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第六章「第三の事件」――その二

 それから三十分後。香々美は、椅子に座ったまま動かなくなっていた。

 さっきまで床にへたり込んでいたのを、左と雑音が椅子に座らせたのだが、それでも様子は変わらない。相変わらず、指の先すら動かさないのである。三十秒に一回程度まばたきすることから、かろうじて生きているのが分かるというくらいだった。

 その真正面に座っている雑音は、その様を眺めながら嘆息する。一体どうしたもんだろうか、この場合はどういう言葉をかけてやればいいのだろうか。そもそも、効果のある言葉なんて言うものが日本語に存在するのだろうか。色々考えを巡らせるが、その答えはもはや雑音には見当もつかないことだった。

 後方でばたんと音を鳴った。雑音が首を回すと、左がナガツキの部屋から出てくるところだった。

 ハンカチを口に当てたまま悲痛な表情で廊下を進み、左は香々美の横の席に腰掛ける。そして吐き出すように、はあと大きく息を吐いた。

 その向かい側にいる雑音は、腕をテーブルにのせた姿勢のまま、

「……おい、大丈夫か?」

「うん、まあね。…………それより、そっちはどう? 連絡ついた?」

「ああ。警察はあと一時間くらいで来るそうだ。まあ、場所が場所だけに、それくらいかかっても無理ないだろう。長居さんは、雨のせいで少し遅れて、四時頃に着くそうだ」

「そう。まあ、そんなもんだろうね」

 左はハンカチをズボンのポケットにしまいながら答える。そして首を横に向け、

「……香々美さん、大丈夫?」

 名前を呼ばれて目元をぴくっと動かした香々美は、瞳にいくらかの光を取り戻しながら、

「うん、なんとか……」

「……そう。まあ、気は確かなようでよかった。失神しちゃうんじゃないかと思ってさ」

「…………うん、まあ」

 前にも似たようなことがあったから――と、声には出さずに呟く。近しい人の突然の死――しかも他殺――を知らされるのは、香々美にとって十年ぶり、二度目。耐性なんてできるはずもないが、何とか意識だけは手放さなかった。

「しかし、本物の人死にになっちゃったね」

 頭を前に垂らしながら、左はうめくように言った。

「しかも、それが会長だとは」

「……何だ、意外なのか?」

「意外と言ったら、人が死んだ時点で意外だし、心外だけどね。ただ――――本当のことを言うと、ナガツキさんの件に関して、俺は会長のことを数パーセント疑ってたんだよね」

 言いながら、左は嘲笑気味な表情を作る。

 その『ナガツキ』という単語に反応するように、香々美がばっと顔を上げて、

「……どういうこと?」

「つまり、ストレートに言っちゃえば、ナガツキさんを斬ったのは八代会長だったんじゃないか、と思ってたのさ」

 苦笑しながら、左が言う。

「考えてもみなよ。俺たち三人には、彼女を殺す意味なんてないでしょ? ――――いや、動機の問題じゃない。それはあくまで犯人のみぞ知るファクターだよ。今俺が言ってるのは現象的な部分。つまり、たとえ彼女を斬ったとしても、彼女は消えない。人形と断ち切られても、死ぬわけじゃない。香々美さんが精霊降ろしに成功すれば、また復活する。彼女は斬っても死なない――


 ――彼女を斬っても、意味はないんだ」


「あ…………」

 香々美が呟くように息を漏らした。

「そう、意味はないし、しかも危険なんだよ。ナガツキさんが戻ってきた時、本人から直々に告発されかねないからね。殺人は、口をきかなくなるからこそのもの。しかし彼女は斬った後も口をきく。それを知ってる俺たちには意味のないことなんだ。そして――――思い出してごらんよ、初日の夜、ナガツキさんからその話をされた時のこと。その時、会長はいなかっただろ? 確か、風呂に入ってただろ? そう、会長は知らなかったんだ、そのことを。ナガツキさんが斬られても死なないことを。だからナガツキさんを斬ることは、会長にとっては意味のあること。ナガツキさんを斬るという行動を起こしえるのは、会長だけだろ」

 ここで言葉を区切り、表情に笑みを含めて、

「……まあ、これは『犯人が俺たちの中にいる』という前提で物を考えた時の話だ。知り合いを疑うなんてしたくないし、第一外部犯の可能性もある。それに本人が殺された以上、外部犯の可能性の方が大きいだろう。だから、これはただのたわ言だよ」

「そう、そうね……」

 香々美はかろうじて聞こえる程度の声量でそう言い、再び下を向いた。

 再び無音になるリビング。しかしその沈黙を許さないように、

「……で、左。今度は何を調べてたんだ?」

 今度は、雑音が声を上げた。テーブルに片肘をついて、胡乱な目つきで左を見ている。

 その視線に気付いた左は、

「…………何、雑音君? その挑戦的な目は?」

「だって、そうだろ? 死体が置いてある部屋に好き好んで入るなんて。お前の方が謎解きに挑戦してるみたいじゃないか。どこぞの探偵のごとく、な。だったら、僕がその戦績を聞いてやろうってことだ」

「別に挑戦とかじゃなくて、分かることがあるなら分かっとこうってだけなんだけどね」

 説明しながら、左は肩をすくめる。

「まあ、見れば分かることだけど、ガラスの破片は内側に散らばっていた。そして床の上には足跡はなかったよ。……ただ、窓の近くは吹き込んでくる雨のせいでびちょびちょになってたから、そこに足をついたとしたら見分けはつかないけどね。泥もほとんど落ちてなかったけど、それは靴を脱げば足跡も残さないで済む。相変わらず外部犯の可能性は否定できないよ。…………ただ俺が一番引っかかってるのは、部屋どうこうよりも、むしろ切られた首の方なんだけどね」

「…………首?」

「そう。完全に分断されてただろ? おかしいと思わない?」

 当然分かるだろうとでも言いたげな左のイントネーションに、雑音は苛立ちを隠せない声音で、

「おかしいって、何がだよ? ナガツキさんの時もそうだったじゃないか」

「いや、それはケースが全然違うよ。今回は会長だ。正真正銘の人間なんだよ。…………分からない? 人間の体には何がある? 筋肉と、脂肪と、あと――」

「――骨か」

「そう」

 雑音の回答に、左は大きく一つ頷いた。

「そうだよ、人の体には骨があるんだよ。漫画なんかだと割かし簡単にやってるけどさ、骨を刃物で絶つなんて、一体どれだけの力がいると思う? しかもその周りには肉がついてるんだ。……まあ、俺だってカルシウムやら脂肪やらの正確な硬度なんて知らないけど、だけど直径五十センチの丸太だってそう簡単には切れないだろ。ノコギリで時間をかけてやるならまだしも、あれは一瞬のことだった。そんなこと人間にできるのか? できるとしたら、どういう方法を使ったのか? 正直なところ、俺の考察はそこで行き詰ってて――」

「――できるわよ」

 突然、香々美が声を上げた。

 今の発言が本当に香々美のものなのか確認するような視線を向けながら、左は聞き返すように、

「……へ? できるって?」

「だから、首でも丸太でも何でも、一太刀で切ることができるって言ってるの、あの妖刀を使えば――――そうね、見せるのが早いわね。ちょっと、取ってくる」

 そう言って、立ち上がろうとする香々美。

 その動作を見て、慌てたような顔をした雑音が、

「あ、僕が取ってくるよ」

 そう言って香々美を制止し、ナガツキの部屋へ駆けていった。

 もちろんこれは、香々美があの惨状を見ないようにする配慮である。あの部屋に入ればあの様が目に入るのは必定なのに、今の香々美はそこまで頭が回っていないのか。あの時せっかく左が止めた意味がなくなってしまう。廊下を進みながら、雑音は現在の香々美の混乱具合を確認し、確信した。

 部屋の中心をなるたけ目に入れないようにして、壁にかかっている長細いレザーバッグを手に取り、引き返す。そしてリビングでそれを香々美に手渡した。

 受け取った香々美は手馴れた操作でジッパーを開け、中から刀を取り出す。続いて、すらっと赤い鞘を引いた。そこからのぞく銀色の刀身。その刃は――

 ――ボロボロだった。

「……え?」

 雑音が驚いたような声を上げ、その刃を凝視する。しかしその向かいの左は、元々分かっていたような表情でその刀をまじまじと眺めていた。

「……ちょ、ちょっと、その刃、あっちこっち欠けてるじゃないか。……え? それで本当に、ナガツキさんを……?」

「まあ、見てて」

 答えながら、香々美はおもむろにテーブルの上にあったりんごを手に取った。そしてそれを空中に放り投げる。緩慢な回転で昇り、そして落ちてくるリンゴ。その擬似球体に向かって、香々美は水平に刀の刃を走らせた。

 リンゴと刃がぶつかりリンゴは横にはねる、と雑音は思った。しかし、スッという風を切るような音だけがして、刃は抵抗なくりんごを横切った。

 こてんと床に落ちたリンゴ。その衝撃で、リンゴが真ん中からぱかっと割れた。その白い表面は、包丁で切られたものと同じように平らだった。

「どう? わかった?」

「い、いや、逆にわからないよ。何でそんなボロボロの刃でりんごが切れたの?」

「妖刀っていうのは名ばかりじゃないのよ。妖気をまとった刀。だから妖刀なの。この刀は刃で斬るんじゃない。妖気で斬るのよ。だから、刀の――というより、鉄の刃の切れ味――とは無関係なの。斬れるイメージが湧くものならば、ほとんどのものが斬れるわ。それこそ――――――人でもね」

 香々美はこの刀をここに持ってきてしまったことを今さら悔やむように、トーンを落としながら説明を終えた。

 雑音はその説明に納得したような――――あるいは無理にでも納得に持っていったような難しい顔をして、

「妖気、ねえ。妖刀にそんな性能があったとは…………。じゃあ、今回もやっぱりその刀が使われたのか?」

「いや、それはないよ」

 雑音と香々美の会話に割って入るように、左がきっぱりと言ってきた。

 雑音は目線を左の方に移し、

「……やけにきっぱりと言うな。何か根拠があるのか?」

「ああ、ある。単純なことだよ。だってさ、時間が足りなかったでしょ?」

 説明――――と言うより、むしろ諭すように左が言ってくる。

「あの時、会長がナガツキさんの部屋に入った瞬間に電気が消えて、そして俺がブレーカーを上げるまでに、だいたい十五秒くらいしかなかった。もしそのナガツキさんが持ってきた刀が使われたって言うなら、犯人はその十五秒の間に窓を破り、刀を取り出し、会長を斬り、さらに刀をバッグの中にしまわなくちゃならない。それに――――見てみなよ、その刀。刃からりんごの汁が垂れてる。いくら妖気とやらをまとってても、刀身に付着するものまでは防いでいない。つまり、血はどうしてもつくってことだろ? 犯人はこの十五秒の間に、さらに刀身の血を拭うことまでしなくちゃならないんだ。しかも暗闇の中でね。いくら剣術の達人でも、刀をバッグから出したり血を拭う動作までが神速だとは思えない。どう考えてもタイムオーバーでしょ」

「しかし、妖刀だぞ、妖刀? ボールペンみたく大量生産できるものでもないだろ。ここに一本でもある方が意外なんだ。例外なんだ。現実的に考えて、そんな都合よく妖刀が同じ場所に二本もあるなんて――」

「あったんじゃないの」

 左は語気を強め、言い切る。

「確率云々じゃなくて、事実としてそういう結論が出るんだ。外部犯が妖刀を持っていて、それで会長を手にかけた。俺たちの荷物にはあれ以外に刃物すらなかったんだから、さらに外部犯の可能性を高めるね。それに――――それだけじゃない。もう一つ問題がある。あの暗闇が、これでもかってほどタイミングがよかったことだよ」

「タイミング?」

「そう。会長が部屋に入った途端、まるで狙い済ましたかのようにブレーカーが落ちたんだ。しかしブレーカーは扉の外。その瞬間は四人の姿は全部確認されている。誰も手動であれを下げることなんてできなかったよ」

「でも、他にも方法が――」

「あるかい? あの時動いていたのは会長だけだ。しかも当人は被害者だし、第一部屋に入るという動作以外何もしてなかった。推理小説なんかでは、電気機器のタイマーを仕掛けておいて、ある時間になると電気を過剰使用させて無理矢理ブレーカーを落とすっていう方法もあるにはあるけど――――だけど、やっぱりそれもありえないよ。なんせ、あの時間に会長がナガツキさんの部屋に入ったのも――そして部屋に入ったこと自体が――偶然だったからさ。元から狙えるようなことじゃなかったんだ。誰かが確実にあの時に手動でブレーカーを下ろした。それはこの四人の中の誰でもない。ロッジの中とブレーカーがある場所は完全に遮断されていたから――しかもあれは一瞬の出来事だったから――内側の人間と外側の人間のコンタクトは不可能、つまり無関係。複数犯でタイミングを見計らう人間と実行犯が分かれてたのかも知らないけど、とにかく、この事件は外部犯としか言いようがない」

「……でも、そいつらの目的は何なんだ? 何で僕たちを狙ったんだ? そもそも、何で僕たちがここにいることを知ってたんだ? そいつらには、僕たちを殺して何のメリットがあるっていうんだ? それに、わざわざブレーカーを落とすなんていう作戦を企てた理由は?」

「……やけにつっかかるね、雑音君」

 左は雑音に向かって、嘲るように微笑んだ。

「何度も言ってる通り、犯行の動機なんていうのは犯人のみぞ知るファクターだ。そんなことを考えるのはナンセンスだよ。ただ誰でもいいから殺したかっただけかもしれないじゃないか」

「……そうね、妖刀の妖気に当てられて殺人願望を抑えられなくなる人もいるって話は聞いたことあるし」

 香々美が静かに相槌を打つ。

「暗闇を作ったのだって、顔を見られないためだったとか、それともただの思い付きかもしれない。そういうのは――」

 と、左が言いかけたところで、ロッジの壁の向こうからじゃりじゃりという砂を滑らせたような音が聞こえてきた。

「お、警察が来たのかな? それとも長居さんかな?」

 言いながら、左は腰を浮かせた。

 そのセリフを聞いたところで、ふいに香々美が険しい顔を作り、

「…………ねえ、思ったんだけど、私たちがここにいることを知っていて、さらにロッジの外側にいた人間となると――」

「うん、そうだね――


 ――犯人は長居さんって可能性もあるね」


 左は鋭い視線を向けて香々美に答えた。

「……まあ、その真偽は警察が調べれば分かると思うよ。この三日間の長居さんのアリバイを調べればね。ここからは俺たちの出る幕じゃないさ。……さあ、とにかく出迎えよう」

 そう言って、左は扉の方へ歩を進めていった。それに倣うように雑音も戸口へと進む。

 ドアを開けると、入ってきたのは三人の警察だった。慣れた動作で、二人に向かって手帳を示してくる。

 そしてその制服をぴしっと着こなした重々しい表情の三人の大人に、左と雑音が説明を始めた。そこそこ手際よく、時折お互いに情報を補い合いながら、事件の状況を伝えていく。

 これでもうこの事件は警察の管轄に移ったと、香々美は安堵のような、その割りに納得がいっていないような気分にかられた。

 ナガツキの部屋へと警官を誘導する左と雑音。その二人の背中を眺めているうちに、ふっと一つの疑問が香々美の中に生まれた。


「…………あれ? 『幽霊探知機』を壊したのは、何でだったんだろう?」

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