第三章「第一の事件」――その三
『幽霊探知機』は明日も使うということで、合宿所の入口の脇に置き放したままで、五人は建物の中に入った。
最後尾、香々美は入口のドアを閉めて鍵をかけると、前方の四人に向かって、
「あ。さっきお風呂のお湯入れておいたんで、もう入れると思いますよ。じゃあ……年功序列ということで、八代先輩からちゃっちゃと入っちゃってください」
「え? いや、僕は少しナガツキさんと団らんしてから……」
「もー、ぶちぶち言ってないで早く入ってくださいよ。先輩には早く休んでもらわないと。明日も頑張れないじゃないですか」
「はいはい、分かりましたよ…………………って、ええ! 明日も? 明日もあれをやるんですか!」
「ほらほら、行った行った」
しっしと言うように香々美は手を振る。その「反論はすべからく聞く耳持ちません」というような表情に反抗を諦めたのか、八代はすごすごと自分の部屋へ戻り、洗面具と着替えを抱えて風呂場の方へと歩いていった。
そして残りの四人は、再度それぞれの時間を過ごし始める。
ナガツキは洗い物の続き。他の三人はテーブルに向かっていて、雑音は読書、香々美は携帯のメールチェック、左は自分のバッグから別の心霊グッズを取り出してきていじくっている。たまに他愛ない会話をキャッチボールする程度で、ゆったりとした時間が過ぎていく。
そんな中、左はふと何かを思いついたような顔をして、ポータブルゲームのような機械をいじっていた手を止めた。そして台所の方を振り返りながら、
「そう言えばナガツキさん。さっき何か感じなかった?」
「何か……と言いますと?」
「だから、幽霊に関する何かだよ。霊気を感じたとかさ」
「霊気………ですか? ………いや、別にそういうことは……」
困ったように答えるナガツキ。
今度は雑音が本から顔を上げて、
「……というか、ナガツキさんって、幽霊と関係あるの? 一応、精霊なんでしょ?」
「はい。わたくしは自然界の精霊、詳しく言えば草の精霊です。この辺りの植物を見守り、慈しみ、そして愛でるのがわたくしの精霊としての仕事になります」
「それって、幽霊とは違うの?」
「はい…………まあ、幽霊の定義がよく分かっていないのですが、死んだ人間の意志から生まれるとか、死後の世界からこちらに渡って来るものだというのなら、明らかに違いますね。わたくしは最初から精霊として存在し、常にこの現世に身を置くものですから」
「……じゃあ、現世以外の世界っていうのも、あるの?」
「さあ、分かりません」
ナガツキは首を横に振る。
「わたくしはこの現世しか知りませんので、あるのか、あるいはないのかも、まったく分かりません」
「…………そっか」
たいして気落ちした風もなく、雑音は頷いた。
そもそも、それを知っているなら香々美がナガツキからすでに聞き出していただろうし、香々美がそれを部員に知らせていただろう。しかしそんな話はまったく聞いたことはなかった。つまり、香々美もナガツキから聞けなかったということ、ナガツキにも分からないことだということ。元々予想していた通りだ。
雑音は手元の本のスピンをページの間に挟みながら、
「……じゃあさ、話変わるけど、ナガツキさんってどうやってそうなったんだ? ……ええと、つまり、その体は一体どうやって手に入れたんだってこと」
「ああ、この体は人形なんですよ」
答えながら、ナガツキは自分の白い腕を撫でる。袖からのぞいたその肌は、もはや色白とは呼べないほどの――まるで絵の具のような――白だった。
「主がピンチに直面しまして。それを救うためにわたくしは呼び出され、その時主が持っていた人形にとり憑いて、この世界に降り立ったというわけです」
「……そのピンチって言うのは?」
「子猫がトラックに引かれそうになってたんです」
懐かしむような、あるいは主人の行動を誇るような笑顔で、ナガツキは言った。
「主の目の前で子猫が道路に飛び出して、そこにトラックが向かってきまして。そこでわたくしは呼び出されたのです。主の鞄についていた人形に。それで、わたくしは急いで道路に飛び出して、子猫を抱え上げて、間一髪――」
「助かったのか」
「はい、猫は無事でした。わたくしも足が吹き飛ばされるだけで済みましたし」
雑音と左はあんぐりと口を開ける。
「……え? じゃあ、その足は?」
「この体はあくまで人形ですから。修理すれば簡単に直ります。そもそも、物理的な手段だけではわたくしを消し去るのは不可能です。たとえこの体が木っ端微塵になっても、わたくしの存在自体には何の影響もありません。妖刀でも使って、わたくしと人形の〈繋がり〉を断ち切らない限りは、わたくしは消えません」
「……妖刀、ねえ」
「はい。さっきの日本刀も、実は妖刀の一種なんですよ? だからあれでわたくしを絶てば、わたくしはしばらく戻って来れなくなります。…………まあ〈繋がり〉が断ち切られても、わたくしが死ぬわけではないので、また別な傀儡を見つければいいだけなんですけどね」
照れたように、あるいは自嘲するように微笑むナガツキ。その笑顔に、雑音と左はどう反応するべきか迷うばかりだった。
と、
「もー。二人ともナガツキちゃんの話ばっかりしてないでよ」
携帯から顔を上げ、いじけたような顔をする香々美。その視線からすると、とかく左の方に不満を持っているようである。
雑音は「仕方ない、構ってやるか」というような表情をして、
「……しっかし、精霊を呼んでいきなりトラックの前に飛び出させるとは、とんでもないことするな、君」
「しょ、しょうがないじゃない! びっくりしたんだから! それに、他に方法はないでしょ」
「……いや、でも、例えば風の精霊みたいのを呼び出して、風でふわっと子猫を移動させたりとかすればさ、誰も怪我せずに済んだんじゃないか?」
「う、うるさいな! そこまで頭が回らなかったの! 一瞬のことだったんだから! …………まったく、小林君っていっつも私に意地悪なこと言うよね。そんなに私が気に入らないの? それならそれで、お互い様だけどねっ」
しかめっ面でぷいっとそっぽを向く香々美。
ふと、首を曲げた先、再度機械いじりを始めた左が香々美の視界に入った。その手元が目に止まる。香々美はそこでこねくり回されているものに興味深げな視線を向け、そしてそちらへと寄っていって、
「ねえねえ、それ何?」
と、話し始めた。
自分のアイテムを自慢げに解説する左と、微笑みながらそれに耳を傾ける香々美。和気あいあいとした雰囲気が、あっという間に二人の間にできてしまった。
そんな二人をしばし眺めていた雑音は、ふっとため息をつきながら椅子から立ち上がった。
それに気がついた左が、
「ん? 雑音君、どこ行くの?」
「いや、ちょっと散歩行ってくる」
「散歩? なに? 星を眺めるとか? …………へえ、雑音君にそんなロマンチストな面があったなんて、意外」
「余計なお世話だ」
言いながら、雑音はすたすたと外へ出て行った。




