第2話
スクリーン前に立ったのは眼鏡をかけた男だった。大学生ぐらいの歳に見える。グレーのスーツ。顔立ちは整ってはいると思うが、抜きんでた特徴はない。不思議と印象が残らない顔立ちだ。色の抜け落ちたような白い髪で、深い赤の瞳をしている。また白髪か、と思った。由良の隣では、霞が小難しい顔をして腕と脚を組んでいた。
「知らない顔が現れて大変困惑しているでしょうが、ご了承いただきたく思います。この度、この事件に関してある程度の説明をさせていただきます。対同化者機関『セフィラ』の代表、伊吹暁と申します」
首から下げられたパスを見て、古めかしささえ感じる名前だと思った。人のことは言えないが――対同化者を謳う組織は複数ある。他の国民の安全の為に、政府の許可を受けて「同化者」の駆除、オブラートに包まない言い方をすれば「殺し」が許される組織だ。自衛隊と警察を除けば決して多くなく、許可を得ているその殆どが民間軍事企業の類だ。セフィラ、という名は聞き覚えがない。古すぎるか、新しすぎるかのどちらかか。
「時間が惜しいのでさっそくですが説明を始めたいと思います。質問がありましたら、遮って聞いていただいて結構です」
伊吹は明瞭な声ではきはきと喋る。同時に、話の途中に割って入らせないようなふるまいにも見えた。
「昨夜11時、インターネット上にある動画と画像がアップロードされました。それとほぼ同時刻、私の携帯電話宛てに同じものが送信されています。送り主は……金剛玉藻、という16歳の少女になります。我々セフィラ、及び警察関連組織において身柄を保護し、護衛している少女です。動画と画像は、お手元のタブレット端末に資料と一緒に配布しましたので、各自ご覧いただければと思います」
……そう言えばまだ資料に目を通していなかった。事件現場からあの青年を救急車に乗せたあと、捜査会議がすぐ始まると言われてここに直行していた。文字の羅列をスクロールして飛ばし、目当ての画像を見つける。
椅子の上に、うなだれるようにして少女が座っている。逆光で顔がよく見えない。修道女のようなワンピースを細身の体に纏っていた。椅子の脚からは鎖が伸びていて、少女の白いソックスの細い足首に繋がっている。一種のサブカルチャー的なアート写真にも思えるが、そんな呑気な考えを抱いた者はここにはいないだろう。
「拉致監禁の可能性が高いですが、身代金の要求は今のところありません。動画の方は、彼女の護衛にあたっていたセフィラの構成員、山城秋成が暴行を受けている45秒の動画です。その者が、今朝無人の倉庫で発見された他殺遺体と同一人物になります。撮影の後にトドメを刺したのと思われますね。ネット上のものはどちらも削除されましたが、既に拡散しつつあります。サイバー犯罪担当部署で、引き続き対処をお願いしたいです」
「誘拐事件なんですよね? どうして、対同化者機関が捜査に絡むのでしょうか」
年配の刑事がそう尋ねた。
「狂花症、皆さまもご存じかと思います。『生命の樹』の粒子を取り込むことで引き起こされる遅延性の病気……その特効薬である血液製剤、それが彼女の血液から精製されています。彼女の代わりは存在しません。彼女が不在の場合の、特効薬のストックは三ヶ月です」
にわかに部屋が慌ただしくなる。
「三カ月だって!?」
「他に適合者はいないのか?」
「警護の者は何をやっていたんだ」
「これは隠蔽じゃないのか?」
「――落ち着いていただけますでしょうか! 順次お答えしますので」
伊吹が僅かに声を荒げるその直前に、彼が小さく舌打ちしたのを由良は見逃さなかった。冷静ぶっているが、内心は穏やかじゃない。焦りと憤りが見える。
「現段階、狂花症に効くのは彼女の血液のみです。全国的に適合者を探してはおりますがそれも見つかってはおりません。警護ですが――学校では学校の警備員が、私生活では我々が担当しております。警備の都合上、進んで表沙汰にはしていませんが、隠していたわけではありません。我々も充分留意していたのですが、及ばなかったようです。それに関しては謝罪させていただきます。ですが、我々を叱責するのは後にしていただけると助かります。時間がないことはお分かりいただけたでしょうから」
目前の危機を突き付けて黙らせる。上手いやり方だと思った。同化者による猟奇事件が増えた昨今、彼らの脅威は警察も嫌というほど知っている。事態は急を要している。黙らざるを得ないのだ。
「つきましては、我々セフィラも加わりまして、早期解決の為の捜査に協力させていただきたいと思います。暴行された者の回復を待って話を聞きますので、その際はすぐにお伝えします。彼はおそらく犯人を見ているでしょうから」
真ん中辺りに座っている科捜研所属らしき白衣が、手を挙げて問いかけた。
「暴行された被害者と他殺遺体が同一なら、回復を待ってというのは矛盾します。遺体が蘇生したと聞きましたが、現場での確認に不備があったと?」
「いえ。我々セフィラは、金剛玉藻を除き『不死者』で構成されています。2012年に生命の樹に呑まれながらも、不死の身体を得て帰って来た者たちです。よって、どちらも事実に相違ありません」
我々は都市伝説ではないのですよ。
そう言って男は赤い目を細めた。