼らに傷付いて欲しくないと思ってしまうのは、止められない。

言語化できない複雑な感情を胸の奥に押し込むと、踵を揃え、背筋を伸ばし、敬礼する。彼は「よしてくれ」と少し照れたように言うと背を向け、歩き始めた。長身が闇の中に消えて行く。由良も踵を返して、店へと向かって歩き出した。


西の空の端に僅かに赤色の残滓を滲ませて、夜の帳が下りる。その深くなってゆく青々とした闇の中、人の営みが細々と絶えぬ未だ眠らない街の夜が更けていく。



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