終章
三人が解放されたのは、通報した三日後――つまり、合宿に出発してから六日後のことだった。
三日間の間、三人はずっと警察署に留まり、事件に関する様々なことを聞かれた。もちろんナガツキに関することは最初から表面化させるつもりはなく(元々ナガツキが運んできた荷物が模擬刀とバッグ一つのみだったため、それら全部を香々美の持ち物だったと説明することで言い逃れた)、長居を含めて全員申し合わせておいたように、八代に関することだけを知らせたのだった。
結局のところ、長居には完全なアリバイがあり(事件当日の朝にロッジから四十キロ離れた場所で知人と会っており、その人が証言者になってくれた)、彼女は容疑者から外れた。
妖刀に関することも伏せておいたので、切断方法についても警察は悩むこととなったが、それ以外の情報――つまり停電時の状況――から、やはり外部犯という線で捜査を開始したらしい。
かようにして雑音も左も香々美も容疑者から外れたため、三日後に晴れて自由の身となったのである。もちろん事件が解決するまでは逐次何かしらの協力要請はあるだろうが、生活は日常に戻る。警察から連絡して迎えに来てもらった両親と共に、香々美と左は車で家へと帰っていった。
唯一家族との連絡がつかなかった雑音は、途中まで左の父親の車に乗せてもらって最寄り駅のターミナルで降ろしてもらい、そこから徒歩で帰るという方法を選択した。
――そして雑音は、自宅に向かって駅前の大通りを歩いている。
ドラムバッグを肩から提げ、すたすたと車道脇の歩道を進んでいく。買い物帰りの主婦や自転車に乗った子供などがすれ違っていくが、気にする様子もなく無表情でそれらをかわしていく。そしてコンビニを通り過ぎたところで、雑音はくるっと方向転換し、ビルとビルの隙間の路地裏へと入っていった。
日も差さない裏道。賑やかな大通りとは逆に、ずいぶんと閑散とした道だった。喧騒も遠くからしか聞こえてこない。この道を歩く人間は、雑音以外に誰もいないのである。
路地裏に入ってから十メートルくらい歩いたところで、上空からばさばさという風を叩く音が聞こえてきた。
その音は次第に大きくなっていき、音が大きくなるに連れて歩を進める雑音の横にできている影も段々と大きくなってきた。大きくなり、大きくなり、そしてついに雑音の顔の横に現れた影――
――それは、大きなカラスだった。
都会で見かける割かし大き目のカラスの、さらに一.五倍くらいの大きさ。羽ばたきをやめ、ずさっと雑音の肩に止まった。そしてその暗黒色のくちばしを開け――
「――はーあ、まったく、疲れたぜ」
と、愚痴をこぼすようにしゃがれた声で日本語を話した。
そのカラスに向かって、雑音は目線と軽い笑みだけを向けて、
「お疲れさん、ストロウ」
「疲れたなんてもんじゃねえよ、小僧。まったく、式神使いが荒いんじゃねえか? ロッジからここまで何キロあると思ってるんだ? 二十キロ以上あるんだぞ? しがないカラスにこんな距離飛ばさせやがって」
「カラスって、そりゃその傀儡のことだろ。お前は風の精霊じゃないのか」
「そりゃそうだけどなあ」
そう言いながら、まるで人間のように――鳥とは思えないような動作で――ストロウは深いため息をついた。
その仕草にくすりと笑った雑音は、
「……で、脇差はどうした?」
「ちゃんと持ってきてやったよ、ほれ」
そう言いながら、ストロウは右の翼をばさっと開いた。翼と右わき腹の間から落ちる木製の棒。雑音は、それを右手ですとんと受け取った。
その茶褐色の棒を顔の前まで持ち上げ、左右に開く雑音。すらんという音と共に、間から銀色に輝く刃がのぞいた。その刃の一部に、赤い染みがついている。
「……あーあ、血が固まっちゃってるな。あの時、拭う暇はなかったもんな。十五秒足らずじゃ、部屋に入って、これを受け取って、斬って、またこれをお前に渡して、そして元の位置に返るだけで精一杯だ。しかも足音を立てないように気を配んなくちゃならなかったし。本当、難儀だった」
雑音は苦笑いしながら言った。そして再び鞘を閉じ、横腹のベルトに挿す。
ストロウはその動作を脇目で見ながら、
「だが、他のやつらにゃあバレなかったんだろ? なら、お前にしては上出来だったんじゃないか。あくまで小僧にしてはってレベルだがな」
「親父と比べないでよ。あいつに敵おうが敵うまいが、比べられるだけで不愉快だ」
「お前、本当に親父が嫌いなんだな」
口を尖らせる雑音に、ストロウはからからと笑った。
「しかし、あいつの腕前は一級品だった。お前も見たことあるだろ」
「あるけど、見に行ったのはイヤイヤだったんだ。後学のためだとか言って、無理矢理現場に連れてかれたんだから。僕は継ぐつもりなんてなかったのに」
苦虫を噛み潰した顔の雑音。
ストロウはその表情を笑い飛ばすように、
「だが、結局お前もその仕事に手を染めちまったじゃじゃねえか。ぶちぶち言ってたくせに、いきなりだもんな。驚いたぜ、お前が脇差を取ってくるように言ってきた時は。あんな突然殺りたくなるなんて、あのターゲットはどんな殺人狂だったんだ?」
「さあ? うちの研究会の会長だけど、詳しい人となりは知らない」
雑音はあくまで歩みを止めないまま、首を横に振った。
「だが、お前が周囲に不審人物がいないことは確認してくれたし、精霊の憑依について知らなかったのはあの人だけだから、犯人は会長で間違いないだろうね。僕が刃を向けた時に感じたあの人の殺気は、混じりっ気なく本物の殺し屋のそれだったよ。ナガツキさんをやった手口から見ても、明らかに経験豊かな玄人だったし。だったら、『藁人形』のターゲットに据えても問題はないだろ」
「……その顔から察するに、色々と私怨が入り混じってるようだが、あんまり仕事に私情を巻き込むもんじゃないぜ。あの親父と同じ道を歩む羽目になるぞ」
「分かってるよ」
雑音はぶっきらぼうに答える。
その口を突き出した雑音の表情に、ストロウはなおも疑う目つきで、
「……本当に分かってるのか? あんな少人数しかいない場所で仕事しやがって。傍から見てて肝を冷やしたぜ。あんな状況で、よく他のやつを言いくるめられたな。まあ、あのわざわざ停電させたりなんだり面倒くさいことしたのも、そのためなんだろ?」
「そうだよ。見計らったようなタイミングでブレーカーを落とし、窓ガラスを外から破り、刃物を渡してもらい、さらにそれを遠くへ運んでもらう。この一連のことをお前にやってもらったおかげで、『僕には犯行が不可能』と思わせることに成功したってわけさ」
「……ったく、本当にややこしかったぜ。しかも時間もほとんどなかったし……」
「正直、あの中の一人――十二街左っていう、茶髪の奴――が『妖刀が二本存在する』ってところに考え到った時は、驚いたと言うか、感心したもんだが」
「……どうせ、そこまでがお前の計算の上のことだったんだろ? もし自力で思いつかなければ、何気なく誘導してたんじゃないのか」
「まあね。あんまりにもすんなり気付いたもんだから、逆に僕が反論してやったりしたんだけど」
雑音は首をやや傾け、何ともなさそうに答えた。
「でも、あいつには少し悪いことしたとは思ってるよ。あいつの幽霊探知機、壊しちゃったからね」
「……ああ、夜中にお前が雨の中でぶっ叩いてたやつか」
「そう。でもしょうがないさ。お前の鳴き声やら羽音を録音されるわけにもいかなかったし。あれ、電源入ったままだったんだよ」
悪びれる様子もなく雑音は言う。
そんな雑音に対し、ストロウはあくまで不信の視線を浴びせながら、
「壊したことで、逆に他のやつに手がかりを与えるようなことになったんじゃないのか?」
「……手がかりね。その可能性もゼロじゃないけど――――正直、手がかりと言うなら、もっと重要な情報は他の二人も持ってたんだよ。つまり、『式神と式神使いは離れていても意思疎通ができる』ってこと」
「……おい、それを知られてたのにやったのか? そりゃちょっと危険だろう」
「まあ、大丈夫だ。確かに僕が式神使いなら、たとえ離れていても、ぶっつけ本番でも、ああいうベストなタイミングでコトを起こせる。あの二人がそこまで考え至る可能性もないこともない。……だけど、警察にいたっては式神や妖刀に関する知識を持ってないし、他の二人にしても『小林雑音にも式神がいる』というアイディアが浮かばなければ、そこまで考え付かない。疑えない。謎を謎とも思えない。そう、いつも言ってるだろ――
――謎に存在意義なんてないのさ」
そう言い切り、雑音はさらに前へと進んでいく。
ストロウを肩に乗せたまま、脇目も振らずに路地裏のさらに奥へと歩いていく。
その後ろ姿が闇に溶け込むまで、立ち止まらない。
こうして、『殺し屋殺しの藁人形』――二代目――小林雑音の初仕事は、幕を閉じた。
後書き
というわけで、『殺し屋殺しの藁人形』でした。
本作は式織の初三人称視点中編ということで、試行錯誤の連続だったわけですが、一応形にはなったのではないかと思います。初三人称と言っても過言ではないような状況で、そのテンポと言うか、リズムのようなものを掴むまでに時間がかかりました。もしかしたら、まだ掴みきれてないのかもしれません。
あと、この作品のジャンルというのが式織自身でも掴めてませんで、現在進行形で迷っております。道具が道具なので、とりあえずファンタジー(ローファンタジーのエブリデイマジック?)と銘打ってはおりますが。
加えて、一応第六章の終わりのところが推理小説で言うところの「読者への挑戦」のようなタイミングの場所でして、その前に答えがばれてしまうのか、少し不安だったりします。あと、名前遊びのところとかどれくらいの方に気付いてもらえるのかとか……。
とにもかくにも、本作の経験を肥やしにして今後も三人称視点のものに挑戦していけたらと思っております。ありがとうございました。
式織 檻




