図書館では迷走する
Twitterのお題シリーズ。
今回は図書館の司書と利用客が付き合っているのを、第三者視点で書く、という内容です。
甘く切ない図書館での不器用な恋愛のイメージを払拭しました。
図書館。
それは知識の貯蔵庫。
人生を豊かにする、そう言うとありきたりなもんだ。
本を読む事により、知識や知恵を身に付けられるだけ、ではない。
時には喜び、楽しみ、悲しみ、怒り、そんな感情面でも多くの恩恵を得る事の出来る。
今ではネット社会で図書館へ赴き、実際に紙の本を手にして読む機会は減ってきているのではないだろうか。
嘆かわしい、なんて昔の人なら言うのかも知れないが、私はこれといって否定的ではない。
何故なら、図書館の空間は静寂である事こそがベスト。
騒がしい客が多く来館してくるより、来ない方が良いに決まっている。
時折、子供のはしゃぐ声と親が叱る声なんかが聴こえてきたなら、微笑ましくなるじゃないか。
私は休日にもっぱら小説を読みに来ている。
太宰治、川端康成、芥川龍之介、まぁそんなメジャーな作家先生から、名前の知らない作家先生の小説から面白い作品を見付けだす宝探しをするのも乙なものではないか。
本の香り、使い古された木製のテーブルと椅子の肌触り。
全てが読書を引き立てる環境であり、演出である。
私は今日も名前も知れない作家先生の小説を貪るように読んでいく。
――「こちらがチェーホフの本です」
「ありがとうございます」
男女の落ち着きのある声が耳に入り、ふと文字を読んでいた視線を声の方向へと移した。
煩かったからではない。こんな静かな空間なんだから、多少の声も届いてしまうものだ。
それをとやかく文句をつける程に私のキャパシティは小さくない。
気になったのはチェーホフだ。
チェーホフと言えば、【アントン・チェーホフ】ロシアの作家、劇作家で、その当時長編こそが小説だと言われる時代で、短編を主体に執筆していた変わり者。
いや、そう言ってしまうと語弊しかないな。
自身の持ち味をよく心得ている作家で、その持ち味を活かし続ける為に短編を書いていたと私は推測した。
私は中でも小説ではなく、彼の戯曲に惹かれる所があった。
【かもめ】や【三人姉妹】は読んでいて、そのユーモラスで過激なセンスが印象的で小説以外にもこんな物があるのか、と私の宝探しのキッカケとなった作家先生だ。
そんなチェーホフを求めた若い女性の為に司書の男性が案内していたようだ。
若いのにチェーホフに興味があるとは、なかなかどうして良いもんじゃないか。
ひょっとしたらお芝居でもするのかもしれない。
「あの、チェーホフは小説も良いですが、戯曲も面白いので良かったら、そちらも読んでみてください」
「あ、はい。読んでみます」
ほぉ、司書の男性が勧めていたのか。
そして、チェーホフの事をよく理解している。
「あ、あの……この前紹介いただいた【ダイアナ】の【時の旅人クレア】もとても素敵な作品でした」
おっと、それは私の知らない小説だな。
名前から察するにファンタジーか?
時の旅人だから、タイムトラベル物とも考えられる。
ちょっと気になるので、今の小説を読み終わったら探して読んでみよう。
そう思いながら、私は視線を小説へと戻した。
「ほ、本当ですか!? 良かったぁ……玲奈さんには読んで貰いたかったんです」
私はすぐに視線を二人へ戻す。
なんだなんだ、今の台詞は?
まさかこの二人は付き合っているのか?
いや、まてまてまて、落ち着け、常連の客でいつも本を紹介しているだけかもしれないんだ。
「クレアさんの心の揺れがとても切なくて、もうドキドキが止まりませんでした」
「あぁ、やっぱり玲奈さんは女性視点で読みますよね。僕はクレアがジェイミーに靡いてしまった時は、もやもやしちゃいました」
「ふふ、達也さんは一途なんですね」
「え? いや、それは……」
達也が顔を赤らめたぞ!
いや、それよりそうなんだ!
さっきから二人共、下の名前で呼びあっているじゃないか。
この二人、絶対に付き合っている。
確定した。
「あの……玲奈さん」
「はい」
「今度の休みに……その、えぇっと、あのぉ…………」
おい、頑張れ達也!
本の話題はあれだけ元気に言えていたじゃないか!
玲奈さんを誘いたいんだろ? そうなんだろ?!
「……ど、どうしてますか?」
おいぃ、そこは誘う所だろ!
男らしくないぞ、達也!
「えぇと、私は空いてます。何かご用事でも?」
玲奈さん、良いぞ!
ほら、達也、玲奈さんが良いパスを出してくれたんだ、後は誘うだけだぞ!
「いやぁ、もし、玲奈さんがよろしければ……」
「よろしければ?」
「そのぉ……」
どこまで焦らすんだ、達也!
二人が気になってさっきから小説が進まないではないか!
早く、デートぐらい誘えよ!
「ウェディングドレスでも見に行きませんか?」
え?
「え?」
「え?」
早くないか?
それとももうそんな関係まで発展しているのか?
いやいやいや、あんなしどろもどろと頼りない達也からして、まだ付き合いたてだろ。
「あの、えぇー……どういう事でしょうか?」
だよね?
玲奈さん、普通だよ。
その反応は正しいよ。
引かなかっただけ優しいと思うよ!
「あぁー! いや、そんな意味で言ったんじゃあ……」
他にどんな意味があると言うのだ、達也よ。
お前は男女でウェディングドレスを見に行くのは、日常的にやっている事だと言うのか?
それにそこを否定するのも、相手に失礼だと思うぞ。
「玲奈さんと結婚したくて……」
えっ!?
「えっ!?」
そんな意味じゃないか!
他にどういう意味だと思っていたんだ、達也!
お前、まともじゃねぇよ!
こんな唐突で手順の一切を排除したプロポーズに玲奈さんも驚き過ぎて、目がマグロのように泳ぎまくって止まらないぞ!
「駄目ですか?」
駄目だろ!
両親に挨拶はしたのか?
図書館の司書をやってるくらいなら、そういう礼儀礼節的な知識くらい入っているだろう!
「その、達也さんの申し出はとても嬉しいのですが、まだそういうのは早くありませんか?」
玲奈さん、本当に優しい人だ。
ちゃんと受け止めてあげてるよ。
こら、達也! 玲奈さんを困らせるような事を言ったら承知しないぞ!
「あ、そ、そうですよね。 すみません」
「いえ」
よしよし、初めてのお付き合いで達也も気が動転したんだろう。
謝れるなら、大丈夫だ。
「まずは指輪ですよね」
はい?
「はい?」
「え?」
そんな訳ないだろ!
いや、だからさ、違うでしょ!
まずはデートに誘うの!
せめて一年くらい付き合って、両親ともそれとなく顔を合わせてさ。
それから、プロポーズして、しっかりと両親に挨拶して、式場やらドレスやら見に行けば良いだろ!
なんでもう結婚するのが前提、というより、目前の体で話を進めようとしているんだ!
「達也さん、私達ってまだお付き合いを始めたばかりですよね?」
ですよね!
付き合いたてですよね!
良かったぁ、この話の流れでもう三年付き合ってるって言われたら、確かに達也の焦る気持ちも分かる気にもなってしまうからな。
「大丈夫です! 婚姻届ならあります!」
達也は馬鹿なのか?
その頭でどうやって司書になったんだ?
時の旅人クレアの話を聞いてるだけでも、恋愛物なんだろ?
そういう小説も読んできたんだろ?
その知識を何故リアルに活かせないんだ!
本から何を学んでいるんだ!
今の所、ぶっ飛んだユーモアセンスくらいだぞ?
見ろ、玲奈さんが滝のような汗を流して、どうしたら理解してくれるのか悩み始めているぞ!
「あの、達也さん。ですから、そういう結婚とかって、ちゃんとお付き合いしてから考えていくものなんじゃないでしょうか?」
玲奈さん、もうこの男は止めておけ!
きっと、いや絶対に後悔する事になるぞ!
「そういうと思って、ご両親には挨拶しておきました!」
えぇー!?
「はぁっ?!」
おぉ……玲奈さんからドスの利いた声が。
そりゃそうだ。
なんでもう玲奈さんの両親に挨拶を勝手してるんだ!
いや、そもそもどうやってしたんだ?
あぁ! もう! ツッコミ所が多すぎてもうどうして良いか分からん!
こんな馬鹿げた話は小説でもお目にかかった事はないぞ!
もはやホラーだ。
ミステリーホラー、いやいやサイコホラーだな。
呪怨よりも恐いわ!
しかも玲奈さんの両親はよく承諾したもんだ。
「いや、なんで勝手に両親に挨拶してるんですか?」
「怒られて追い出されちゃったけどね」
断られたのかよ!
あの言い方だったら、両親の許可を得た、みたいな言い方だったでしょうが!
紛らわしいんだよ!
ま、当然だろ。
こんな突拍子のない達也を受け入れる両親が居るもんか。
「だけど、僕の気持ちは本物なんだ」
それが逆に恐いわ!
「あの、達也さん……ごめんなさい。別れましょ」
「えぇ!?」
達也よ、図書館で大声を出すな。
そんな驚く結果でもない。
むしろ、今まで耐えていた玲奈さんに感謝しなさい。
「なんでですか?」
「いや、だって……もう本当にごめんなさい」
理由を話しても理解してくれそうもないもんね。
謝るしかないよね。
でも、玲奈さんは何も悪くないよ。
悪いのは達也の頭だよ。
「さようなら」
「あ……」
こうして玲奈さんはチェーホフを読む事なく立ち去ってしまった。
当然の結果だ。
これで変にお互い意気投合してしまうような展開なら、完全にギャグの世界になってしまう所だ。
本当に玲奈さんが普通の人で良かった。
まぁ、強いて言うなら……図書館だと言うのに、オチ着かなかった、ということだ。