第一章「出発前」――その一
明け方六時。
机の上のスタンドだけが周囲を照らす部屋の中、東香々美は椅子に座ったまま腰に手をやり、背中を逸らした。
「……んっ、んっ」
うめくような声と共に、椅子の背もたれがギシギシ言う音と腰骨がぽきぽき言う音が聞こえる。重いものを持ち上げるような顔をしながら香々美はしばらくその姿勢を保っていたが、ふっと息を吐きながら表情を崩し、机の上のパソコンのディスプレイに顔を戻した。
そしてもう一度、そこで瞬いているたった今自分が書いたばかりの文章を読み返してみる。
「このホームページは、殺し屋殺しの『藁人形』についての情報交換を目的としたサイトです。『藁人形』とは、十数年前に巷を騒がせた殺人犯のコードネームであり、消息が途絶えるまでの数年間、殺しを生業とする人間、いわゆる殺し屋を標的として殺人を犯していました。この人物について何らかの情報をお持ちの方は、管理人ミラーまでご連絡ください。メールアドレスは――」
香々美はためすがめすこの文章を反復する。誤字脱字がないかの確認だ。初めて作る自分のホームページだけに、最初くらいはすべてを完璧にした状態で発信したかった。
しばらく香々美は画面と睨めっこをしていたが、七回目を読み終わったところで、
「うん、まあ、こんなところかな」
そう呟きながら、マウスを握る。そしてカーソルを『編集完了』のボタンまで持っていき、クリック。砂時計に変わったカーソルを数秒見つめていると、『編集が完了しました』というメッセージが現れた。
確認のために自分のページを開いてみると、さっき書いた通りの文章が、黒い画面の上に白い文字で浮かび上がる。色合いや文字の大きさなど、期待通りのものになっていた。
「ふーん。こういうソフト――エディターって言うんだっけ? ――を使うと、案外簡単にホームページが作れるもんなのね。八代先輩の言った通りだわ」
納得顔で香々美は頷く。別に八代のことを疑っていたわけではなかったが、予想以上の出来栄えに感嘆したのだった。
「さって、と」
言いながら香々美が椅子から立ち上がり、今何時かと壁時計に目をやった、その時、
トントン
「主、朝ご飯ができましたよ」
ノックと共に、ドアの向こうから澄んだ声が聞こえてきた。
「あっ、はいはい、今行く」
香々美はそう答え、慌ててパソコンのウィンドウを閉じる。そしてシャットダウンを開始したところで、
「おや、主、パソコンをなさってたんですか?」
ドアを開き、少女が入ってきた。
雪のように青白い髪を肩の下までのばし、白装束に身を包んだ、高校生くらいの体躯の少女。髪と同じ色をした瞳で、きょとんと香々美の動作を見つめている。
「こんな時間に何をなさってたんです? 調べ物ですか?」
「ううん、自分のホームページ作ってたの」
「……ホームページ?」
「そ。電脳世界の私の城みたいなものよ」
「はあ……」
白装束の少女は曖昧気味に頷く。ホームページなるもの自体は知っていたが、「私の城」という表現が理解の外側だった。
「まあとにかく、トーストが冷めてしまいますので、お早めに朝食をお召し上がりください」
「分かったよ、ナガツキちゃん。――――でもさあ」
シャットダウンが完了し、マウスから手を離した香々美は、腕を組みながらナガツキを観察するかのように眺めた。
「はい? 何です、主?」
「いや、別に不満はないんだけどさ。でも、いつも敬語で、『主』なんて呼ばれて、しかも朝ご飯まで作ってくれちゃってさ。ナガツキちゃん、本当に私の召使いみたいになっちゃってるよ」
「まあ、式神は呼び出してくださった主に使役されるのが務めですから」
「私がナガツキちゃんを呼んだ目的は、あの子猫助けてくれた時点でもう終わってるわけだからさ、あとは別に主も使役もなくて、ナガツキちゃんの思い通りにしてくれていいのに。わざわざ毎朝私の朝ごはん作ってくれなくても――まあ、私はありがたいんだけど――絶対しなきゃいけないってことでもないでしょ?」
「うふふ、お心遣い痛み入ります、主。しかしわたくしの思い通りにというのなら、どうぞこのままでいさせてください。この方が、収まりがいいというか、わたくしも居心地がいいのです」
「ふーん、そっか。ならいいけど」
香々美は納得顔で腕をほどいた。
「さ、早く朝ごはんを召し上がってください」
「はいはーい、わかったよ」
そう言って、香々美は後ろに手を振りながら部屋を出て行く。そして、リビングへと階段を降りていった。




