4 王子の罠
アリスの日記を読んだ私は、ひとつの仮説を立ててみた。
私が新生アリスとして目覚めた日を繰り返すのは、目覚めてから実習室に入るまでに何らかの「条件」を満たせなかったからではないか、と。
加えて、日記から得た情報から導き出される答えとは……。
「……すごく気が進まないなぁ」
やたらと立派な校門をくぐった私は、芝生の校庭から校舎を見上げる。始業時間にはまだ早いので、周囲に生徒の姿はなかった。朝からこんなところに突っ立っているのは、私くらいのものなんだけど……。
私は意を決すると、実習棟ではなく校舎の教室に向かった。
過去の十一回は、実習室にこだわりすぎて校舎の方の教室は完全にマークから外していた。だから今回初の教室への侵入を試みるのだ。大層なことをするみたいだけど、生徒である私が教室に入れず十一回も弾かれる事の方がおかしいので、私は普通です。ということで、もう教室が見えてきた。私はスパイ気分で周囲の気配を探り、扉を一応調べてから取っ手を引きーー中に入った!
……念のため意識消失に備えて対衝撃姿勢を取ったんだけど、何事もなく入れた。ひとまず即アウトにならなくて良かった。友達と喧嘩した翌日に教室に入るのが怖かったことはあっても、ここに入ったら強制退去の上やり直しかも知れないとか、違った意味での緊張を強いられるとは思わなかったよ。
私は少しほっとして、座席が奥の教壇に向かってすり鉢状になった教室内を見下ろすとーーあ、誰かいた!私のクラスにいなければしらみ潰しに探すつもりだったんだけど、やっぱり私の仮説通りなんだろうか。
「ーー君は、確か編入生の」
よく通る柔らかい声の主は、コーネル王子殿下だな。この王国の第二王子であり「攻略対象」でもあるのは、名乗らなくても姿で分かるんだね……。当たり前のように美形で、蜂蜜色の髪に鮮やかなブルーの瞳が眩しい。育ちの良さが全面に押し出された高貴な王族オーラが、自然に放出されている。
あ、そんなことより、声をかけられたから何か適当に挨拶して退散しよう。これでコーネル王子と出会ったから条件は満たしたはずだし。
「……すび、すみません!誰かいらっしゃるとは思わなくて、失礼しました」
「いや、こちらこそすまなかったね。このクラスは一時限目は実習だと聞いていたから、誰もいないうちに教室を見学させてもらっていたんだ」
噛んだ私の動揺具合が恥ずかしくなるくらい、王子は落ち着いた物腰だ。この人が本当にこの女狐の手に落ちるとは思えないんだけど、アリスはディアドラに看破されるまでどうやって偽装していたんだっけ。恋は盲目なんていうのは、彼に似合わないなあとか考えていたら。
「コーネル、そちらのお嬢さんは?」
ん?もう一人いた!?王子のオーラに気を取られて存在に気付かなかった。ああ、何で気付かなかったのか分かったわ。よく見るとしゃがんで机とか椅子をべたべた触ってる人がいる。大柄な人のようでなんだか窮屈そうだけど、家具フェチなの?
これが日記に書かれていた隣国の貴族かな。何だか巻き込まれる危険を感じる。
「いえ、私は……あ、わ、忘れ物! 忘れ物を取りに来ただけなんで、すぐ去りますんで!」
これ以上関わる前に去りたいので、もう令嬢もへったくれもない口調で叫ぶと自分の席に突進した。あ、だめだ。私の席は隣国貴族のすぐ近くだよ!でももう動いちゃったので、破れかぶれで机の奥から忘れ物を出すふりをした。すると興味を示した隣国貴族が身を乗り出してきたので、顔を思いっきり見てしまった。
……うん、なんだかとってもアメリカンな感じの人だ。服を着ていても分かるマッスルボディに、小麦色の肌と白い歯がとても眩しい。私の知人にアメリカ人いなかったけど、うまく言えないけど、雰囲気だ。そういう匂いがする。好物はハンバーガーで、バーベキューしながら爽やかにサムズアップしそうな顔してる。
そんな失礼なことを考えていたせいだろうか。
「オウ、ワターシお邪魔しちゃいマーシタネー。ごめんなサーイ」
なんか急に変なしゃべり方になった。なんだこれ。どうした隣国貴族よ、しっかりして!内心パニックの私はつい助けを求めて王子の方を見てしまった。すると殿下は困った奴め、みたいな笑みを浮かべて隣国貴族の肩を軽く叩く。……さすが王族、スルー力が半端ないな。外交問題になる前に、この人をどうにかしてください。
「ロナルド。ほら、急に話しかけるから彼女が驚いてしまっているよ」
「そんなコトありまセーン。ダッテ彼女、コーネル・サンダーズ王子に会っても驚いていまセーン。だからダイジョーブネ!」
ちっともダイジョーブじゃありませんよ。って、今なんかおかしな名前が聞こえた。コーネル・サンダーズ?……なんか、あの有名なお店の人に似てるんだけど。隣国貴族ロナルドの変な発音のせいかな?戸惑う私を置いてけぼりにして、二人は仲良く会話を続ける。
「いや、ロナルド。私は今、コーネル・オルブライトとしてこの学院にいると言っただろう。とりあえず、もう少し声を落として話そうか」
「オウ、ワターシまたやっちゃいマーシタ! ロナルド・マクディ・ナルズ一生の不覚デース!」
「ははは、そんな大袈裟な言い回しをよく覚えたね」
「ワターシ、コーネルとイッパイお話したクテ練習してきマーシタヨ。ハハハ!」
ロナルド・マクディ・ナルズ。……お前もかロナルド。お前も某有名ファストフードの雄だというのか。本当にやめて!二人ともいい加減にして!なんで西洋ファンタジーの世界に、こんな怪しいパチモンネームの人間が二人もいるんだよ!
美形達がキラキラした空気出してるけど、なんかもう笑い声がHAHAHAって聞こえてきたよ!だめだ、私はこれ以上耐えられそうにない。もともと苦手だったんだ、しんと静まり返った全校集会とか、法事の最中とか、牛乳を飲んでる時とか、笑っちゃいけない場面でそれを堪えるのは!
限界を突破した私はぶふぉ!と盛大に吹き出してしまい、次の瞬間には目の前が真っ白になりましたーー。
◇
「……失敗した。まさかあんな罠があるとは……」
またしてもベッドの上に強制送還された私は、どうしたものかと悩んでいた。はい、十三回目の朝です。
コーネル殿下と隣国貴族ロナルドによるまさかの罠にハマった私は、思いきり吹いたことでアウト判定を食らったようです。お尻をパーンってやられてないから多分だけど。
王子達がいたのは私の予想通りだったのに、その後が想定外過ぎだ。こうなるともう、全て私の幻聴だったんじゃないかと思えてくる。そもそも王子のファミリーネームって、オルブライトしか出てこなかったよね?作中にサンダーズなんてあったっけ?と思ったら、末端貴族のアリスは知っていた。これを冷静に思い出していれば……!いや、同じだね。由来とか知っても破壊力は消えないわ。
ちなみにコーネルの父親である王様の名前はカルネだ。親子揃ってきわどい。
このクリスフィード王国の王家の氏がサンダーズだけど、コーネル王子はオルブライトを名乗っている。身分を伏せて学院で暮らすためと言いつつも、兄の第一王子が立太子した頃から名乗っているので、王位を争う気はないと示すためというのが真意らしい。これは周囲の貴族の見解なので、本当のところは分からないけど。
コーネル王子には間違っても王位継承争いなんて愚かな真似はせず、このまま平和的にオルブライト氏となってもらいたい。
それにしても、やっと突破口が見つかったと思ったのになあ。コーネル王子と出会わないと先に進めないのに、伏兵ロナルドのせいで私の理性と忍耐力が試されることになってしまった。
フラグを折ったり地雷を撤去する苦労は想像していたけど、何で私が笑ってはいけないやつにチャレンジせにゃならんのか。そういう意味の地雷は想定外です。
いや、よく考えたら、あのマッチョなアメリカ人風のロナルドが途中からおかしくなったのって、私のせいなのかも。こっちの言語が頭の中で翻訳されるんだから、声の質や話し方は私のイメージによるところが大きいのではないだろうか。だから、私が彼をアメリカンな奴と認識した瞬間から、そのイメージを基にベッタベタな外国人風の妙な喋りになってしまったのかも。
でも、この説はあんまり認めたくない。だって、私の中の外国の方へのイメージは、あんなに貧困じゃないはず!観光国家日本に暮らした私の想像力は、もっと豊かに羽ばたくはずなのだ!そう、私の中の外国は、もっとこう……気さくな、なんだろう、うちのワイフはーーじゃないな、マイハニー……。
認めるしかないのだろうか。私の中の偏りまくったアメリカンが、ロナルドの吹き替えになったって。
だったら地雷の大元を回避すべく、この度はコーネル王子に鉢合わせて挨拶したら即退散というヒットエンドラン戦法を実行してみました。その結果は……ダメでした。しつこく挨拶のパターンを変えて三回やってみたけど、はい、十六回目の朝になりました。
いずれもロナルド達に発言する隙を与えず、二人に挨拶だけしてダッシュで実習室に行ったら、目の前が以下略でした。これは、どう解釈するべきなんだろう。コーネル王子とばったり遭遇するだけでは不十分で、会話してアリスとして印象づけるところまで行けということなのか。あるいは、ロナルドもセットでお買い上げいかがでしょうかということか。
……確かにセットだとお得だからって、ホイホイ注文してたけどなあ。というか、王子と会話するには必然的にロナルドとも知り合う流れになるよね。目の前にいるのに無視できないし。現在進行形で家族にいないもの扱いされているアリスは、そんなことできない。無視するのって、時に暴言を投げつける以上に相手を追い詰める手段になるしね。いい年した大人でもできる、お手軽な方法だよ。私もやられたことあるから分かる。
なので、十六回目以降は根性で二人と会話して、お知り合いになって立ち去る作戦を遂行しました。その際に私のポンコツ翻訳機能を無効化する必要ありという課題が浮上したため、会話する時は心の中でひたすら「王子はオルブライト王子はオルブライト」と念仏のように唱えることにした。
失敗を繰り返すうちに、会話がどう進んでも必ずロナルドが王子のフルネームを暴露する流れに持っていくと分かったからだ。これも四回失敗して学びました。なぜ同じネタで何度も吹くのかというと、一度ツボにハマった人間の腹筋というのは、容易く崩壊するものだからだ。一度できてしまった笑いへの道筋を塞ぐのは、容易ではないのです。
しかし私は王子を克服し、次はいよいよロナルドです。どうあっても避けられない強敵ロナルドについては、ちゃんと耳を澄ませばロナルドの本当の声が聞こえるはずだから、そっちに集中したら変な翻訳を無視できるんじゃないか。この際会話の内容なんてどうでも良い。相槌を打つだけで乗り切ってやる!そんな風に思った私は、心を無にして耳を澄ます戦略を取ったのだが。
「……だめだった。無理だった……ていうか、余計にやばかった」
二十回目の朝です。
惜しかった。王子と何とか会話してーー若干の挙動不審は緊張のためと思ってくれたはずーーロナルドを攻略だ!とか張り切った私は、彼の声に集中してすぐに後悔した。まさかの忠実な翻訳だった。
だって、ロナルドの話し方って、本当に私のニセ外国人みたいな癖のあるイントネーションだったんだよ!嘘臭いのに流暢だから、王子のフルネームとか本当に危なかった。念仏効果に助けられたね。
でもロナルドは無理だった。私が真剣な顔をして聞き入るのに気を良くしたのか、テンションが上がっていった彼は自分のフルネーム連呼するんだもんよ……。耐えられなかったよ。心を無にしたかったけど、原語までアレだととても処理しきれず、自爆してしまった。
彼の口癖なのか、「このロナルド・マクディ・ナルズ」とか「不肖ロナルド・マクディ・ナルズ」とか、とにかくいちいちフルネームを出すからいくら翻訳を無視しても逃げられなかった。
自らの戦略ミスを反省した私は、ロナルドではなく翻訳機能の矯正を試みることにした。




