第5話
「刑事さんかな? 運が良いね、廃倉庫なんて持て余すくらいあるのにさ」
男――「串刺し公」は肩に刀のような刃物を担いで笑う。持ち手も刀身も、塗り潰したような艶のない黒で、薄暗い倉庫の中により黒く、禍々しいシルエットを落としていた。
「どっちを助けに来たの?」
痛む身体を引きずるように動かして、二人の前に陣取る。
雷鳴が遠くで聞こえたと思ったら、瞬く間に雨が降って来た。天井を叩きつけるように打ち据える雨は、豪雨や夕立などという名前では生温いような勢いで、嵐のような轟音を立てる。射し込む明かりが薄くなり、より白く煌々と光る瞳を目前に、由良は男を睨んだ。男は巻きこまれたと思わしき女に視線を向けると、彼女はもう声を上げる様子もないようで、ただ縮こまって震えた。
「さっきどうして、って言ったよね。僕は殺しが好き。元々そうだったのかは分からない。けど最初の一人は同化者になってからだよ。君は、どっちが先だと思う?」
男は整った顔を少女――金剛玉藻の方に向けた。彼女は唇を真一文字に引き結び、無表情だったが、不意にそれを揺るがせた。侮蔑と憐憫。まだ十代の少女にはとても似つかわしくない、残酷な表情。男はそれを見て鼻で笑った。
「つまんないなぁ。死なない騎士様たちに守られて、性格まで王女様気分?」
「オマエが不愉快なだけよ。」
少女は、心底うんざりしたような声で返した後、
「――まぁ、悪い気はしないわ。お義父様も沢山遺産を用意してくださったし、良い学校にも通えてる。友達も沢山いるわ。『死なない騎士様』達も、皆優しくてかっこいいのよ。オマエより余程満たされてると思うわ」
純真無垢とは程遠い表情と声で笑った。それを見て、男が一瞬だけ不快そうに眉根を寄せたのを、由良は見逃さなかった。
「……誰か一人だけ助けてあげるって言ったらどうする?」
「嘘。信じられない」
「信じるか信じないかは君達で決めなよ。あと3分待ってあげる」
刀を降ろし、彼は悠然とした足取りで歩いていくと、壁に背を預けて寄りかかった。右手首の時計に視線を落とし、「はい、スタート」と無邪気な声を投げかける。
外道め、と罵声のひとつでも浴びせかけてやりたいが、そうしても意味がないことは明白だ。行き場のない感情が全身を駆け巡っているのを感じたが、そんな感覚も流れ出る血と痛みと一緒に徐々に消え失せてしまいそうなのが分かる。女がよたよたと由良に近付いてくると、ハンカチを取り出して肩を支えながら、背中にそれを当てがった。
「……いいのよ」
「よくない、です」
泣きそうな声だったがしっかしりた意志を感じた。まだ震えている。無理もない。まだ自分の右手には銃がある。うまく使えるだろうか。音声は支援要請として届くだろうか。残された時間が自らの生命の期限と頭の隅で理解しながら、由良はひとつ息を吐いた。答えを出したと見せかけて――隙を見て一撃で仕留めればあるいは。
「ねぇ」
少女がよく通る声で言った。
「決まった?まだ1分半だよ」
「それはいいけど――その時計、高そうね。知ってるわ、いいブランドのものよ」
そう呟いた少女の唇が微かに弧を描く。その刹那、今までとは比べ物にならない程の寒気が全身を突き抜けた。さながら氷水を首筋から流し込まれたような――少女の笑みを見たから? いや、違う。もう一つ気配があった。
空を切る音がして、続いて何かが落ちた。男が刀を取り落とし、右手首を押さえて呻いている。その足元に、彼女の言う通りの高そうな時計がちぎれて転がっていた。
激しい雷雨が空を明滅させ、その光を受けて人影が倉庫の中に投影される。佇む長身の左袖の辺りに、細く光を反射する紐状のものが戻っていくのを由良は見た。それと入れ替わりに何かが投擲される。男に突き刺さり、壁と縫い付けた物体は1mほどの鉄パイプであった。
「きっちり揃えて返してやろうと思ったが、道中で一本しか見つからなかった」
「意趣返しのつもり?」
男が鉄パイプを引き抜く。その穴が植物の蔓のようなもので塞がっていくのを由良は見た。同じものを目にしたであろうもう一人の男は「末期症状か」と呟く。
「もう身体中が『生命の樹』に侵されている。だが治療薬があればもう少し猶予がある、最後に人として裁かれる気はないか」
「どうせ死ぬなら、やりたいことやって死ぬよ」
「――そうか」
彼は漆黒のスーツ姿で、頭から爪先まで雨に濡れていた――山城秋成が、自分を殺した者の元へ戻ってきたのだ。