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何がどうしてこうなった。
(え・・・ちょっと待って。どうしてこのひとたちがここにいるの?)
何処からか現れた幾人もの屈強な男たちに取り囲まれて、朱花の頭は半ば混乱状態だった。無意識に伸びた手が紅雲の袂をぎゅっと握り締め、それに気づいた彼が目を細める。
「・・・どうして」
「俺が呼んだんだよ」
「!」
意外な声からの返答に、朱花は弾かれたように紅雲を見上げた。
「なんでっ!」
声を荒らげた朱花の頭を紅雲がぐしゃりと撫でる。そしてポンポンと軽く叩いた。
(・・・っ、なんで)
嫌になったのかと思った。落ち着きのない朱花の面倒を見ることが嫌で、彼らを呼んだのだと。だって、無銭でほぼないに等しい対価の朱花を相手に商売をするより、彼らに朱花を届ける仕事をした方が懐は潤う。だから、紅雲は朱花から彼らに商売相手を変えたのだと。そう思った。
けれど。頭を撫でる手は、泣きそうになる朱花を宥めるように。優しくなんてないけれど、温かい手だ。最初に彼の前で涙ぐんだ時と同じ手の温かさ。
それだけでこのひとを信じようだなんて考える自分は、大馬鹿者なのかもしれない。
「降りて来なさい。まったくたかが商人風情が、宰相家の娘を拉致ですか・・・」
「違う! これは私が!」
聞こえてきたあらぬ誤解に、朱花は声を上げる。
「何が違うと言うのです。───私は降りて来いと言ったんですよ」
冴え冴えと冷たい視線が突き刺さる。紅雲の袂を握る手に力が籠った。
(怖くなんてない。こんなひとたち、怖くなんてない・・・!)
「よっと!」
「!?」
唐突に、ふわりと足が浮いた。
唇を噛んで俯いている朱花に何を思ったのか、紅雲が朱花を抱えて身軽に御者台から降りる。
「あ、の・・・紅雲さ」
「相変わらず軽いな、お前は」
「え?」
ぼそっとした呟きに紅雲を見つめると、そっと地面に下ろされた。そしてそのまま、ばふっと腕に抱き込まれる。
(なに!?)
バクンバクンと暴れ始めた心臓を宥める為にも離れようと身じろぐが、逃れようとすればするほど腕の力が強まって動きを封じられていく。
「呼びはしたが、返すとは言ってないんでな」
ちゃきっと、小気味いい音がした。何事かと紅雲に抱きかかえられたまま体の向きを反転させれば、視界に飛び込んでくるのは今朝紅雲が扱っていた片刃の得物だ。
(あっ。これもしかして荷袋から飛び出てたやつ)
普通の剣より剣身が短い気がする。剣より短く短剣より長い。
陽の光をきらりと反射する得物をおそらく朱花を回収するために近づいてきた男に突きつけて、紅雲は不敵に笑った。
傍から見れば完全に、人質を取って周りを牽制する強盗犯の図だ。
「必ず来ると思ってたよ。宰相代行夫妻・・・とその息子」
「お前ね。あんなふざけた伝言を寄越したのは」
───〝宰相夫妻の死は、不幸が重なって起こった『必然』の事故だ〟
義母が忌々しそうに顔を歪めた。
今朝返り討ちにした男どもに告げた伝言は、どうやらきちんと届いたらしい。紅雲は片頬を吊り上げる。
「宰相夫妻は不幸な事故に遭って亡くなった。長い雨期で緩んだ地盤が土砂崩れとなって宰相夫妻の馬車を呑み込んだ事故。だがそれは、偶発的なものじゃない。そうだろう、宰相代行夫妻?」
雨期のせいで地盤が緩んでいたことは事実。土砂崩れが朱花の両親が乗った馬車を襲ったのも事実。宰相代行夫妻は偽りは述べていない。
(どういうこと?)
朱花には紅雲が何を言いたいのかがよくわからなかった。突然始まった謎解きのような問答に戸惑うばかりだ。必然、至近距離にある端整な顔を問うように見つめることになる。
「偽りを言うこと以外にも、嘘をつく方法があるんだよ。偽りはいつか露見する。述べた虚偽は取り消せない。なら、───何も言わなければいい」
「!」
「要は相手に知られなければいい。騙せればいい。五ある内の四の真実を言えば、誰も真実がもうひとつあるだなんて考えない」
そうやって自分に都合の悪い事実を口を閉ざして隠してしまえば、上手く事を運ぶことが出来る。発言の裏を取られたとしても、偽りは吐いていないのだから誰も深追いはしない。提示されたものの裏さえ取れれば大抵の人間は満足してしまう。
「ただしそれは、端からすべてを疑ってかかる常識外れな人間がいなかった場合の話だ。俺みたいな調べないと気が済まない奇怪な人間は、自分の目で見て耳で聞いたものしか信じられなくてね。・・・宰相夫妻を襲った土砂崩れ。確かに雨期も要因のひとつだ。けど一番の大きな要因は、アンタらの土地開発」
悪いな、全部調べちまったんだ。と、紅雲は続ける。
「あそこの土地、管理はアンタらに委託されている。そしてあの場所は元々そんなに地盤が強くない。雨期の前から始めていた開発工事を、やめておけばいいのに雨期が終わってすぐさま再開させ、さらに雨期での遅れを取り戻すために日が昇ってから沈むまで工事を続けてりゃあ、土砂崩れが起こるのは必然。家の繁栄と宰相夫妻に対するくだらない見栄のために無理に開発を進めた結果がこれってわけだ」
「黙れ! 大体何を根拠にそんなこと」
「───調べたって言っただろが」
宰相代行の怒鳴り声を掻き消したのは、決して激しくはない語調だった。静かすぎる語気に、朱花は紅雲の腕の中で首を竦ませる。
(・・・怒ってる・・・?)
そろりと見上げた先の紅雲は、波紋ひとつない水面のように静かな顔をしていた。けれど黒い眸の中心で揺れるのは真っ黒な怒りの炎。
「朱花と会ってから調べたわけじゃない。俺は宰相夫妻が亡くなった一年前から、あの村の土地管理資料を集めたり実際に足を運んでみたりしてたんだよ」
「ふざけるな! 土地の情報は重要機密。お前のような下賤な商人に調べられるわけが」
言いかけて宰相代行は押し黙った。紅雲がにやりと口元を歪めたからだ。
「春翔国は旭神を崇め奉る仕事の国。本来は太陽神である旭神が、何故職業の神とまで言われるようになったのか。それは日が昇れば人々が働くからだ。太陽は人間に活動の時間をもたらす尊いもの。そしてこの春翔国が仕事の国として他国にまで名を馳せているのは尊き太陽の神旭神の加護をもつ、旭神の血を汲む王族がいるから」
この国の人間なら誰もが知っている建国神話を歌うように紡いで、紅雲は僅かに顔を歪めた。
「だがその王族も、十六年前の戦で城内部に入り込んだ賊によって討たれてしまった。王族の居室は炎に焼かれ、遺体すら残らなかった」
「・・・こううんさん・・・・・・?」
「王位継承権を持つ人間は、旭神に認められた印に、体のどこかに入墨のような痣が浮かび上がる。神の加護を離れる七つの年に」
(それって、まさか・・・)
朱花は大きく目を見開く。
今朝彼の手当てをしたとき、その左腕には烏の文様が刻まれていた。入墨のように彫られた痕にしては肌に凹凸がなくて───。
話の流れが読めていない宰相代行夫妻は怪訝に眉をひそめている。
朱花をちらりと一瞥して、紅雲はそっと顔を伏せた。
「王や王妃は十六年前のあの日、確かに儚くなった。目の前で討たれたのを〝俺〟は確かに覚えている」
「な、にを言って・・・」
「言っただろう。王族の住む居室は炎に包まれた。遺体は炎に巻かれて焼かれて骨すら残らなかった」
十六年前。まだ六つだった自分の目の前で起こったことを紅雲は今でも夢に見る。
立ち込める煙。蔓延する臭気。肌を嬲るのは炎によって熱せられた熱い空気だ。
「一度は捨てた王族の身分、あの日俺を命からがら救い出した宰相夫妻のために使うのはやぶさかじゃない。さあ、どうする。このまま宰相代行として栄華を極めるか、一度は沈んだ太陽にその身を焼かれるか。選ばせてやるよ」
体に回された腕に力が籠る。
微かに掠れた低い声には、僅かな哀しみが含まれていた。
***
「許せないと、思うの」
僅かに血のにじんだ包帯を真新しいものに取り換えながら、朱花はぽつりと零した。
結局あの後、生きていた王族に恐れをなした彼らは朱花を自由にすることを条件にこのまま宰相代行として生きていく道を選んだ。どうあっても、家の繁栄を望むらしい。その欲深さは、人間らしいと言えば人間らしい。
「あのひとたちが、無理に土地開発を進めていなければ。地盤の緩さをちゃんと報告していれば、お父様とお母様は亡くなられたりしなかったのかもしれないのに・・・!」
恨んでも恨み切れない。これからどれほど時が経ったとしても、朱花は心のどこかで彼らに対する恨みを持ちながら生きていくのだろう。
事のあらましを聞いた時、涙なんて出なかった。それなのに、今は目が熱くて仕方ない。
「おー、恨め恨め。その感情は、時としてどんなものよりも強い武器になる」
ぐしゃぐしゃと頭を撫でる手が、悲しみに拍車をかける。
「うっ、わああああん」
朱花は声を上げて泣いた。幼子みたいに紅雲にしがみついて泣き喚く。押さえようとしても止まらない。涙も、声も、溢れ出る感情も、───何もかもが。
泣いて泣いて、ようやく泣き止んだ時、朱花の目は真っ赤に腫れていた。
「ぶっさいくな顔してんなぁ」
苦笑しながら涙を拭ってくれる紅雲の手が優しい。ああ、まずい。また泣きそうだ。
「俺の親はさ」
「陛下と王妃殿下・・・?」
「そう。王と王妃は嘆いていたらしい。自由に商売出来て仕事も選べる国なのに、王族に生まれたってだけで自由が制限されて敷かれた道の上を歩くことしかできない」
───〝紅様。恨んでください。あなたのお父上とお母上を奪った賊を。護り切れなかった我らを。そしてどうか、お父上やお母上が望んだように、ご自分でご自分の道を選ばれませ。そのためのお手伝いならばいくらでもいたしましょう〟
朱花は道を選ぶために何も教えられなかった。
紅雲は道を選ぶためにすべてを教えられてきた。
そこにある違いは、すべてを与えられた者とすべてを奪われた者。
朱花はずずっと鼻をすすった。
(これからどうしよう)
自由になったけれど、その自由があまりにも空っぽで。
服を着直している紅雲をぼーっと見つめながら思う。
(やりたいこと、探さなきゃ。・・・私は、どうしたいんだろう)
トン、と。ふいに目の端ぎりぎりを軽く押された。朱花は反射的に目を瞑ってしまう。
「目、だな」
「・・・?」
おそるおそる目を開けて、間近に迫った端整な顔に息を呑む。
紅雲は短くなった朱花の髪に触れ、血色の良い小さめの唇を指先でつつっとなぞり、すっかり石化してしまった朱花の目元に再び指を置いた。
「隣町まで運んでやる対価は髪。追っ手を蹴散らした対価は唇」
ぼんっと、朱花の顔が赤くなった。
愛するひととするものなのよ。そう言った母の言葉が耳に蘇り、嫌でも自覚せざるを得ない。
触れた熱は、不快じゃなかった。離れていこうとする熱が、少しだけ名残惜しかった。
そして何より。───対価は嫌だと、胸が痛んだ。
隣りにいてくれる気配も、頭を掻き回す手も、抱きしめてくる腕も、そのすべてが。
(ああ、駄目だ。私は、紅雲さんのことが───)
「お前を自由にしてやる対価は目。・・・切ったり抉ったりはしなくていいから、俺が見る景色をお前も一緒に見ろ」
「・・・・・・紅雲さん、気障なこと言えたのね」
自分の心ばかりが掻き乱されるのが悔しくて、朱花は耳まで真っ赤になりながら紅雲を睨む。
盛大にむくれる彼女に彼は不敵に笑って見せた。
「何せ誰かさんは、このまま俺と一緒にいたいらしいからな」
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。ひとまず【はこび屋】完結です。
その後の後日談的なものを自サイトのweb拍手にて掲載していますので、お時間ありましたら暇つぶしにでも……。
http://yusainouta.weebly.com/
01/30追記
頂いたコメントへのお返事をしました。
http://kazusauta.exblog.jp/24094713/