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18 乙女の眠り

 疲労して帰宅した私は、今回の騒動があの人の耳に入っているのではないかと構えていたのだが。


「アリス様、ご主人様方はしばらく領地にて過ごされるとのことで……」


 全く非のないマーガレットの申し訳なさそうな言葉によって、何とも言えない虚脱に襲われていた。

 私が新生アリスとなってからというもの、彼らと遭遇したのは数回で、それも言葉を交わすのではなく文字通りの「遭遇」だった。


 普段からそんな扱いなので慣れたつもりになっていたが、ここまでナチュラルに存在を省かれると怒りもない。ただ、学院での私の扱いとは全く質が違うと思う。ルイーズ嬢以下彼女らは少なくとも私を認識していた。元々いなかったようにされるのとは、根本が違う。


 だからアリスは、学院への編入に不満を持ちながらも通い続けたのだろう。クラスメイト達の欺瞞を受け入れ、割り切って伴侶探しを始めたところで私が目覚めた。

 既に自分のことだというのに、当時のアリスの心情を思うとやるせない気持ちになる。


『乙女アリスよ、我が奴らを教育してやろう』


 ぼそっと言われ、私は総毛立った。


「ななな何を言ってるの! びっくりした……」


 夕食を済ませ、自室で寛いでいたらこれだ。私のリラックスタイムを返せ悪魔め。マーガレットが淹れてくれた多分ハーブティーを慌てて飲み干し、私は堂々とテーブルに陣取るヒヨコを見た。


『今の我は神力どころか魔法も使えぬが、洗脳は得意なのだ。任せるがいい』


「ああもう、また危険なワードを出してきた! 絶対やるなよ! それと、どうやってやるのとか言わなくていいからね!」


 私が耳を塞いで全力で拒否すると、ヒヨコは残念そうに首を振った。


『根源世界の乙女アリスの時は、それで円滑に事が運んだのだぞ。何故お前は拒否するのだ』


「やめてって言ってるのに!」


 私の中で「魔法の国のアリス」の乙女チックなお話が、どんどん物騒なものに書き換えられてしまう。どこでデートするとか彼の好きなものは?とか、そういう可愛い悩みにアドバイスする鳥という設定だったろうお前は!


 しかし現実は、どこで粛清するとか彼の洗脳は?とか、そういうどす黒い企みをアドバイスする悪魔が常に隣にいる。乙女要素なんて、「乙女アリス」と呼ばれていることくらいだ。黒すぎる。


 根源世界のアリスさんは、私の想像以上に恐ろしい目に遭った末に「改心」したのだろう。彼女の言葉が私の胸に重く響く。

 あなたの苦労は無駄にしない。私がこの黄色い悪魔を暴走させない……多分。


 私は疲労感に勝てず、書きかけていた日記を適当に切り上げて閉じた。



ジグラウス28年青の月27日 曇り

濡れ衣を着せられたけど解決した。

魔法実習のテストが追試になった。

薔薇の君に会った。



 はい。私は結局実技テストで失敗したため追試となりました。本番に弱いのです。無念。

 私はベッドに入ると、すぐに目を閉じた。ヒヨコはもう知らん。勝手に自分で引き出しに入るがいい。



 そして翌日の青の月28日。

 いつも通り一番に登校した私は、何気なく自席の机の中を探り、また見つけてしまった。


「……さすがに二番煎じはないよね。昨日あれだけボッコボコにされてたし」


 言いながらも、私は手にした封筒を開けられず机に置いた。今度は表書きがある。もちろん私、アリス・レンフィールド宛てだ。一応裏返してみると、イニシャルらしき一文字のみが記されている。


『乙女アリスよ、これは決闘の申し込みか?』


 バスケットから勝手に出てきたヒヨコの言葉を、私は笑って否定した。だって、ここのお嬢様方は決闘どころか集団でいびる位が関の山だ。まあ、呪いの手紙で冤罪を仕掛けてきたけども、それももうないだろう。


「そういう物騒な思考から離れて。ただのーー嫌がらせとか、アレよ、体育館裏に呼び出して集団で責めるやつとかでしょう」


『責める……? ほう、拷問でもしようというのか、我が受けて立とう』


 立つな。それ以上言わせず、私はヒヨコをバスケットに押し込んで蓋を閉めた。

 やはり昨日のことを思うと開封できないので、昼休みになったらレイン先生に相談してみよう。私の事情を知る人なら話が早そうだ。


 そして始業時間となったが、ルイーズ嬢は登校しなかった。どんな髪型で来るのか心配だったが、さすがに昨日の今日で私の顔を見るのは嫌なのだろう。取り巻きのレイチェル達は特に騒いでいないので、彼女は当分休むのかも知れない。


 クラスメイト達は、当たり前だが私を遠巻きにしている。縦ロール連合の皆は、憎々しげに睨むことをしない代わりに目も合わせなくなった。ただ、私が視界に入ってイライラする様子を見るに、無視することに失敗している。


 そして、午前の授業は終わった。


「あなた、あれで勝ったなどと思わないことね」


 レイチェルとカーラに小声で言い捨てられ、私はハッとして膝の上のバスケットを見た。良かった、出てきていない。無言の私に、連合幹部の二人は勝ち誇った顔のまま去っていった。彼女らもめげないな。


 私は食堂でお弁当を多めに買い、今日は裏庭ではなくレイン先生の部屋に向かった。まず用を済ませてから、差し入れとしてあわよくば先生と一緒に食べられたらと思ったのだ。ヒヨコには雑穀をバスケットの中に入れておいたので、静かに食べてもらう。


「あら、昨日はお疲れ様でしたね、レンフィールドさん」


 幸い快く迎えられた私は、先生の本棚と魔法道具の山が乱立する部屋に入った。

 例の手紙を差し出し、呪いを感知する魔法を教えてもらいたいとお願いすると、


「そうねえ、これこそウィズダム司書が適任だと思うわ。私が依頼の手紙を書いてあげるから、放課後にでも図書館に行きなさい」


「はい。ありがとうございます、先生」


 丸投げの人か。素直にお礼を言いつつも、私の腹の中は、たらい回しの予感で少々不安になっていた。すると先生は笑いながら、必ず教えるよう念を押しておくからとペンを取った。彼もこれで逃げられまい。


「それにしても、編入してしばらくは何事もなく過ごしているようだったのに、災難だったわね」


 私が渡したカラフルな野菜サンドとフルーツサンドを広げてお昼にしたら、レイン先生は世間話のように昨日の騒ぎを持ち出した。薄切りのリンゴとカスタードクリームのサンドを堪能していた私は、答えに詰まって残りを皿に置いた。


「……先生に言うのは恥ずかしいのですが、私は最初から一部の方にはあまり好意的に迎えられていなかったようなので」


 それだけ言うと、パンを口に入れた。当然その辺りのことも彼女の耳に入っているのだろうが、あまり立ち入った話はしたくない。それで察してくれた先生は、追試のことに話題を移した。


「ーーあなたのテストの結果は残念だったわね。途中まではうまくいっていたのだから、あなたの言っていた通り、緊張を解す努力をしましょう」


「はい。どうしても変に力が入ってしまうようで、集中したつもりでも魔力が滞ってしまうみたいです」


 私の返答に、レイン先生はぽんと手を打った。


「では、今ここで実践してみましょう。レンフィールドさん、昨日のテストと同じ火の魔法をやってみて」


 命じられた私は、仕方なく席を立って集中する。クラスメイトの目がないのはありがたいが、先生と二人きりならうまくいくだろうか。


 体内の魔力を集め、それをもう一度循環させて増幅していく。ここまでは、昨日もできた。この先の詠唱中にどうしても集中が乱れ、魔力を術式に変換するところで失敗するのだ。


 私は目を閉じ、発火の呪文を唱えるーー。


「ーーレンフィールドさん! やめなさいっ!」


 肩を揺さぶられ、目を開けると取り乱した様子のレイン先生の顔が間近にあった。何だろう。失敗どころか、今度は成功しそうだったのに。


「あなた、その呪文を一体どこで覚えたの! 学生のあなたがどうしてこんな……!」


 私の目を覗き込みながら、こちらの困惑など意に介さず詰問する先生の瞳には、隠しようのない怯えが見えた。

 先生が、私に怯えている? 一体何故。


「先生、私の魔法は何かおかしかったのですか?」


 かろうじて出た私の言葉に、レイン先生は呆けたように黙ったかと思うと、私の肩を掴む力をぎゅっと強めた。


「おかしいか、ですって……? 惚けるのはよしなさい。あなたが今詠唱していたのは、煉獄の炎を召喚する禁呪でしょうが!」


 一転して怒りのこもった先生の灰色の目は、嘘をついているようには見えない。私は絶句し、思考が停止した。


 禁呪。煉獄の炎? なんだそれは。どんな火だ。私は基礎の発火の魔法を使おうとしただけなのに。


 心当たりというか諸悪の根源は、あの黄色い奴しかいない。もう隠しておけない。隠したら私が王国反逆罪に問われて牢に入れられる。

 腹を括ると、椅子に置いていたバスケットを持ち上げた。


「レイン先生。私が正気を失っていると、どうか疑わないでいただきたいのですが」


 言いながらバスケットの中を見せる。

 そこには、黒い瞳をきらめかせて得意げに鎮座するヒヨコが一羽。いきなり動物を見せられて困惑する先生に、私は続ける。


「このヒヨコは、神の御使いが変化したお姿なのです。そして、私が多分無意識にその……禁呪を唱えたのは、恐らくこの御使いの教示のせいです……」


 言いながら、こんなアホな言い訳をする悲しさを噛み締めた。どう聞いても、誰が聞いても正気じゃない発言だもの。

 しかし、先生の反応は私の予想を超えた。


「こ、これはーーいえ、このお方は! レンフィールドさん、あなたが昨日連れていたのはこのお方だったのね。何故御使いがあなたの元におられるの?」


「えっ受け入れるの? ああ、失礼しました。御使いとは、先日の校外授業の折に神殿で出会いました。事情は知りませんが、このヒヨコの姿でお困りのところを保護したのです」


 あっさりと私の話を信じてくれた先生には悪いが、却って何か罠があるんじゃないかと疑ってしまう。私の大雑把な説明も真面目に聞いてくれているけど……。


『ほう。ここには少しは話の分かる人間がいるようだな』


 ついに喋ったヒヨコに、レイン先生は灰色の目を限界まで開いた。かと思ったら、ものすごい勢いで片膝をつき、右手を胸に当てて頭を下げる最敬礼をした。


「あなた様の叡智に満ちた瞳を拝見して、一目で分かりました。神の御力の顕現たる御使いにお会いでき、光栄でございます」


 ここまで、私は一人置いてきぼりである。えっ、ヒヨコってそんなに偉いの?と言いかけたけど、空気を読んで黙っていた。

 その後も感動したレイン先生とヒヨコの対話は続き、あぶれた私は残りのサンドを平らげるのに終始した。


 そして、ようやく先生が落ち着きを取り戻した。先生は王城魔法師時代に、クリス神殿でニワトリ時代の奴と対面していたという。だからすぐに同じ存在だと分かったのだそうだ。というか、先生スーパーエリートじゃないか。


「レンフィールドさん、先ほどの魔法だけど。あれは二度と使わないと約束してくれるわね。未熟な学生に扱えるものではないし、私はあなたを告発しなくてはならなくなる」


「も、もちろんです! あんなものを使いたいなどと微塵も思っておりません。もちろん、死んでも使いません」


 固く約束すると、レイン先生は厳粛な教師の顔で頷いた。良かった、反逆罪は免れたようだ。


『我が苦労して一晩で睡眠学習を施したというのに、人間は訳の分からぬことをする』


「それ洗脳だろうがぁぁぁぁっ!」


 思わず令嬢であることを忘れてヒヨコに摑みかかると、先生に羽交い締めにされた。解せぬ。


「先生、止めないでください! 世の中の平和のためには、こいつを何とかしないと!」


 私の心からの恐怖の叫びを、しかし先生は無視して全力で拘束してくる。私が懸命に伸ばす手の先には、余裕の顔をしたヒヨコがいた。


『乙女アリスよ、これが我が全知全能の神のご威光の賜物よ。信仰の力を思い知ったか!』


 こちらが手出しできないのをいいことに、思い切り勝ち誇られた。く、悔しい。悔しすぎる……!


「ーーレンフィールドさん、御使いがおられるのなら呪いを暴くなど簡単でしょう」


 涙目でヒヨコ討伐を諦めた私に、先生が取りなすように尋ねてきた。しかし私が返答する前にヒヨコが割り込み、


『我に頼ってばかりでは成長できぬ故、乙女アリスが自らの力で乗り越えるべきなのだ』


 なんか師匠面してきた。まあ、ラジオ魔法講座ヒヨコ先生をやってもらっているが。睡眠学習枕ヒヨコは全力でお断りだ。


 とにかくヒヨコの言葉を全面的に信じる先生はあっさり納得し、私は当初の通り司書氏のところに出向くことになった。


 御使いの件はくれぐれも他言無用にとヒヨコに脅させたので、多分大丈夫だ。しかし、先生はヒヨコを過剰に崇めすぎである。神殿の聖なるヒヨコということで、学院で連れ歩く許可まで与えてくれたのだ。


 もちろん喋るのは私が禁止したが、本人は許可の証である青いリボンを首にかけられてご満悦だ。気づけば午後の始業時間が迫っていたので、私とヒヨコは慌ただしく退室した。




 そして放課後。

 私は特別クラス前に来たものの、突き刺さる視線に恐れをなしてコーネル王子達に会うのを断念していた。情けないが、特別クラスはとても声をかけられる雰囲気ではなかった。


 諦めた私は、例の手紙を入れた鞄を持って図書館に向かった。さすがに書籍と貴重な資料を保管する場にヒヨコ丸出しはまずいと思って、渋るヒヨコを宥めすかしてバスケットに入れている。


 一階の一般書架を通り抜け、二階への階段を登ると、あの臭いがどんどん強くなる。ヒヨコも感じているようで、ピヨピヨ鳴いて抗議してきた。

 そして閉鎖書架の扉に到着したところで、横から声をかけられた。


「ああ、君はーー早速ここに来てくれるなんて嬉しいなあ。ようこそ閉鎖書架へ」


 満面の笑みを浮かべたウィズダム司書だ。軽く挨拶を済ませると、逃がさないとばかりに背を押されて中に通された。

 こちらも早速ということで、私に再び届いた手紙とレイン先生の書簡を彼に渡すと、


「うーん、そういうことか……。まあ君の場合、覚えておいて損はないと言うか、活用できそうだからね」


 含みのあることを言いながら私を見た。この人、私が喧嘩を売ったところもしっかり聞いていたな。そして、やはりルイーズ嬢達に聞かせるために先生と一緒になってきついことを言っていたのだろう。


 読み進める書簡の文面が余程すごいのか、司書氏は苦笑しながらも了解してくれた。そこで、女子生徒がお茶を持って来てくれた。礼を言って一口飲むと、とても香ばしく爽やかな風味に驚く。


「とてもおいしいお茶ですね。何だかすっきりしました」


「ええ。ここにいると臭いがこれだから、普通の茶葉だと負けてしまうでしょう。だから、香ばしくなるよう少し煎ってあるの」


 生徒が笑顔で答えてくれて、私は少し感動してしまった。同性に裏心のない笑顔を向けられるのは久しぶりだから嬉しい。


 栗色の髪を編んでまとめた彼女は、化粧っ気のない瑞々しい肌をしている。若さ溢れる感じだ。以前来た時にはいなかった人だと思う。ここに通えば彼女とも知り合いになれるだろうか。


 ちょっと下心が出てきたのを察したのか、ウィズダム司書がにんまりした笑顔を向けてきた。


「レンフィールドさんがここに通ってくれるのなら、私はいくらでも魔法を教えよう。その代わり、この閉鎖書架の仕事を手伝ってくれないかな。何せ修復する本が多すぎて、私が君のために時間を割けば、その分作業が遅れるだろう?」


 ぐいぐい来る司書に、私は少し引きながら頷いた。元よりそのつもりで来たので異存はない。あっさり引き受けた私に、生徒の彼女はあんぐりと口を開けている。


「あなた、簡単に引き受けてしまって大丈夫なの? ここはこんな臭いだし、いるのは私のような変わり者と、ウィズダム司書のような文字中毒ばかりなのよ」


 なかなかの毒舌の彼女は、私のことを心配してくれているらしい。しかし、既に一度経験済みなので大丈夫! とは言えず、


「昨日ウィズダム司書のお話を聞く機会があり、感銘を受けておりましたので、光栄なお話だと思っています」


 綺麗な感じにまとめてみた。そうしたら効果は絶大で、二人は揃って熱烈な握手をしてきた。


「では、これからよろしくね。私はクローディア・オールドマンよ」


 手を握られたまま自己紹介をすると、彼女ーークローディアははにかむように笑った。その手は温かくて、インクが少し付いていた。

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