17話 淡雪の花
ハーブ園へ向かうと人影がなく、耕したばかりの畑にもいない。
ちょっと目を離した隙に見失ってしまった。
「ノズ先生、どこですかぁ? ノズせんせー!」
それほど遠くへは行っていないはずだ。
辺りを見渡し耳を澄ましてみると、更に奥にある小川のせせらぎが聞こえる。
あ、そういえば!
ララは翡翠の泉を思い出す。
泉の手前に淡雪の花畑があった。
そうだ、ノズ先生は水辺の近くに植えようとしているのかも!
畑から小川へ向かうには、月桂樹やオリーブの木々を抜けて行く。
カンファンス家の庭園で特に日当りの良いこの場所は、冬でも穏やかでハーブや木々にとっての楽園だ。
夏になると、パワフルな生命力が一斉に溢れ出す。
今はまだ春の始まり。
枝のあちらこちらに綺麗な薄緑色の新芽が顔を出している。
枝の隙間から辺りを伺うとしゃがむノズ爺の背中が見える。
思った通りだ。
声を掛けようと身を伸ばす瞬間、不意に肩を叩かる。
驚きで体がビクッと跳ね、口を開けたまま勢い良く振り向くと、ホーリーが笑いを堪えるいる。
「ごめんね、驚かせた?」
「お兄様! も~、びっくりしたぁ」
「ははは、ごめんごめん。 ララが戻って来た気配がしたので研究所から外に出ていたんだ」
「もー! 近くにいたなんて、全然分からなかった! お兄様は気配を消していたの!?」
「はははは。 ララのびっくりした顔、可愛かったよ」
「ホーリー様、ちい姫様! こちらへ来ていただけますかな」
つい大きな声で話をするふたりにノズ爺から声が掛かると、ララの前に出たホーリーが手を差し出す。
太い木の根が這う地面は足場が悪い。
繋いだ手は温かくほっとする。
ホーリーはいつも、ララを護る騎士だ。
木々を抜けると急に拓け、射す光の眩しさに目を細める。
目の前には小川沿いに細長く続く平坦な場所。
そこだけ草木がなく、ぽっかりと空いている。
ノズ爺は道具箱を傍らに置き、直接土を触り土壌の状態を確かめている。
「淡雪の花は水を好むので、この辺りが良いかのぅ、ホーリー様」
「淡雪の花だって?」
「ノズ先生、淡雪のお花は翡翠の泉の手前に咲いていたよ」
「ララ、翡翠の泉まで行って来たのかい?」
「うん、お兄様。 泉は綺麗だった! このお花がいっぱい咲いている所も素敵だったの! みんなに見せてあげたいな〜」
「そうか。 ララには後でゆっくり森の話を教えてもらおう。 まずはその花を植える場所か」
ホーリーはノズ爺から花を渡され、じっくりと観察を始める。
ララに向けていた柔らかい表情が一変する。
近くの木株に座り、ララは瞼を閉じる。
ふたりの話はすぐには終わらない。
いつもそうだ。
お話の間、ちょっぴり目を閉じてても良いよね……。
◇◇◇
「なんて事だ。 初めてひとりで森へ行き、持って帰って来たのが淡雪の花とは」
「翡翠の泉まで行ったようですが実際にあるんですなぁ……」
「書物には出てくるが、翡翠の泉にたどり着いた者はいないのではないか? しかもそこにこの花が咲いているとは」
「ちい姫様は淡雪の花について、何も知らないのじゃろう」
ホーリーはノズ爺と目を合わせるがすぐに逸し、言葉を飲み込む。
話そうとするが、なかなか言葉にならない。
何度目かにやっと絞り出た声は、自分のものとは思えぬほど低く重い。
「知らないままでは済まされないだろう」
「そうですのぅ。 無知ほど怖いものはありはしませんのぅ」
「……ララは責任ある者だ。 物事は表裏一体。 良い面ばかりではなく、どちらにも目を向けていかなくては」
淡雪の花はとても可憐、そして丈夫で繁殖力が強い。
以前は森の国や他国で生育していた様子が書物に残っているが、今では生きた花を目にする事は不可能だ。
現在手に入るのは、100年近く前に採取され乾燥保存した粉末状の物。
それは少量で疲れを取り、痛みを和らげ、睡眠を即し、生命力を高めるなど効果が高く、その希少さから奇跡の薬と言われている。
一方、甘い香りを強く抽出した生花の液は、ほんの微量で幻覚や幻聴から人を惑わす。
110年前の戦いの時代、他国では兵士の精神を狂わせ死へと誘う兵器として使われていた。
使い手の意図でどうとでもなる劇薬なのだ。
体の病を治す良い花なのか
心を病ませる悪い花なのか
答えが出ぬまま淡雪の花はある時から数を減らし、気付くと完全にこの世から消えてしまった。
それが今、僕の手の中にある。
「わしはきっと、今この花が必要なんだと思いますなぁ」
「ノズ爺」
「必要なものが必要な場所に生まれる、自然界とはそういうものですのでなぁ。 しかも聖なる森からちい姫様が持ち帰ったんじゃ」
「あぁ」
「わしのただの直感ですがな、きっと良い意味があるに違いますまい」
「……」
「わしはここでこの花を育て、先を見守りたいと思いますなぁ」
「ノズ爺……」
「ホーリー様、これはおそらくわしの最後の仕事じゃ。 ちい姫様や皆の未来のためにお力をお貸しいただけませんかのぅ」
ホーリーを見つめるノズ爺の目は力が宿り、真っ直ぐ純粋だ。
冷たい汗と強く握りしめた拳に気付き、ホーリーの心は鎮まり落ち着きを取り戻す。
これは始まりに過ぎないのだろう。
ノズ爺の言う通り、明るい未来のためであって欲しい。
信じて進もう、今日はララの誕生日なのだ。




