第二話
俺の手を引いた彼の名前は思い出せなかったが、少しずつ状況は分かってきた。
「うお・・・すげえ・・・」
とりあえず、俺は少年時代、小学5年生か6年生に戻っていた。それはそこにいる友人の顔ぶれから分かった。確か高学年になった頃はこいつらとよく遊んでいたはずだ。
「ちょっ!ページめくるのはええよ!」
そして、俺は今彼らと近所の公園の隅で落ちてたエロ本の鑑賞をしている。
大人として止めるべきかとかそこそこ葛藤はあったが、まあいいだろ。どうせちょっと過激なグラビア雑誌だし。しかしこんなもので興奮できていた時代があったなと非常に感慨深くなっていた。状況が意味不明すぎて目の前のことにしか考えが追いついていなかった。
「胸でかすぎだろ・・・」
いかんいかん、と冷静に考え直す。
もしかしたらあの家に入った瞬間に何か発作が起きて、俺は死ぬ直前に見るという走馬灯を経験しているのかもしれない。それならそれでもう別にいいかな。正直未練とかは特にない。
「めちゃくちゃエロいな・・・」
それか、もし本当にタイムスリップをしていて、ここから人生やり直しとかなら少しめんどうだな。別に昔に強いトラウマがあるわけでも、とてつもない失敗をしてやり直しをしたいとかいう願望もない。順当に生きて、その時できる努力をそこそこにして今、というのも変だが今に辿り着いていた。今努力をしているかと問われれば、さあ?という感じだが。
「・・・ちょっとこいつ加藤に似てね?」
まあ考えても分からないものは分からない。とりあえず成り行きに任せよう。
それにしても少年たち、食いつきすぎじゃないか?成人女性の身体に興味を向けるのはまだ早い!その情熱はクラスの気になるあの子にぶつけろ!あと言っとくけどおじさんは不純な異性交遊は許さないぞ!
グラビア雑誌の鑑賞が終わると、少年たちの興味はもう次に移っていた。
どこからそんな話になったのかは分からないが、そのグラビア雑誌を使って缶けりならぬ、雑誌けりをやろうとしていた。
俺はなんだか上手く会話に入れず、一人一人の名前を把握することに集中していた。
しかし缶けりねえ・・・。なぜ子どもは激しい運動を伴う遊びを苦にしないのだろうか。今さら本気で缶けりができる気がしなかった。本気でやろうとしても、その行為はどこか嘘くさく、白々しい気持ちになってしまいそうで、それは少年たちの心を、それどころか自分の少年時代までも汚してしまう行為な気がした。
気乗りしないまま鬼決めのじゃんけんに参加する。まあやるだけやってみるか。久しぶりにこいつらと遊ぶことができるというのはやっぱり心惹かれるものがある。
「じゃん、けん、ポン!!」
心配は杞憂だった。
最初に隠れるときこそ、何をやっているんだ俺は、となんだか気恥ずかしさのようなものがあったが、ゲームが進むにつれて自然にのめりこんでいった。
鬼が誰かを探すふりをしながら雑誌から離れる。そしてその隙に一人が囮となって突撃する。次にその反対方向からもう一人が突撃する。そんな単調な遊びなはずなのにバカみたいに楽しかった。
久しぶりに全力で走った。走っても足はもつれないし、つることもない。息は切れるけどちょっと休めばすぐに走り出せる。実年齢はそんなに老けてるつもりはないが、すごく若返った気分だった。実際に若返ってるんだけど。
久しぶりに腹の底から笑った。ただ誰かが転んだだけなのに笑えた。下らない小学生の悪ふざけがなんだか無性に面白かった。体中汗だくで、シャツが張り付いていたが、不快感なんてなかった。
楽しい時間はあっという間に過ぎて日が傾いていた。
最後のゲームを終えると、誰かが
「帰るかあ」
と言って、みんなでぞろぞろと停めてある自転車に向かう。
「じゃあね!」
「じゃあな~」
各々が自分の自転車にまたがり、散り散りになっていく。
俺はエロ本を拾った健介と帰る方向が一緒だった。健介とは今日のファインプレーについてしばし盛り上がった。次にクラスメイトの話題になり、ああ、そんな奴いたなあと懐かしく思いながら聞き役に徹した。
やがて健介と別れる場所に着いた。
「また明日!」
と言われて一瞬息が詰まる。そうか、そうだよな。また明日会うんだろうな。
「おう!また明日!」
と勢いよく返して、俺は健介の後ろ姿をしばらく見送っていた。
夕焼けが燃えるように赤くて、自転車に乗って去って行く旧友の後ろ姿は、すごく綺麗だった。映画か何かのワンシーンのようだった。そんなことを思いながら俺は昔のことを少しずつ思い出していた。
この場所でよく健介と遊び終わった後も暗くなるまで話し込んだことがあった。健介とは中学に上がっても仲が良くて、変わらず一緒によくバカなことをした。でも高校は別々で、それから成人式まで会うことはなかった。成人式が終わった後、仲が良かった何人かで飲みに行った。そこに健介はいた。やっぱり相変わらずで、アホな話で騒ぎながら酒を飲んだのを覚えている。だがそれきりだ。あれ以来会っていない。あれからもう何年も経った。あいつは元気にしているだろうか。
胸が締め付けられるように痛い。急に冷静に、大人の俺に戻ってしまった気がした。
これから家に帰る、それを考えた時、帰る場所がどこか分からないような感覚に陥った。
家に帰っていいのだろうか?あの家は俺が帰る場所じゃなくて、少年だった俺が帰る場所だ。
ここに来る前、俺は実家に帰りたい、あの日、あの瞬間、あの場所に帰りたいと思った。
なのに、今、なんだか家に帰るのが後ろ暗く感じられた。
少し寄り道をすることにした。
野球になんて興味もないのによく来たバッティングセンター。
友達と当たらないバットをめちゃくちゃに振り回して、たまに当たれば大喜びした。終わった後は決まって横にある自販機でジュースを買って、今日の成績について盛り上がって、野球のことは何も知らないけど適当なアドバイスをし合った。ここは高校生になる頃にはつぶれてしまって、その時は何の感慨もなく、もう興味もなかった。
百均で買った釣竿で、友達と釣りをした小川。
面白いくらいにメダカが釣れて、持ってきた虫かごに川の水を入れて持って帰った。確か全部すぐに死んでしまって、子どもながらに強い罪悪感を感じたのを覚えている。あれ以来生き物を飼うことには若干の抵抗がある。
遠足用のお菓子を買ったスーパー。
母親に持たされた500円。友達と何を買うかしばし悩み、お菓子コーナーで熱い議論を交わしたことを思い出す。今思えば、別にちょっとくらい値段オーバーしたってバレやしないのに、律儀にルールを守ってどの組み合わせで買えばいいか真剣に考えていた。
またふと我に返った。
本格的に日が沈み始め、辺りは青暗くなってきて、そこにぽつんとスーパーの白い電光がやけに浮き上がって見える。店内からはせわしなく買い物袋を下げた主婦たちが出てくる。これから家に帰って家族のために晩御飯を作るのだろう。
たった三か所、たった三か所回っただけで、色んなものが溢れ出してきて、気がつけば涙が出ていた。もう自分が何を考えているのか、どうしたいのかよく分からなかった。
懐かしい帰り道も、自転車で切る風の心地よさも、どこかの家の晩御飯の香りも、全てが胸を締め付けてきて、泣きながら自転車を漕いだ。
読んで頂いて、誠に感謝しております。




