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16 悪女の証明

 実習棟に到着した私は、窓越しに教室の中を見てしまって足を止めた。


 すり鉢状の教室の中には、私のクラスメイトとそれに倍する女子生徒達がひしめき合っている。何だか思ったよりも多い。私はこれから、この猛獣の巣に入ることになるようだ。


「あら、顔色が悪いようですわね」


 ディアドラに嬉しそうに言われ、私は素直に頷いた。


「……大勢いらっしゃいますが、あの生徒達の大半は今回の件には無関係ですよね」


 私のうんざりした顔を見て、ディアドラはまた満足そうに顎を上げる。コーネル王子はそんな彼女に咎めるような視線を向けたが、私は何というか、この彼女のある意味素直な反応が今はちょっと楽しかったりする。


 ……心の中の変な扉を開いてしまわないうちに、教室に行こう。


「アリス。君のその、ヒヨコ……先生は、このままで平気だろうか?」


「申し訳ありません、オルブライト様。何のことでしょうか」


 ついに王子にまで先生呼ばわりをされた。彼の傍らのディアドラは、驚きで目を剥いている。私のランクダウンと反比例して、ヒヨコがランクアップしていくのはどういうことだろう。解せぬ。


「あの数の人間に、ヒヨコ先生は怯えてしまうかと思ったのだが……」


 かけられた言葉の意味が分からずヒヨコと顔を見合わせたら、苦笑された。いえ、この傲岸不遜なヒヨコは衆目を恐れたりしません。お気遣いありがとうございます。


「人馴れしているようなので、平気だと思います。正直に申しますと、そのような細やかなことに思い至りませんでした」


「それなら良かった。しかしーー私が呼んだ覚えのない者ばかりがいるようだから、まずは彼らを排除しよう」


「よ、よろしくお願致します……」


 排除。さらっと不穏な単語を出した王子は、目が笑っていない笑みを浮かべている。恐ろしいので私はただ頷いた。


「お前はそれでよくヒヨコ先生を連れていますわね。配慮が足りないのではなくて?」


 かなり無理にねじ込んできたねディアドラ。これは、自分だけ入れない話題が嫌だからちょっと強引に加わってみたというやつか。……勇気ある行動だ。私なら怪しいヒヨコの話なんて、適当に相槌を打つか空気になるわ。


「自省なさい、アリス・レンフィールド」


 びし、と私に指を突きつけると、ディアドラはそれで気が済んだのか教室に入っていった。残された私と殿下とヒヨコは、ちょっと乗り遅れた感じになってしまった。ヒヨコがピヨピヨうるさいので、私達もそろそろ行こう。


 満員御礼状態の大教室に入ると、騒がしかったのが嘘のようにしんと静まり、視線が一斉に私に集まるのを感じた。既に犯人扱いである。

 早くも逃げたくなったが、例の司書ことウィズダム氏が来たことで、私はやっと諦めた。


 ウィズダム司書は、あの時と変わりないようだ。私はあのループ以来閉鎖書架に近づいておらず、彼を見るのは久しぶりだった。例のレポートは提出し落ち着いたので、この件が無事に済めば行ってみるのも良いかも知れない。


 しかし、覚悟はしたものの王子の言う通りで、この人数から敵意を向けられるのはさすがに怖い。クラス外からの援軍なんて聞いてない。仕事よりマシだなんて思ったのは間違いだった。

 一方、ついに私の肩にすっくと立ったヒヨコは、本職が崇められる神の御使いだから慣れたものなのだろう。


 そっと周囲を見回すと、連合の方々はいらっしゃるが当事者であるルイーズ嬢の不在が気になる。呪いの手紙で怪我をしたとは聞いていないけど、念のため休んでいるのかも知れない。


「まずひとつ確認したい。ルイーズ・ボールドウィン嬢並びにアリス・レンフィールド嬢のクラスメイトではない生徒が相当数いるようだが、誰の許しを得てここにいる」


 コーネル王子の一声に、主に女子生徒達がざわめく。王子頑張ってくれ。私はこんなアウェイでフーリガン達を相手にしたくない。

 しかし私の願いも虚しく、中でも目立っている私服のカラフルな集団の一人、紫のローブを着た生徒が立ち上がった。


「オルブライト様、確かに私達は許可をいただいておりません。ですが、ルイーズ嬢が危険な目に遭わされた事実は同じ生徒として無視できません。そして、彼女の友人である私達にも真相を知る権利があると考え、ここに参じました」


 女子生徒が言葉を切ると、隣の黄色いローブの生徒も席を立って彼女を援護する。


「教師の許可を待っていてはこの場に立ち会うことができないと思い、堪らず駆けつけてしまったのです。ですが、友人のルイーズ様のことが心配で駆けつけた私達の気持ちを、どうかお察しください」


 一般クラスと特別クラスの混成部隊は、傍から見れば真摯な視線を王子に送った。しかしコーネル王子は、彼女らの圧力にも一切表情を動かさず、傍らのディアドラは何とも複雑な顔で場を見守っている。彼女らを擁護したいが、王子に口答えしたことが許せないといったところか。


「生徒の自主自律はこの学院の精神であるが、学業を疎かにしては本末転倒だろう。学生である私達にその義務を放棄する権利はない。彼女達のクラスメイト以外は今すぐ退室するように」


 王子の常にない冷たい声に、女子生徒達はなぜか一斉に私の方を見た。いや違う。私が唆したとか濡れ衣です。その時肩のヒヨコの嘴が光った気がして、私は思わず黄色い羽毛を掴んだ。

 コーネル王子の横顔は、裏庭で私を見た時のように冷たく冴えざえとしている。


「私は学院長からこの件の裁定を委任されている。学年主席ではなくサンダーズの者として命じなければ従わぬというのならば、命ずるが」


 彼がサンダーズの名を出したことで、教室の中の空気が凍りつく。いや、唯一熱い人がいた、ディアドラだ。その瞳はコーネル様カッコイイ! と言っている。私は完全に空気だが、驚いた。控え目なコーネル王子がここまで言うとは思わなかった。

 それでも、紫ローブの生徒は食い下がる。


「し、しかしディアドラ様が! 私達は、ヘイデン家のディアドラ様の要請もあってこちらに参ったのですわ!」


 突然家名まで出された当人は、きらきらさせていた目を瞬かせてその生徒を見る。そしてコーネル王子は生徒からディアドラに目を移し、無感情に言った。


「ディアドラ。それは本当か?」


「コーネル様、(わたくし)はーー」


 平坦なのにひどく剣呑なその声に、ディアドラはもちろん私も震えた。これはいかん、筆跡どころではなくなってきたと思って反射的に脱出口である扉を見ると、いた。大人がいましたよ。


 何やら言い合うコーネル王子とディアドラに注目が集まる中、私はその大人ーーウィズダム司書に近づいた。


「……あの、すみません。私はアリス・レンフィールドと申します。不躾なお願いですが、この場で唯一の成人であるあなたが事を収めてくださいませんか」


「ああ、これはどうも。私は司書のマーク・ウィズダムです。君の申し出をできれば叶えたかったが、あれは私には無理だなあ」


 初対面ぽく小声でお願いしたら、同じく小声で爽やかに拒否された。ならばその甥である最終兵器ラシャド氏だ。と思ったのに、彼はこの場にいない。そしてユージーンもいない。


 訝る私に、ウィズダム司書が大丈夫だから放っておきなさいと気楽な調子で耳打ちしてきた。何が大丈夫なのかちっとも分からないが、仕方ない。諦めて、私は揉める王子達から離れた壁際にくっついていることにした。


 制服がグレーなので、石の壁と少しでも同化できるかも知れない。すると、ここまで沈黙を守っていたヒヨコが、ウキウキした声で私の耳元で囁いた。


『乙女アリスよ、ここにいる愚か者どもを一網打尽にする魔法を伝授してやろう。生体反応がなくなるまで風の刃が切り刻むという、爽快な魔法だ。我の言う通りにするのだぞ。まずは、体の中心に魔力を集中させーー』


 突然始まった悪魔による虐殺の教唆に、ぞわぞわと恐怖が背中を這い上がり――私は堪らず叫んでいた。


「誰がやるかそんなもん!」


 ……やってしまった。私の声で、生徒達だけでなくコーネル王子とディアドラも固まっている。しかし次の瞬間には、私への集中砲火が始まった。

 彼らが何の話をしていたのかさっぱりだが、私の発言はちょうど嵌っていたらしい。主に女子生徒が、私を睨みながら嘘をつくなと叫んでいる。


 やれ男子生徒に色目を使うなだの生まれが卑しいだの不正に編入しただの、好き放題に浴びせられる暴言に、私は却って怯えが消えた。断じてヒヨコのお陰ではない。だって、私の胸にはあの怒りが湧き上がっている。


「私達はお前を同じ貴族とは認めませんわよ! 爵位を名乗ることもおこがましい家の生まれだというのに、狡猾にも学院に潜り込み、このような騒ぎまで起こすなど、成り上がりのレンフィールドの娘は恥も知らないようね!」


「ーー成り上がりだから何だと言うの。そんなもの、私には関係のないことだわ」


 気付けば口が勝手に動いていた。アリスさん、穏便にお願いしますと思いながらも、胸に滾る熱は私にも抗い難い。何故なら、これは私達の怒りだから。顔を上げた私は、恥知らずと言った女子生徒を見据えていた。


「私が男子生徒に色目を使っていたとして、何が悪いのですか? それに私を認めないだなんて今更です。あなた達は最初から、私のことを陰で成り上がり者の庶子と呼んでいたでしょう。あなた達にへつらうのも、内心を隠して優しい顔をする人達に媚を売るのも、本当はどちらも願い下げなのよ!」


「ついに認めたわね、使用人の娘が! 皆様、お聞きになりましたわね。アリス・レンフィールドは保身のために男性に取り入るという破廉恥な行いを、自ら認めましたわよ!」


 立ち上がってそう叫んだ生徒に続こうと、他の生徒達も息を吹き返したように罵詈雑言を投げつけてくる。男子生徒の方はというと、我関せずといった顔で黙って座っていた。私が彼らの方を睥睨するとみんな途端に目を逸らしたが、逃さない。


「あなた方も無関係ではないでしょう。私のことを、同じく陰で娼婦の娘と呼んでいるもの。私も母も身を売った覚えなどないのに、随分な言われ様ですね。そんなあなた達に媚びたところで、守ってもらえるなどと思っていませんでしたが」


 せせら笑う私に男子生徒は青ざめ、女子生徒はますます顔を赤くした。彼らが声を落としていても、アリスには聞こえていた。私はというと、陰口にまで集中して耳を傾ける労力を惜しんでいたせいか、気づいてなかった。翻訳されなかったのかも知れない。


 しかし、アリスは男子生徒を物色してはいたが、クラスメイト達との関係が悪化した記憶はなかったと思ったが。私は空気を読めていなかったようだ。

 それでも、アリスの鬱憤を晴らしまくって高揚した今の私は、彼らにはさぞ悪女らしく見えていることだろう。


『乙女アリスよ、今こそこの愚民どもに我らの力を示す時。良いか、練り上げた魔力を血流に乗せて全身に巡らせ、それをーー』


 このヒヨコ、ついに生徒達を愚民どもって言ったよ。どこの暴君だお前は。私は右肩に乗った黄色い悪魔をポケットに収納した。

 その時、蜂蜜色の髪が揺れたのが見えて、すっと頭が冷えた。そして、自分が言い放った言葉を思い出す。


 ーー本心を隠して優しい顔をする人。願い下げとも言った。

 コーネル王子がこちらを向くのを、私は凍りついたようにただ見ていた。


「ーー違う」


 無意識の呟きは、降ってくる罵声に紛れた。明るい空の色をした瞳は、私を見たらきっと軽蔑を露わにするーー。

 しかし視線が絡んだのは一瞬で、すぐに立ちはだかったディアドラによって遮られる。私はコーネル王子の目から逃れたことに、心底ほっとしていた。早鐘を打つ胸が静まるのを、俯いて待った。


「コーネル様、これでお解りになりましたでしょう。アリス・レンフィールドはこのように生徒達の心を乱し、不遜な振る舞いを恥じもしない者ですわ。彼女が呪いの手紙を送っていても何ら不思議ではないと、皆が思っています」


「自重しろディアドラ。お前が先導をしてどうする。彼女の人柄と今回の事件を結びつける前に、事実のみを明らかにせよと何度言えば分かる」


 硬い声で叱責され、ディアドラが傷ついたように身を硬くしたのが彼女の背中から分かる。彼女のお陰で少し落ち着いた私は、改めて二人を見た。


 彼女はコーネル王子が先ほどから硬い口調を崩していないことに、そして彼女に公爵家の人間としての振る舞いを求めていることに気づいていない。それを王子も分かっているだろうに、彼女を突き放しているように見える。


 二人は婚約する間柄のはずなのに、ギスギスしている。私が悪役である以上、ディアドラはコーネル王子と結ばれるとヒヨコも言っていたけど、運命の力とは人の思いを超えて働くものなのか。

 私はアウト判定によるループにしか運命の力を感じないが、二人には「運命的な」出来事が起きて恋に落ちるのだろうか。


(わたくし)はーー申し訳ございません。冷静さを欠いておりました、コーネル様」


「いいえ、ディアドラ様は正しいですわ! やはり筆跡の検証など必要ありません。アリス・レンフィールドは、ルイーズ様と私達に対して暴言を吐いていましたもの。悪意があったことは明白です!」


 せっかくトーンダウンしたディアドラを煽るように、甲高い声が割って入る。これはレイチェルか。途端に私も見ましたという声がそこら中から上がる。

 仕方ない、ここは私が乱入して縦ロール連合達を何とかしよう。これ以上彼女らが好き勝手言うのを聞きくないし、どの道私は既に悪女認定されている。


「暴言を吐いたのはあなたでしょう、レイチェル様。影で囁かれるのは仕方がないと見逃していましたが、あの時は面と向かって言われ、黙っている理由はないので反論しましたが……」


 一旦言葉を切り、改めてレイチェルを見た。するとレイチェルは額に青筋を浮かべて震えている。


「……私はレイチェル様ではなく、カーラと申しますのよ……」


「えっ」


 本当にレイチェルじゃないの?と改めて彼女を見るが、やっぱり友の会のーーあっレイチェル彼女の隣にいる。レイチェルすっごい気まずい顔してる! しまった、私がアホみたいというかアホそのものじゃないか。ヒヨコ、そのしらっとした目をやめて。


「そ、それは失礼しました。縦ローーいえ、ルイーズ様のご友人のお一人ですね。ええと、どちらにしても、私の口汚い暴言とやらをここで明かすのは憚られますので、ご友人方が私に言った言葉を、ここにいらっしゃる皆さんに教えていただけますか?」


 お前らも随分と下品なことを言っていたがな! という語尾を隠して言うと、カーラは先ほどの勢いが嘘のように言葉に詰まった。この人数を前にして一人で口にするのは躊躇するだろう。

 とりあえずカーラ嬢が黙ったので、私はディアドラに向き直った。


「ディアドラ様、先ほどの言葉を反故になさるのですか? あなたは、筆跡を調べることを殿下の前でも了承なさったはず。いくら周囲の声が大きいからといって、このままなし崩しにされては困ります」


 私の言葉で、悄然としていたディアドラが着火した。紅茶色の瞳を燃やしながら腰に手を当て、「コーネル様とのお約束を違えるなど、言語道断ですわ!」と元気になった。


「ウィズダム司書! 早速この者の筆跡と、呪いの手紙の筆跡を調べてくださいませ!」


 突然指名された司書氏は、読んでいた小さな本を懐にしまうと慌てて真面目な顔を作った。こんな騒々しい中で優雅に読書していたのか……。いいなあ他人事で。


 私の羨ましげーーいや、恨めしげな視線を受けて、ウィズダム司書は目元を引きつらせながら前に出る。そして彼は、どうやって調達したのか私の編入試験の答案を教卓に置き、続いてコーネル王子が二通の呪いの手紙を置いた。

 長い茶番を経て、やっとで筆跡鑑定の始まりだ。と思ったら、


「ーーその前に、無関係の者は外に出ろ。今すぐにだ」


 沈黙を破ったコーネル王子の命令によって、粘っていたカラフル集団以下水増し要員達は退室していった。普段声を荒らげたりしない人が怒ると、ものすごく怖い。王子は目が座っていた。


 すっきりして酸素濃度の上がった教室内は、静寂を取り戻した。

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