第二章「到着」――その一
山間の道を、バスが進んで行く。
高校の最寄り駅に集合し、二回ほど電車を乗り換えて、そこからバスで二時間。窓の外の景色は、駅の界隈とは――まして高校の近辺の町並みとは――もはや完全に打って変わっていた。
左右を山に挟まれていて、その傾斜は森で覆われているばかり。コンビニどころか、民家すらたまにしか横切らない。田舎というより未開拓地に近い風景。コンクリート以外の人工物がほとんどないような場所なのである。
しかし、そんな閑静な風景とは裏腹に、バスの中は遠足気分の賑やかさに包まれていた。
乗客は五人――小林雑音、東香々美、ナガツキ、八代弧主、十二街左――つまり、『幽霊研究会』の一行だけ。皆、後ろの方に固まって座っている。バスの中の人間は、彼ら以外には運転手だけ。車両の中程は空白なのである。
そんな中、後部座席の真ん中に陣取った、茶髪で眼鏡の男――十二街左――が、両隣の八代と雑音を巻込んでウノを開催している。
左は、前の席についている折りたたみのテーブルの上に黒いカードを出しながら、
「行きますよ、会長! ドゥロフォー!」
「残念、僕もドゥロフォーです。小林君に八枚ですね」
「いや、僕もドゥロフォー持ってますよ。左に十二枚です」
「なにー! ちょっと、酷いよ、雑音君! 俺らの友情はどこに行ったんだ!」
「そんなもんが見えてたのか? 眼科か精神科に行くことを勧めるよ」
「ツッコミにも愛がない!」
叫ぶように言いながら、左は山から十二枚のカードを引いた。
八代はそれを見届けると、
「小林君。次の色は何です?」
「じゃあ、黄色で」
「はいはい」
快活に言って、八代は黄色の九を出す。雑音は、その上に赤の九を被せた。
自分の二十枚の手札を眺めていた左は、ふいに不敵な笑みを浮かべ、
「……ふふふ。雑音君。君には友情を裏切った代償を払ってもらわなければならないね。その準備として、まずはリバースを出させてもらうよ。これで君は俺の次。俺の攻撃を直接食らうわけだ。ふふふ。さあ、次のターンからの俺の総攻撃に恐怖するが――」
「もう一度リバース」
「あああ! ちょっとそれはないでしょ! もう俺の手札にリバースないのに!」
唾を飛ばして叫ぶ左。口を拭いつつ左が赤の一を場に出すと、自分の手札をためすがめす見ていた八代は、
「うーむ、十二街君に回すと怖いですね。では、スキップを二枚、出させてもらいます。二回飛ぶので、次は小林君ですね。あと、ついでに僕はウノです」
「ああ! 会長までひどい!」
――一方、その一つ前の座席では、香々美とナガツキが並んで座っている。
窓際の席に座ったナガツキは、窓枠に肘をついて頬を手で支え、ぼーっと流れる景色を眺めている。
その隣、通路側の席では、香々美が携帯電話を熱心に見つめていた。
ふと、香々美のあまりに真剣な様に気付いたナガツキは、
「主、何をご覧になっているのです?」
「ん? メールのチェックだよ。新しい情報が来てないかなあって」
「……まさか『藁人形』ですか?」
「うん、そう」
香々美は首肯。
「主はそんなに、その『藁人形』に興味があるのですか?」
「まあ、ね。…………一応、おばあちゃんの敵をとってくれた人だから」
香々美は尻すぼみに言う。
――『おばあちゃんの敵』。
このセリフを言う度に、思い出したくない、忘れたい、しかし忘れられない思い出――否、ただの記憶の断片が、香々美の脳裏に浮かぶ。
家に帰ると母親がやけに悲しそうな顔をしていて驚いたこと。その直後に祖母の死を知らされて愕然としたこと。犯人は闇の業界のヒットマンで、祖母は流れ弾に当たって殺されたという悲劇。葬式で祖母の死顔を見たときの怒り、悲しみ。犯人が数ヶ月一向に見つからず、その間ずっと味わい続けた苦汁。
――そして、それを打破した『藁人形』。
十年以上前の出来事だというのに、香々美の中にいまだに鮮明に――望んでなんかいないのに、やたら鮮明に――残っている。そんな思い出――否、記憶の断片。
事件が解決――一応の、名目上の解決――をしても、結局香々美の中のもやもやしたものはなくならなかった。過去は過去でしかなく、悲しみは悲しみでしかない。消えるまでは消えない。癒えるまでは癒えない。忘れるまでは――――忘れられない。
そしてその香々美の中の『もやもや』は、ほどなくして『藁人形』への興味へと移り変わった。
図書館で新聞を片っ端から調べたり、書籍を探したり、インターネットで検索したり。そして昨日、ホームページまで開設した。
――人殺しで金を得ている人間をターゲットにしていること。
――首都圏界隈で活動していたこと。
――十二年前の『仕事』を最後に、音沙汰がないこと。
――そして『仕事』には刃物を使っていること。
結局、香々美が知り得たことはこれくらいのものである。これらは皆、一般的にも知られていることだ。つまり、調べても目新しいことは見つからなかったとも言える。
――まあ、しかし
調べ始めて、まだ数ヶ月だ。そんな簡単に細部まで分かるなら、警察だって苦労していないだろう。香々美が探っているのは、そういう情報なのだ。
まだまだこれから――と、自分に言い聞かせるように香々美は呟いた。ナガツキには聞こえぬよう、小さな声で――ナガツキに悟られぬよう、表情には出さずに――ナガツキに不審がられない程度の、たかだか数秒の間に――この回想と決意を終えた。
その巡り巡った香々美の心情に気付くことなく、ナガツキは会話を続けて、
「つまり主は、その『藁人形』に感謝している、ということですか?」
「違うよ。感謝とかそういうことじゃないよ。ただの興味。その『藁人形』がどういう人間かってことを知りたいだけだよ。殺し屋殺しとは言っても、犯罪者には変わりないんだから」
「――香々美ちゃん、まだ藁人形なんて調べてんの?」
いきなり、左が椅子と椅子の隙間から顔をのぞかせて言って来た。その隣では、
「おい、左! 自分がビリになりそうだからって、逃げるなよ!」
と雑音が抗議しているが、左は聞こえない振りをしている。
香々美は携帯から顔を上げ、薄い微笑を左に向けて、
「うん、そう。何か分かった?」
「いや、何もないね」
左はふるふるとかぶりを振る。
「なんせ十数年前の話だからね。調べようがないよ。――――というか何でまた、そんなこと調べてるの? まさか香々美ちゃんて、そういう危ない人が好みとか?」
「ふふ、違うよ。これはただの興味。私の好みは、明るい性格で頭もいい人だよ」
「ん? そりゃまるで俺みたいな人だね。もしかして可能性があるのかな?」
「あははは」
香々美は、冗談めかしたように――あるいは、照れているように笑った。その微妙な――もしくは絶妙な表情に、左は何一つ気付く様子はないが。
と、左の隣でカードをまとめながら二人の会話を聞いていた雑音が、おもしろくなさそうな顔で、
「……しかし、『藁人形』が色々動き回ってたのは十一、二年前。その当時にそいつが二十台だとしたら、今現在はもう、若くても三十代のおっさんでしょ? どんな人間か分かったところで、何の得にもならないと思うけど」
「だから、ただの興味だって言ってるでしょ。どんな人間か知ったからってどうするつもりもないし、喜ぶつもりも残念がるつもりもないよ。まあ別に、雑音君からの情報にはほとんど期待してないから、君の心配はご無用です」
「……ふん、そうかい」
煮え切らないように言ながら、雑音はカードの束をテーブルに打ちつけて揃え、ケースにしまった。




