第五章「第二の事件?」
合宿の二日目は、静かに――寂しいほど静かに――過ぎ去った。
香々美と八代は午後になってもテーブルの木目を見つめるばかりで、雑音もそれにならって地蔵と化していた。時々お茶を汲んでみるが、湯飲みは冷め切ってからようやく空になるような状況。給仕係に徹してみても、やり甲斐はまったくなかった。
そして左はというと、色々調べているのだろう、各部屋に入ったり出たり――あちらこちらを歩き回っている。
夕方、五時を回った頃にようやく顔を上げた香々美が、
「……もう、帰ろう」
と呟くように言ってきた。しかし最寄のバス停のバス発着時刻は過ぎていること、またタクシーなどで帰るにしても日中にはたどり着けず駅で足止めをくらうことは自明だったので、この案は棄却。
昨夜帰ってしまった長居にも電話で事件について報告をし、そのついでに車で送ってもらえないかと尋ねてみたが、これも不可能。長居は別用で、麓の町よりもさらに遠くへと出掛けてしまった後だということであった。明日の午後にならないとロッジには戻れないと伝えられた。
かくして四人は、もう一日ここに留まらなければならないという結論に達したのである。
そして迎えた、合宿三日目。
三日目は、雨だった。
大粒の雫が、早朝からしんしんと降り注いでいる。ただでさえ周囲を高い木々で覆われている立地条件。日光が差さないとなると、いよいよもって辺りは真っ暗になった。日はすでに昇っている時間であるにも関わらず、電気をつけなければ部屋の中が何も見えないような照度。まるで夜のような状態だった。
しかしそんな重苦しい雰囲気とは裏腹に、その日の朝は何事もなかった。つまり、四人とも――ナガツキ以外の四人とも――朝リビングに顔を出したのである。その様を見て、安堵の雰囲気がリビングに流れたのは四人全員が感じていた。
だが、全員がテーブルに集まったはいいが会話など弾むこともなく、皆黙々と香々美が作った朝食を食べるのみ。時々雑音と左が世間話を混ぜるが、話が盛り上がることもない。笑顔など微塵も見られない食卓が繰り広げられた。
そしてその後は、相変わらず昨日と同じ状況。
雨粒が窓を叩く音を聞きながら、リビングで香々美と八代と雑音が、時計が三時――つ、まり昨日、長居が迎えに来ると伝えてきた時間――を指すのを、ただじっと待つだけであった。
唯一違うのは、昨日は辺りをちょこまかと動き回っていた左が、今日は部屋にこもっていること。昨日一日調べまわって、へとへとに疲れているということだった。朝食を食べ終わって以降、部屋からまったく出てこない。
昼過ぎになっても出てこないため、結局雑音が昼食が乗った盆を手の平にのせて、左の部屋に運ぶことになった。
雑音は、左の部屋の手前、木製の扉をノックしながら、
「おーい、左。昼飯だぞ」
と叫んだ。が、返事はない。
雑音は問答無用でノブに手をかけ、部屋をがちゃりと開けた。ドアが動き、開けてくる部屋の中の景色。その視界や効果音のせいで、一瞬昨日の出来事が雑音の脳裏にフラッシュバックする。
ぶんぶんと、雑音はそれを振り払うように頭を振った。
そんなわけない、これ以上あんなことが起こるはずがない、と自分に言い聞かせるように呟く。思い込ませるように呟く。そして大きく息を吐き、雑音は再度、部屋の中に足を踏み入れた。
――床の上には、人形はない。
――ベッドの上には、ちゃんと人型が横になっている。
――すうすうと、寝息も聞こえている。
人知れず安堵の嘆息をしながら、雑音はベッド脇の机に盆を置いた。そして部屋の奥、布団がかぶさった背中を揺らしつつ、
「おい、左。起きろ」
「…………」
「ほら、香々美がサンドイッチと紅茶を用意してくれたんだ。紅茶が冷める前に早く食べろって」
「…………」
「……おい、起きてんだろ」
言いながら、雑音は左の背中をぺチンと叩いた。
「ぐえっ」
「ほれ、起きてるんだろ。早く食べろって」
「…………返事がない。ただの屍のようだ」
それだけ言って、また動かなくなる左。
雑音ははあとため息をつき、左の首元の真上で紅茶のカップを傾けた。一滴ぽとりと落ちる雫。水滴が首筋に到達したところで、雑音はぼそりと、
「ニフラム《亡者消滅》」
「あちちちちっ」
左はがばっと起き上がり、首の後ろをさする。
「ちょっと! 死者に対して何てことするんだ! 勇ましく戦って死んでいった者に対する敬意がない!」
「じゃあ、火葬の方がよかったか?」
「火葬と書いてメラゾーマと読まないでよ! 怖いよ! 何をするつもりなの! ザオリクって選択肢はなかったの!」
「ないよ。僕は魔法使いなんだ」
「ニフラム使ったのにっ!」
「…………」
雑音は左のツッコミをさらりと流し、カップを盆の上に戻しながら、
「ほれ、さっさと食べろ」
「う〜ん、分かったよ」
左は伸びをしながらベッドから立ち上がり、皿の上のサンドイッチへと手を伸ばした。そのまま口に入れ、しゃくしゃくと食べ始める。しかしその顔には、まだ眠そうな、疲れたような表情が浮かんだまま。
雑音は、その緩慢な動作をまじまじと眺めながら、
「……何だ、お前、そんな疲れるまで昨日何を調べてたんだ?」
「あっちこっち。まあ、みんなの荷物とか……」
「荷物だと?」
雑音は、思い切り顔を渋くする。
「おい、お前、僕の荷物まで勝手に調べたのか? というか、香々美やらナガツキさんやらの荷物まで調べたってのか? そりゃあ犯罪だろ」
「大丈夫だよ。俺はアブノーマルだから」
「いや、ノーマルだからこそ問題が…………って、アブノーマル? アブノーマルって言ったか、今!」
「まあ、冗談は置いておくとして――」
右手でサンドイッチを口に運びつつ、まあまあと左手を振りながら、
「――調べたけど、結局誰の荷物からも刃物の類は出てこなかったよ。やっぱりあの妖刀が使われたのは、逆立ちしても間違いないだろうね」
「……そりゃそうだろ。ナガツキさんが断ち切られてたんだから」
雑音は、左の向かい側、机の備え付けの椅子に座りながら答えた。
「そんなの、昨日の時点ですでに分かってたことだろう。それ以外にないのか、新しく分かったことってのは?」
「……そうだね、あとは、犯人は手練なのかも知れないよ」
「手練? どういうことだ?」
「つまり、刃物の扱いにかなり慣れているってこと。ナガツキさん――というか、ナガツキさんが憑いてた人形――の首は、きれいにスパッと切られてたんだ。包丁で大根をぶった切るように、ね。果たして素人が真剣を振り回して、ここまできれいに――狙い通りと言わんばかりに――切れるもんだろうかね? 俺は結構引っかかるんだけど」
言いながら、手の平を上に向ける左。
雑音はそれに向かい合いったまま、「ふむ」と息を吐いた。
そう言えば確かに、昨日見た人形の切られた首の切り口は、まるで元々そう成形してあるかのように平らだった。それに加えて、ナガツキの部屋には争った形跡もなかったし、昨夜は何の音も聞こえなかった。ナガツキに声を上げる間も与えずに危害を加えることが、素人にできるとも思えない。ナガツキが香々美の身を案じて警戒していたというなら、彼女に気付かれずにドアを開け、刀を取り出すのは相当困難だろう。玄人か――――ない話でもないかもしれない。
雑音は納得したように腕を組み、
「……じゃあ、刀を使い慣れてる犯人ってのは、一体誰になるんだ? 僕たちの中に剣術の嗜みがあるようなやつがいるっていうのか?」
「さあ? もしくは、そういう部外者がこの付近に潜んでるのかもしれないね」
左は、肩をすくめながら言う。
「……あともう一つ、昨日調べててびっくりしたことがあるんだけど、実はあの妖刀、刃がねえ――」
と言葉を続けながらサンドイッチを食べ終えた左が、紅茶に手を伸ばしかけたとき、
「あーーーーー!」
悲鳴――というよりも、驚いたような呆れたような叫び声――が、遠くから聞こえてきた。これは――――八代の声。やたら遠くから響いている。
雑音と左は反射的に立ち上がり、駆け出した。
部屋を出て廊下を進むと、目の前、玄関が開いている。依然降り続く雨で濡れている扉の奥から、口を大きく開けた八代が縫い出して来た。
「た、大変ですよ、十二街君!」
驚愕の表情で、二人の方へ駆け寄ってくる八代。そして後方を指差しながら、
「ほら、あの、『幽霊探知機』が」
「探知機?」
左は濡れるのも省みず、外へ飛び出た。そして扉の脇においてあるはずの、左の私財である幽霊探知機を見下ろす。
ロッジの軒下、コンクリート土台の上に置かれているテレビくらいの大きさのアルミ製の筐体。その上面と側面が――
――ベコベコに潰されていた。
「あーーー! ちょ、これ、壊されてる!」
慌てて幽霊探知機に駆け寄る左。
「ちょっと、これ、ああ、もう、ひどい。こんなになるまで。くそ! 一体誰が……」
上、横、前、後ろから探知機を覗き、その状態を確かめる。あちこちに金属棒で叩かれたような痕が残っていた。その衝撃は内部にまで到達しているようで、形は歪に変形している。電源を入れてみても、まったく反応しない。
「な、なんだよー、これ、高かったのに、一体何でこんなことを……」
左に続いて雨の中外に駆け出してきた雑音は、もはやアルミの塊と化した筐体を抱きかかえ悲嘆にくれる左を、ただ眺めるしかなかった。雨に濡れながら、ただそこに立ち尽くすのみ。
ふいに、
「……一体、何が起こってるの? こんなことするのは、誰なの? まだ……何かあるっていうの?」
と、脇から消え入りそうな声が聞こえてきた。振り向くと、玄関口から顔を覗かせてきた香々美。恨めしそうに、左の丸まった背中を見下ろしている。その虚ろな表情に、雑音はなおも黙るしかなかった。
黙ったまま、雨に濡れる森の奥を眺める。
――雨音に混じって、遠くからカラスのあざ笑うような鳴き声が聞こえてきた。