君の席は私の隣
気楽に読めるハッピーエンドの短編を書きたくてチャレンジしました。
楽しんでいただければ幸いです。
「フリューゲル殿下におかれましては、ご機嫌麗しく恐悦至極に存じます。」
驚きのあまり口から出た完璧でお堅い挨拶に、目の前の麗しの王子は笑顔のまま不機嫌を伝えてくる。感情表現がとても器用な方なんだなぁと場違いにも感心してしまった。容姿端麗、眉目秀麗、才色兼備……とにかく顔がいい王子様は、何をやらせてもそつなくこなすと評判の秀才だ。身分も能力も申し分ない我が国の王太子殿下が妃を探しているとあっては、国中の乙女がこぞって名乗りを上げるのもうなずける。私も名乗りを上げた令嬢の一人……だった。少なくとも先ほどまでは。
「リシュルト公爵令嬢、丁寧なあいさつをありがとう。けれど、今日は気楽なお茶会にしたいんだ。どうか貴女も、あまり畏まらずに楽しんでほしい。」
「モッタイナイお言葉アリガトウ存じマス。」
私はフリューゲル殿下になんとか返事をして、体に馴染んだカーテシーを披露すると、挨拶の列から離れて人気のない噴水付近まで移動した。私のあっさりした挨拶と速足の撤退に同伴者の母は慌てている。噴水の脇に立って、ゆっくりと波打っている水面をのぞき込むと、予想通り自分の顔が見える。水面が揺れるので鏡のようにはっきりと見える訳ではないが、自分自身を確認するには十分だ。
波打つ金髪は腰よりも長く、少々釣り目がちで気の強そうな目の中にある青色の瞳――透明感のある明るい色合いはブルートパーズのようだ――はくるりと大きい。バラ色の頬も小さなサクランボのような唇も可憐で上品、どこからどう見ても生粋のお姫様というような顔をしている。けれど、このフィリーアローゼの立場が危ういかもしれないことを、私は先ほど知ってしまった。
ことの発端はこの国の王太子であるフリューゲル殿下の婚約者を決めるお茶会に招待されたことだった。正しく公爵令嬢として育った私――フィリーアローゼ・リシュルト公爵令嬢――は王太子妃として申し分ない身分と家柄、容姿、教養を備えている事から、自分が婚約者に選ばれる事は当たり前だとつい先ほどまで思い込んでいた。周囲に当たり障りが無いように、一応他の婚約者候補がいるように装っているだけで、王子が自分を選ぶことは決定事項だと自信満々だった。そのため王子の婚約者としてふさわしいようにと、誰よりも美しく着飾って王城で開かれるお茶会に挑んだ。そして、参加者の中で一番遅いくらいに会場に着いたにも関わらず、王子が現れると当然のように一番最初に挨拶に赴いたのだった。
この国には厳しい身分制度がある。その中で王族に次ぐ最上位に君臨している公爵家の令嬢として、ある意味正しく育ってきた。付き合いのある高位貴族と王族、そして自分の家族以外はすべて自分より身分が下の取るに足らない存在だと認識していた。家で可愛がっている猫と通りを歩く人とを比べて、公爵家で飼われている分、猫の方が高位の存在だ……というような、比べられた人が聞けば眉を顰めるだけでは済まないような価値観を当たり前だと思っていたのだ。それはそれまでの教育や周囲の人々の言動の賜物であるが、その思考が不幸を招きそうな事に、突然、気づいてしまった。例によって例のごとく、王太子殿下と目が合った瞬間、前世の記憶がよみがえったのである。
戦争の無い平和な時代に生まれて、父と母、兄弟に囲まれた賑やかな生活。衣食住の保証された暮らしに恵まれ、教育を施されながら友人を作り、やがて仕事をし結婚し子どもを産んで育てて……身分こそ平民だったが穏やかで恵まれた幸せな前世の記憶。娯楽も多く、映画やドラマ、小説に漫画、ゲームにネット……たくさんの物語に触れることができた。はっきりコレと特定できる記憶があるわけでは無い。けれども、公爵令嬢、王太子の婚約者、傲慢な性格……ときたら悪役令嬢、婚約破棄、勧善懲悪……と連想できるくらいの記憶がある。ここがどのような物語の中なのかはわからない。けれど自分に役が与えられているとしたら「悪役令嬢」一択だと断言せざるを得ない。悪役令嬢が前世の記憶を取り戻して、己が運命に逆らうような物語なら良いが、もし、悪役令嬢が悪役令嬢のまま主人公の恋の障害となって、悪事を働き、断罪されるような物語ならば、フィリーアローゼの未来は暗い。
「フィリーアローゼ、いつまでここにいるつもりですか。」
母の苛立ちを含んだ声色にハッと顔を上げる。目の前に佇む母は微笑を浮かべながら顔の半分を扇に隠しているにも関わらず、私を見つめる目の色だけで苛立ちを伝えてくる。この人も王太子殿下に負けず劣らず器用な感情表現をする。もしくは、私は人の顔色を読む能力が無駄に高いのかもしれない。
「申し訳ございません、お母様。」
「あのような簡単な挨拶で済ませてしまって、他のご令嬢に殿下とお話しする機会を与えてどうするのです。」
遠目にみたら母娘で仲良くおしゃべりしているようにしか見えないだろうにこやかな表情のままで、母は不満を爆発させる。母は私が王太子殿下の婚約者になり、ゆくゆくは王太子妃となり、さらには王妃となることを夢見ているのだ。その母からしたら、先ほどの私の態度は物足りないのだろう。
「……王太子殿下があまりに素敵なので、少し気が動転してしまいました。」
「あらまぁ、それならそれを殿下にお伝えすれば、殿下も喜ばれたでしょうに。」
「申し訳ございません。次の機会にはぜひお伝えいたします。」
「そうね。それでは早速その機会を作りましょう。」
母が周囲に顔を向けると、近くにいた王宮の侍女がサッとやってきた。茶色の髪を首の上で一つにまとめた、母とそう年の変わらない女性だ。
「私たちもお茶をいただこうと思うの。席に案内いただけるかしら。」
「承知いたしました。お付き添いの方々には王妃様のテーブルをご案内しておりますが、よろしいでしょうか?」
付き添いの者は別のテーブルだと聞いて母は一瞬扇の陰で口を尖らせたが、王妃様のご意向とあっては文句など言いようが無い。
「まぁ、王妃様の……それは大変な栄誉ですこと。フィリーアローゼ、母がいなくとも粗相のないように。」
「はい。お母様。」
母と離れられることにほっと溜息をつきそうになるのを押し込めて、にこりと微笑を浮かべる。だいたい18歳にもなる娘に対しての言葉とは思えない。過保護というか、管理的というか、ようは母は私を思うがままに操りたくて、そして操ってきたのだ……今までは。先ほどまでは寸分の疑いもなく「大好きなお母様」だった彼女だが、それも今は昔。前世の記憶が戻った私からすると母は「偏った考え方のヒステリックなおばさん」でその言動には共感しがたい。
茶色の髪の侍女は母を案内するようで、もう一人、私の案内をしてくれる侍女が近づいてきた。黒い艶やかな髪を先ほどの侍女と同じように小さくまとめた20代の女性だ。王宮の侍女なのだから、彼女も爵位持ちの家の出身なのだろう。
「お嬢様、ご案内いたします。」
年上の女性が丁寧に腰を折ってくれる事に、なんだかいたたまれない気持ちになりながら、「お願いね。」とほほ笑む。身分差はめんどくさい。こちらがどんな気持ちでも、相手が年上であっても、身分が下の者に敬意を込めた言葉遣いはしてはいけない。
「あぁ、そうそう。」
先に歩き出していた母がくるりと振り返る。
「ご存じだと思うけれど、この子はリシュルト公爵令嬢ですの。それなりのお席をご用意いただいているはずよね。」
母から漏れ出す威圧感に黒髪の侍女が小さく震えるのが分かった。
「私の娘をお願いするわね。」
母はそう言って、返事も聞かずに歩き出した。黒髪の侍女は母が遠ざかるまで頭を下げたまま固まっている。母の背が庭木に隠れるのを見計らって私は黒髪の侍女に声をかけた。ハッと体を起こすと、彼女は申し訳ございませんと私にも頭を下げる。
「いいえ。母が怖がらせてしまったのでしょう。母の言うことはあまり気にしないで。」
私がそう言うと、こちらの申し訳なさが伝わったのか、黒髪の侍女は珍しいものでも見るように私の顔をマジマジと見つめた。困りながらも小さくほほ笑むと、彼女は居住まいを正して「ご案内します。」と先を歩き出した。
案内されたのは、バラの生垣が周囲を囲む丸いガゼボだった。ガゼボの中に白くて丸い大きなテーブルがあって、その周りを王太子殿下と7人の令嬢達が囲んでいる。紅茶やお菓子の甘い香りにバラの香りが足されてなんとも甘ったるい空間が出来上がっていた。
この席に選ばれなかった数多くのご令嬢たちは他の場所でお茶を振舞われているのだろう。ここには王太子殿下が交流を持ちたいと望んだ令嬢のみが案内されるのだが、その顔触れは王宮によって事前に決められていたと言っていい。
「リシュルト公爵令嬢、フィリーアローゼ様をお連れ致しました。」
侍女がそう宣言すると、王太子殿下はゆっくりと顔を上げてこちらを見た。
「やぁ、遅かったね。どうぞ座って。」
そう言って指し示されたのは出入口付近に空いていた、王太子殿下から一番遠い席だ。連れてきてくれた侍女の肩がピクリと揺れる。それを見て王太子殿下の後ろに立っていた侍従が殿下にそっとささやく。
「公爵家のご令嬢を一番末席という訳には……。」
小声で話されていようが全員に聞こえる声でそんな相談を始めた男たちの配慮の無さに舌打ちしたい気分だ。私がこの場に来ることは決まっていたのだから、それなりの席を空けておくのがお茶会の常識であり、ホスト側の仕事だ。
すでに席に座っているご令嬢たちの、特に王太子殿下の両隣に座っていた2人の令嬢の目に嘲りの色が浮かぶ。ミュンブル公爵令嬢とケルブルク伯爵令嬢。フィリーアローゼとは高位貴族のご令嬢として顔を合わせる度に嫌味の応酬を繰り返してきた仲だ。彼女たちがこんな状況を見逃すはずがない。下座に座ったとして、公爵令嬢が末席しか与えられなかったとなれば笑い種だし、上座に座ったとしても、後からやってきて席順に文句をつけるなど振る舞いが無粋だと言える。どちらに転んでも私を嘲ることができそうで、ワクワクしているのが手に取るように感じられた。
「案内ご苦労様。あなたは持ち場に戻りなさい。」
案内してくれた侍女に下がるように命じた。この場に残っていては彼女がどんなとばっちりを受けるかわからない。「何とかするから大丈夫よ」という気持ちを込めて小さく頷けば、侍女は不安げに瞳を揺らしたまま退去の礼をしてガゼボを出た。その後ろ姿を見送ってから、ヒソヒソと聞こえる声で相談をしている王太子殿下とその侍従に向き直る。
「フリューゲル殿下、皆さま、遅くなって申し訳ございません。本日は気楽な会にとのご意向お聞きしております故、こちらのお席に座らせていただきますわ。ご配慮ありがとうございます。」
「う、うん。そうか。君がそれで良いなら……。」
「もちろんですわ。」
私の言葉に王太子殿下もその侍従も、両隣のご令嬢方も意外そうに目を丸めた。確かにこれまでのフィリーアローゼならにこやかにほほ笑みながら、上座に座るご令嬢を追いやろうと言葉の限り攻撃しただろう。そのフィリーアローゼの短絡的な行動のおかげで、ミュンブル公爵令嬢とケルブルク伯爵令嬢はこれまで何度も「高圧的な令嬢に虐げられる可愛い女」を演出することに成功し、王太子殿下に庇われてきたのだ。
あっさりと上座を諦めて椅子に座ろうとしても、王太子殿下も侍従も私の為に椅子を引こうと動き出さない。豪華なドレスを着ている私は一人では椅子に座ることもできないのに。仕方なく近くに居た侍女に視線を送ると、彼女は申し訳なさそうに眉を下げ椅子に近づいた。その様子に王太子殿下と侍従はやっと椅子を引いて座らせるのは自分たちの役目だと気づいたらしく慌てて立ち上がったが遅すぎだ。
上座の二人の令嬢は扇の下で嘲笑を浮かべている。いけすかない公爵令嬢が末席をすすめられ、さらにエスコートも忘れられたのだから当然の反応だろう。私を格下と思えることが、よほど嬉しいらしい。その表情を王太子殿下に見とがめられるようなへまはしないが、フィリーアローゼには歪んだ唇がはっきり見えるように扇の位置を調整している。
今までなら、そんな顔を見せられたら我慢できずに突っかかっていただろう。公爵令嬢として、あの母に育てられたフィリーアローゼは自分が嘲りを受けるなど、かけらも許せないと思っていた。その傲慢さや我慢の無さがもっと多くの人から眉を顰められていると知りもしないで。
(あぁ、帰りたい。)
そんな風に思っても、体は座るために侍女の引いてくれた椅子の前に移動している。その間に王太子殿下は私の後ろに回った。椅子を王太子殿下に預けたのだろう、侍女はふっくらと膨らんだスカートを椅子の足に巻き込まないように、傅いて裾を整えてくれる。
(このドレスは茶会向きではなかったわ。)
デコルテラインのざっくり空いた胸元のデザインも、生地をたくさん重ねて大きく膨らませたスカートも、ダンスパーティーなら映えただろうが、昼間の茶会では着席ひとつモタモタとみっともない。ほほ笑みながらも小さなため息をついてしまいそうだった。どうせ前世の記憶が戻るなら、この茶会に出る前に戻ってきてほしかった。
「お嬢様。」
小さな声をかけられて、裾が整った事を知る。小さく頷くと椅子がぐっと押し込まれ膝裏の生地を押すのが分かる。座面が近づいて来たのを感じながらストンと腰を掛ける。私が座るとまた侍女がスカートの裾を直してくれる。
「どうも、お世話様。」
そう言って裾を直してくれた侍女に頷いてから、王太子殿下にお礼を言おうと振り返って、思わずビシリと固まった。予想していた美麗な顔でなく、整っているけれど精悍な……と言った方がいい、男らしさを感じる顔がほほ笑みを浮かべてこちらを見ている。その隣では王太子殿下が驚愕の表情を浮かべたまま固まっている。
「ギル……ベルト王弟殿下?」
「うちの甥っ子が失礼したね。リシュルト公爵令嬢。」
慌てて立ち上がろうとして、やんわりと肩を押される。素肌に触れる手の温かさが心地いい。
「せっかく座ったのだからそのままでいいよ。」
ふんわりほほ笑むその笑顔に当てられて、頬がじんわりと熱をもつ。同席のご令嬢たちも慌てて立ち上がろうとして、やんわりと手で止められた。
「今日は気楽な会なのだろう。挨拶など不要だよ。」
「叔父上、いつお帰りになったのですか?」
「昨日かな。庭を散歩していたら楽しそうな声が聞こえてね。邪魔してすまないね。」
「いえ、とんでもない。ご無事の帰城、お慶び申し上げます。ぜひ、旅のお話などお聞かせ下さい。」
堅苦しい挨拶をして、王太子殿下が頭を下げる。17歳の王太子と、22歳の王弟。身分としては王太子のほうが上なのだが、王太子教育の一翼を担ってきた王弟殿下は王太子殿下の師匠であり先生だ。そのため、王太子殿下は王弟殿下に対して丁寧な態度を崩さない。
「ありがとう。私の席は彼女の隣にしてくれるかな。」
にこやかな王弟殿下の言葉に今度こそ皆が言葉を失った。
フィリーアローゼは扇で口元を隠しながら、心の中のため息が外に漏れないように細心の注意をはらっていた。この異様な光景にテーブルを囲む面々の顔色は悪い。テーブルをはさんで反対側のフリューゲル王太子殿下の顔色もさることながら、その両隣に座るミュンブル公爵令嬢とケルブルク伯爵令嬢の顔色は真っ青だ。ひとりニコニコとほほ笑んでいるギルベルト王弟殿下が私の隣、つまり下座に座っている事がすべての元凶である。
リシュルト公爵家の人間であってもただの令嬢である私が下座に座るのとはわけが違う。いくら王太子殿下の思し召しとは言え、ベルーヘン公爵その人である王弟殿下を差し置いて上座に座ったなど、その気になればいくらでも罪に問えるほどの無礼だ。
「さて、新しいお茶も入ったことだし……どんな話をしていたの?」
そうして優し気に話しかけたギルベルト殿下の声に答える声は無い。皆助けを求めるように王太子殿下を見るだけだ。
「本日は、私の婚約者を選ぶためのお茶会でして、その、皆の趣味などを聞いていました。」
優雅さのかけらもない、厳しい家庭教師に建国の歴史について尋ねられているかのような声色でなんとかフリューゲル殿下が返事をする。みな言葉が出ないようでコクコクと首を縦に振っていた。
「そうか、趣味か。ミュンブル公爵令嬢は楽器が得意だったと記憶しているが?」
声をかけられたエマリリーナ嬢が思わずヒィっと息を呑む。名乗らずとも、家名を知られていることに、皆の顔色が青を通り越して真っ白に変わる。
「は、はい。フルートを少し嗜んでおります。」
「それは素晴らしいな。な、フリューゲル。……あ、婚約者を選ぶ公式な場なのだから殿下と呼ぶべきか。」
ギルベルト王弟殿下が私の扱いに相当怒っているらしいと気が付いて、そっと横目でギルベルト殿下の顔を盗み見る。彼は変わらぬ笑顔のままで先ほどからチクチクと王太子殿下に小さな言葉の針を刺している。それも刺さった後に爆発するタイプの針らしい。
「そんな、気楽な会と言ったのは私です。どうか、そのままお呼びください。」
「だ、そうだ。ご令嬢方、一時的な事とはいえ、王太子殿下の名を呼ぶ許可が下りたぞ。この機会にどんどん呼ぶと良い。」
ちょっとやりすぎではなかろうかと呆れた顔を隠しもせずにギルベルト殿下に向けると、ギルベルト殿下は優しいほほ笑みを浮かべながら、いたずらっ子のような瞳でこちらを流し見た。その昔のままの変わらない仕草に、少年の可愛らしさと大人の色香を感じて慌てて目をそらす。
そらした先ではピンク色の髪の令嬢が緑色の大きな瞳を瞬かせてキョトンとしていた。この場において一人異質のこの令嬢はリリアンナ・シューリンゲン伯爵令嬢。先ほどの王弟殿下の登場でうやむやになっていたが、彼女を見た瞬間(でたっ!)と思った私は悪くない。
きっと彼女は主人公だ。このカラフルな色彩の人々が暮らすこの世界でも珍しいピンクの髪色。ストロベリーブロンドなどという控えめなストロベリーではない。ドーナツにかかっているイチゴチョコぐらいミルキーピンクな髪色である。そしてエメラルドのような深い緑色の大きな瞳、小さな鼻と桃色のぷるんとした唇。庇護欲をそそる小動物系女子の極み……といった可愛らしさはフィリーアローゼとは違う種類のものだ。フィリーアローゼの人形じみた整い方とは違い、彼女の可愛らしさには生き生きとした躍動感を感じる。
「フリューゲル様とお呼びしていいってことですか?」
「そういうことだね。」
彼女がこの場の空気を読まないのは半分は彼女の資質によるものだろうけれど、あとの半分は彼女の生い立ちのせいである。彼女は今でこそ伯爵令嬢と呼ばれているが、ほんの1、2年前までは市井で庶民の暮らしをしていたというのは有名な話だ。
伯爵令嬢としての教育はまだまだ未完成で、貴族社会の中では無作法者として認識されている。何か大きな失敗をやらかした……というよりも、暗黙のルールを知らない為に起きる小さなイザコザに、高位貴族は眉をしかめている。そのためか、16歳になり、最近夜会にデビューして以降も、あまり社交界で見かけることはなかった。茶会も夜会も招待されなければ参加することはできないし、わざわざトラブルメーカーを招待したい貴族はいない。
それでも、この茶会に参加しているという事は、何者かが彼女を王太子妃に推しているのだ。大した後ろ盾も力もない者をこの場に招き入れてしまうなんて、王太子殿下の側近たちの力量が透けて見える。それとも物語の強制力でも働いているのだろうか。
「恐れ多いことにございますね。」
周りがあまりにもギルベルト王弟殿下の言葉に反応をしないので、私が助け船を出す。もう、仕返しは十分だ。この場を流して次の話題に移ろうと口を開いたが、あえなく撃墜された。
「うん?結局呼んじゃいけないってことですか?」
そこは空気読めよと突っ込みたいところを我慢して、イチゴチョコドーナツに絶対零度のほほ笑みを向ける。そこいらの貴族の令息ならば震えあがらせることもできる私の怒りのほほ笑みを真正面から見てもシューリンゲン伯爵令嬢はキョトンとしたままだ。その胆力は褒めるに値する。しかしながら、その勘の悪さはいただけない。
「う、うん。まぁ、いいよ。今日は特別、無礼講さ。シューリンゲン伯爵令嬢。」
フリューゲル王太子殿下もこの場を治めようとしているのか、王弟殿下の圧力が怖いからか気前のいいことを言っている。やめておいた方がいい。無礼講というのは秩序を守るつもりがある人たちの中でこそ使える言葉なのだ。
「無礼講かぁ~。いや、いいね。じゃあ、お言葉に甘えるとするよ。」
案の定、ギルベルト王弟殿下が不穏な言葉を吐いて立ち上がった。お茶会で出されたお茶やお菓子に口もつけずに席を外すなど、主催者の顔に泥を塗るような悪行なのだが、彼はそうするつもりらしい。そして、私も連れていくつもりらしい。黙ったまま私の手を握ると、そのまま私を立ち上がらせる。許可も取らずに女性に触れるのも、マナー違反甚だしいのだが、つい先ほど主催者であるフリューゲル王太子殿下がこの会を無礼講としてしまったので、私はそれを咎めることもできない。
「叔父上、……何を……。」
「うん?女性を大切にできない甥っ子には彼女を任せられないな。私の大事なレディだから、連れていくね。」
彼の言葉に一瞬で顔に熱が集まる。周りのご令嬢たちはキャーっと色めき立った声をあげている。ミュンブル公爵令嬢は悔しそうにハンカチを噛み締めているし、ケルブルク伯爵令嬢は真っ青になって今にも倒れそうなところを侍女に支えられている。あなたたちは王太子殿下狙いではなかったのか。
いや、意地の悪いことを言うのはやめよう。先ほどまでの私もそちら側の人間だったのだ。つまり、「王太子殿下が好き」というのは建前で、私たちは「国一番の男を手に入れた私」を目指していがみ合っていただけだ。この場において王太子殿下と王弟殿下のどちらが「国一番の男」かは言わずもがなだ。
「では、みなさん。私たちは失礼するよ。」
ギルベルト王弟殿下はそう恭しく挨拶すると、私の手をひいてガゼボを後にした。私は辞去の挨拶もできなかったが、その非礼も咎められることはない。恐るべし無礼講。
「いいなぁ。フリューゲル様より王弟殿下のほうがイケてるわ。」
心底うらやましそうなシューリンゲン伯爵令嬢の言葉がフリューゲル王太子殿下にとどめを刺したかどうかは、私には確認しようもなかった。
「久しぶりだね、フィリー。」
「ご無沙汰しております。ギルベルト王弟殿下。」
ガゼボからかなり離れると、ギルベルト王弟殿下は私の手を握るのをやめ、折り曲げた腕に手を添えさせた。低木と花壇の間に遊歩道がつくられているような中庭をエスコートしてくれるらしい。歩調もゆったりのんびりとしたものに変わる。
「やめてくれよ。他人行儀な。」
「まさか王城でギル兄様と呼ぶ訳にはいかないでしょう?」
「それでいいよ。今は周りに誰もいないし。」
そう言われて周りを見渡せば侍女は誰一人ついてきていないし、護衛も庭の端にチラリと見えるほど遠くに控えているし、声の聞こえる範囲に誰もいないというのは本当らしい。
「あら、私はしたないマネをしてしまいましたのね。これでは二人きりになっていたと謗られても反論できませんわ。」
「いいよ。しなくて。」
あっけらかんとヤンチャを言う彼にジトリとした目を向ける。彼は10年ほど前にリシュルト公爵領で療養していた期間がある。私は、遊び相手の一人だった。実際の兄より優しく頼りがいのあるギル兄様を慕い、仲の良い兄妹のように過ごしたのはいい思い出だ。会うのは10年ぶりだが、そのころから何も変わっていない。明るくて前向きで、あっけらかんとした彼の在り様はいつでも魅力的だ。子どもの頃に引き戻されてしまう。
「良いわけ無いわ。私これから婚約者を見つけなくてはいけないのよ。」
こんなことになってしまって、フリューゲル王太子殿下の婚約者に選ばれる可能性はゼロだと思っていいだろう。それはそれで、悪役令嬢役などなりたくない私はそれでいいのだが、いかんせん貴族令嬢なので結婚しないという選択肢は無い。しかも公爵令嬢など身分が高すぎて、王家か高位貴族か……ようは嫁ぎ先が限られてくる。
「まだフリューゲルの婚約者になるつもりなの?」
「……いえ、そうではありませんが。」
少し低くなったギル兄様の声につられて顔を上げると、こちらを見つめる瞳とぶつかる。王族の色であるスカイブルーの瞳と金色の星が瞬くような虹彩は涼し気に見えるはずなのに、そこに込められたおどろくほどの熱量にカッと頬が熱くなる。まるで私の事を好きみたいじゃない。その自惚れを否定できなくて、見つめ合うほどに私の顔には熱が集まってくる。私の変化に彼は満足げに目元を緩めた。
「ようやく気付いてくれた。」
そう言いながら、ギル兄様は私の赤くなった頬を大きな掌でそっと包む。その声は少しかさついていて、私の勘違いではないと証明しているみたいだ。いつの間にか二人の足は止まっている。かなり近い距離で向かい合ったままだ。
「いえ、まさか……。」
「そのまさかだよ。」
「そんなはずないわ。私、ワガママで傲慢で嫌な女でしょう?」
「誰が君にそんなことを言ったんだ?」
急に剣呑な空気をまとったギル兄様にあわてて首をふる。
「誰にも言われていないわ。自分でそう思っただけで。」
「そうかな?小さな頃の君は確かにワガママだったかもしれないが、私にとっては可愛いばかりだったし、今日久しぶりに見た君は自分の立場をよく理解して、馬鹿な甥をフォローしようと頑張る優しくて賢い女性だったよ。フィリーを好きになった私の目に間違いは無かったと嬉しくなってしまったほどだ。ほんとうにきれいになったね、フィリー。」
饒舌な彼の言葉は信じられないけれど、彼が嘘つきで無い事を私はとてもよく知っている。出会ってから毎年贈られてくる誕生日のプレゼントや新年を祝うメッセージカードや季節の花々に添えられたご機嫌伺いの手紙なんかが別の意味をもって思い出される。筆まめな人だとばかり思っていたけれど、私は彼の「特別」だったのだろうか。
「……いつから?」
私はうろたえられるだけうろたえて、取り繕うこともできずに、真っ赤な顔を彼に晒している。それを見て、彼はふっと息をはいた。その息継ぎのような仕草から案外彼も余裕などないのかもしれないと思い至る。それでも年長者として余裕ぶってくれているのだろう。ほんのりと赤くなった耳が可愛い。
「もう、ずっと前からだよ。」
そっと宝物でも撫でるみたいにギル兄様の親指が私の頬をなでる。そのくすぐったさにぴくりと体が震えるが、離してほしいとは言えない。だって、もっと触れていてほしい。
「嘘。それなら、もっと早く迎えに来てくれても良かったのではなくて?」
正直、彼が初恋の私は、婚約ができるようになる12歳の誕生日を過ぎた時に音沙汰なかったことがショックでショックでたまらなかった。王弟殿下の彼が公爵家に婚約の打診をすれば、父は喜んですぐに契約を結んだだろう。そのような話にならなかったということは、少なくともその時は眼中に無かったということだ。可愛くない恨み節をぶつけて、嫌われてしまわないかと不安がよぎるが、それでも言わずにはいられない。キュッと眉間にしわを寄せて、嘘は許さないと睨みつければ、ギル兄様は一瞬驚いたような顔をしてから、これ以上ないほどに破顔した。
「だって、君の夢があっただろう?」
「へ?」
夢とはいったい……私は彼にどんな夢を語ったというのだろうか?
「準備に手間取ったんだ。けれど、もういつでも大丈夫だから。」
「え……っと。」
「忘れちゃったの?」
ギル兄様が小首をかしげて拗ねたように聞くものだから、なんだか申し訳なくなって頷いた。私の幼い頃の夢は覚えている限りで「幸せな花嫁=最初はお父様のお嫁さんでその次はギル兄様の花嫁」だったのだけれど、そんなことをギル兄様に伝えられるほど、恋愛の手管に長けてはいなかった。
「公爵領から王都に帰る数日前、二人でピクニックしたでしょう?その時君に聞いたんだ。将来のこと、どんな風に考えているのかって。」
「全く覚えていませんわ。」
ギル兄様はある日突然やってきて、ある日突然いなくなったと記憶している。幼かったためか、どのくらいの期間一緒にいたとか、その間どんなことをしていたかとか、全く覚えていない。覚えているのは一時期毎日一緒にいたことと、彼と一緒だと楽しかったことと、彼の事が大好きだったことだけだ。
「本当に?私はずっと覚えているよ。君ははっきり『将来は王妃になるの』って答えた。」
「王妃……。」
それはきっとお母様や家庭教師の教育の賜物で、私は幼い頃から「あなたは将来王妃様になるのよ」と言い聞かされていたから。よく考えもせずに大人の言葉を真似て答えたのだろう。いくら幼いとは言え、王族に対する回答としていかがなものか。いや、待って。先ほど彼は何と言った?準備に手間取った?
「君が望むなら、いつでも王座を手に――。」
「まって、待ってくださいっ。」
私は不穏な言葉を吐きそうなギルベルト殿下に飛びついて、自分の掌で彼の口を覆った。
「あの、子どもの戯言ですから。今は全くそんなつもり無くて……、ギル兄様の花嫁になれるのであれば、平民でも構わないくらいなので、怖いことを仰らないでくださいませっ!!」
「本当に?王妃になれなくても私の元に来てくれるの?」
私の手に口元を覆われながらも、彼はもごもごと確認をする。吐息が掌に当たってこそばゆいが今はそれどころじゃない。彼が王座を狙うということは謀反を起こすということだ。
「もちろんですから、そのっ、あのっ、発言にお気をつけ下さいっ!!」
必死な私を見下ろして、やけに良い笑顔の彼は「わかった」と頷くとそっと私の手首をつかんだ。
「本当に?分かってくださいました?」
「うん。フィリーが随分私を慕ってくれていたことが分かったよ。」
そう言って彼は私の掌をペロリと舐めた。
「――――っ!!」
手を引こうにもがっちり掴まれていて取り返せない。そのまま指先と手の甲にキスを落として、彼はぐっと私を引き寄せる。ポスンっと彼の胸に頬が触れると、そのままギュッと抱きしめられた。逞しい身体から、少し早い鼓動が聞こえる。
「王妃の座にいる君を隣で見ようと思っていたのに。」
吐息のかかる距離でかすれた声が聞こえて、ゾクゾクと背中が震えるが私は全力で首を横にふる。
「じゃあ、国王を目指すのはやめにする。」
耳元でささやかれる声の甘さに、眩暈を覚えながらも今度はコクコクと頷いた。
「そうして下さいませ。」
私の返事にフフと楽しそうな息を漏らすと、ギルベルト殿下は右手をそっと頤に添えて私の顔を持ち上げる。
「そのかわり……。」
「そのかわり?」
バチっと音がしそうなほど目を合わせ、視線を縫い留められてしまった。
「これからずっと、君の席は私の隣だよ?」
「ずっと?」
私は彼の目を見つめ続ける。焦らすつもりはない。もちろん、彼の言いたいことは分かっている。けれど、乙女のたしなみとして、きちんと言葉で聞きたい。
「そう。……つまり、結婚しよう。」
彼の空色の目は真剣で、冗談ではないのだと心にストンと言葉が届く。私の答えはただ一つ。
「もちろん、よろこんで。」
そのあと、私達の様子をお母様が見てしまって卒倒したり、フリューゲル様の婚約者がなかなか決まらずに王妃様がブチギレたり、シューリンゲン伯爵令嬢が意外な商才を発揮して女伯爵として名を遺したり、ミュンブル公爵令嬢が公爵家を勘当されたにもかかわらず他国の王族に見初められたり、ケルブルク伯爵令嬢が乳母として育てた王子が賢王とたたえられたりするのだけれど、
それはまた別のお話。
沢山の方に読んでいただけてとても嬉しいです。
感想、評価、誤字脱字報告ありがとうございます。
2022年3月13日、総合評価が20000PTを超えました。
とっても励みになります!!
皆さまのおかげです。ありがとうございます。