第2章ー2
では、敵国のエース達にとって、「雷電」は、どんな戦闘機だったか?
ドイツの誇るトップクラスのエース、2人の証言によれば、
ハンス・ヨアヒム・マルセイユ
「嫌な相手だった。「雷電」は。ともかく、落ちてくれない。偏差射撃の名手の私なら、「零戦」どころか、「疾風」だって、数発も当てれば、まず落とせた。だが、「雷電」は別だ。ともかく、当てても当てても平然と逆襲してくる。15ミリ以下では、「雷電」相手では効かない。20ミリなら、「雷電」を落とせるが、それでもまず急所を撃ち抜かないとダメだった。本当に嫌な相手だった」
エーリヒ・ハルトマン
「自分は「雷電」とは正面切って戦ったことが無い。だって、自分の得意な一撃離脱戦法は、向こうの方が、もっと得意なのだから。ともかく不意打ちして、すぐに逃げる。「雷電」相手の場合には、その戦法に、ひたすら徹していたよ」
ドイツのトップクラスのエース、2人をして、「雷電」は、こう嘆かせる存在である。
ソ連にとっては、もっと嫌な相手だった。
「スターリングラードの白バラ」と敵空軍のパイロットには謳われ、「ソ連のジャンヌ・ダルク」と味方からは呼称された、ソ連空軍の女性トップエース、リディア・リトヴァクの証言
「初めて「雷電」と対戦した時、20ミリ弾数発を、私は確実に当てた筈なのに、平然と「雷電」は逆襲してきて、私は逃げ惑う羽目になった。それ以来、「雷電」1機落とすには、至近距離から、搭載している銃弾を全弾ブチ込む必要がある、と私は考えて、それによって大戦中に何とか、のべ3機を落としたが、後が本当に嫌だった。もう、銃弾が無い以上、自分は、敵機から逃げ回るしかないからだ。「空飛ぶ戦車」としか、言いようがない相手だった」
独ソの地上部隊にとっても、「雷電」は嫌な相手だった。
15ミリ以下の銃弾で、対空射撃を撃っても、どうせ効かないよ、と平然と無視して襲ってくるのだ。
初期型でも20ミリ4挺、後期型になると30ミリ4挺の銃弾の雨が、空から降ってくるのである。
初期型でも、装甲車程度なら、あっさり破壊されてしまい、ドイツの誇る4号戦車やソ連のT-34戦車でも、さすがに後期型の30ミリ4挺の銃弾の雨に対しては、そう耐えられない。
かといって、歩兵が持っている小銃や機関銃の対空射撃、装甲車両に通常、搭載している機関銃の対空射撃では、「雷電」は、まず落ちてくれない。
独ソの地上部隊にとって、空襲を避けて隠れているところに、「雷電」が飛んでいるのを見かけた場合には、対空射撃厳禁がお約束だった。
下手に対空射撃をして、自分達の隠蔽が破られたなら、猛烈な空襲の雨が、自分達に襲い掛かってくるのは、自明の事柄だからである。
そして、自分達の手持ちの武器では、「雷電」に対抗できないのだ。
ドイツの兵士の間で、最初に広まり、更に、ソ連の兵士の間にまで広まった「雷電」に対する仇名に、
「ギリシャ神話に出てくるゼウスの雷」
というものがある。
実際、「雷電」は第二次世界大戦の間、独ソ中の兵士にとって、「ゼウスの雷」の如き、猛威を振るう存在として、終戦まで名を轟かせる存在となった。
「雷電」より後に登場した米国のP-47戦闘爆撃機の仇名が、サンダーボルトになったのも、「雷電」にあやかろうとしたからだ、という俗説が流布されるまでの存在に、「雷電」はなった。
このように第二次世界大戦で活躍した「雷電」が、軍用機のジェット化が進む第二次世界大戦後、いわゆる中小国の空軍が採用する軍用機として、人気の存在になったのは、ある意味で当然だった。
実戦で有効性を実証し、旧式化して安く買える軍用機に「雷電」はなったからである。
第2章の終わりです。
次に間章を挟んで、第3章に入ります。
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