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2 ひとりの食卓

 食堂に着いた私が席につくとリサは退室し、控えていたもう一人のメイド、マーガレットが給仕をしてくれた。ボロを出すのを恐れた私は、リサにもマーガレットにも口をきいていない。マーガレットは特に気にする風でもなく、でもそっと私の様子を窺っている。私が一人で食事するのをずっと気にしているんだ、とアリスとして思い至る。


 このアリスの境遇もなかなか気の毒で、幼い時に妾の子として父親に引き取られたが愛情を受けることなく育ち、男爵家の駒として扱われている。父親と本妻である義母とその子供達はアリスとは時間をずらして食事をするのが、このレンフィールド家の習慣だ。そんな環境で、マーガレットはアリスを蔑むことも憐れむこともしないので、母親が死んだ後のアリスが心を寄せる数少ない存在だった。


 ひとりきりの食卓につく度に幼いアリスは傷つき、孤独を感じていた。そして母親との貧しかった日々を思い出しては懐かしみながら、もうあんな生活には戻りたくないと嫌悪もした。アリスがディアドラを蹴落としてその座を狙った原因に、この歪な家庭環境が少なからず絡んでいる。


 しかし、今の私はおいしい朝食を楽しみながら、そんなこと他人事のように考えることができる。「アリス」の中に眠っていた「私」が目覚めたことで、「アリス」のこれまでの不遇な人生と「私」の平凡だけど幸せな人生が融合ーーそれとも、混合かな?とにかく、両者が消滅することなくこうして折り合っているらしい。だから今思考している私は、純粋な意味での「私」ではなくなっていた。


 もちろん「私」の家族と友人にすごく会いたいけど、同じくらいの強さで私はアリスの死んだ母親を恋しがっている。矛盾しているようだけど、今の私の大事な人達だ。

 しかし、私の胸中は諦めの気持ちで占められてもいた。再び「私」の人生に戻れると期待した末に絶望するのは非常につらいので、一種の防衛だ。私のダメな大人的回避思考と、不遇だったアリスの諦観によるものだろう。


 そんなことを考えながら、私の両手は淀みなくナイフとフォークを操り、優雅に魚の燻製を食べている。アリスとしての経験のおかげだ。

 私はテーブルにお年寄り用にお箸が置いてあると、躊躇なく選ぶ女だ。今時のお店は顧客対応が素晴らしいので、それに甘えた私のテーブルマナーは推して知るべし。ナイフをギコギコやって魚の身をバラバラにしてしまうだろう。


 私は続いて茹でたソーセージもナイフで切り分けて口に運ぶ。おお、スパイスとハーブが利いていてとってもジューシーだ。こんなに肉汁が溢れてくるソーセージを毎日食べられるなんて。幸せとソーセージを噛み締めるが、幼いアリスも最初はこんな風に喜んで食べていたんだと思い出して、少し切なくなる。


 まだ十六歳の少女アリスと、彼女よりは社会に揉まれてきた二十六歳の私。未熟な心身ーーではないな、私よりも胸部が恵まれている。とにかく少女の鬱屈したコンプレックスを、一応大人の私はかつて通ってきた道として受容し消化できる。自分にないものを持つ人を妬み、そんな自分を嫌悪する思春期の葛藤や心の揺れを、私は懐かしいとすら思った。あの頃私は若かった、というやつだ。


 過ぎ去ったはずの青春をもう一度ーーと思うとくすぐったいが、今の私は真の悪役アリス・レンフィールドだ。甘酸っぱい恋愛どころか、地雷を撤去できなければ末路は強制引きこもり生活である。とにかくまだ見ぬ攻略対象であるキラキラした男子どもは全力回避というのが、新生アリスの揺るぎない方針だ。

 今が編入したてで本当によかった。物語は学院に編入したアリスが長期計画で攻略対象との距離を縮める最中から始まるので、何もしなければ確実にセーフだが、アリスが元居た学校に戻れればなお良い。あの父親が許すとは思えないけど、試みる価値はある。


 色々考えを巡らせているので、こうしてアリスの家族もどきに煩わされず食事できるのはありがたい。私は独り暮らしで「孤食」に慣れていたし。でも、テレビでニュースを見ながらスマホをチェックする朝が懐かしい。行儀が悪いけど、私の朝の習慣だった。アリスはしたことがないけど、せめて新聞を読みながら食後のお茶を飲みたい。マーガレットが不審がるだろうからやめておくが。


「ーー紅茶を」


 なるべく単語で話そうとした結果、現代日本人としてはとても不遜な感じになった。マーガレットさんごめん。心で謝りながら、ポットから注がれた香り良いお茶を飲む。


「おいしい……」


 豊かな香りと、全く渋くない紅茶の味に感動してしまった。さすが、私が雑に淹れたティーバッグ紅茶とは違うな。感心しながら、私はもう一度深く香りを吸い込んだ。今日は魔法学院で魔法の実習があるなあ……と記憶をたどりつつ、ついリラックスしてしまう。


「こちらの茶葉がお気に召しましたか」


「え、ええ。すごくおいしいと思う」


 自信をもってアリスとして振る舞えるはずなのに、やっぱり場違いだという気持ちが湧き上がる。そんな私の心を見透かしたようにマーガレットが見つめてきたので、冷や汗が出てきた。あれ?アリスはマーガレットには心を許しているから、これくらいの言動は不自然ではないはず……。

 内心の動揺を抑えてお茶を飲み切ると、私はナフキンで口元を拭いて席を立った。これ以上ボロが出る前に退散だ。


「じゃあ、もう出るから」


 出るわね、とは言えずやっぱり反抗期みたいにぶっきらぼうになった。心の中で行ってきます、と挨拶してスカートを整える。


「アリス様、明日もこちらの紅茶をご用意いたしましょうか」


「はい! お願いしまーーお願いね」


 不意を突かれた。挙動不審な私にマーガレットは灰色の目を少し細めるが、それ以上追求せず流してくれた。アリスが密かに慕うマーガレットの前では、つい油断してしまう。

 あ、そうだ、その前にひとつ確認してみたいことがあった。


 私は暖炉の上に置かれているオブジェのような時計を見に行く。これは単なる時計ではなく、魔法で動いているがちゃがちゃした仕掛けつきの魔法時計だ。時刻だけでなくカレンダー機能つきなので年月日も分かるもので、やたら歯車が多い機構に年月日のカレンダーがファンタジーっぽいデザインで組み込まれている。


 ええと……ジグラウス28年青の月11日。日本語でも英語でもない謎の言語で表記されているけど、その上に重なるように日本語が浮かび上がったので読めた。なるほど、西洋風なのになぜか日本語が使われているというパターンではなく、こういう仕組みか。あれ?じゃあ話せるのはなんでだ?気になったらすぐに確かめたい。即ググるのが習いの現代人の心を持つ私は、マーガレットに向き直る。


「マーガレット、あの人達の今夜の予定は?」


 扉の前で待機していたマーガレットは、今度は表情を変えた。その瞳に浮かぶのは、驚きと戸惑い。急に「あの人達」を話題に出したりして申し訳ない、マーガレットさん。

 でも、自分の口の動きを意識してみたらすぐに分かった。やっぱり、同時通訳っぽいことになっている。私の口から出るのはアリスの澄んだ声の謎の言語で、そこに被せるように脳内で翻訳されている。そして耳はーー。


「ーーはい、アリス様。旦那様と奥様と……お子様方は、劇場へお出掛けになります」


「そう、ありがとう」


 やっぱり日本語で聞こえるけど、口の動きが違うし集中すると謎の言語がちゃんと聞こえる。日本での私では果たせなかった、バイリンガルになれました。この声が本当のマーガレットの声なのか分からないけど、とりあえず会話と読みは大丈夫だ。書くのは時間がないので学院で確認しよう。


 私は今度こそ食堂を出て玄関に向かった。

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