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第四章「迷推理」――その一

 香々美が祖母から式神の降ろし方を教わったのは、彼女が五歳の時――あの事件の数ヶ月前のことである。

 香々美の家は分家の分家の分家で、かつて悪霊退治を生業としていた東の本家とは縁遠くなっており、そのしきたりなどはまったくと言っていいほど受け継いでいなかった。ごく一般のサラリーマン家庭。香々美も普通の女の子として育ち、育てられてきた。

 ――悪霊などと言うものとは無関係。

 ――東という苗字の由来、そしてその家の生業も何も知らない、知らされていない。

 ただ一つ、式神の降ろし方だけ、密かに伝承が続けられていたのである。

 これにも、深い意味があるわけではなかった。仕事は、現在も本家だけが受け継いでいる。このような疎遠な血筋において、伝承を続けなければならないような責務もない。実際、香々美の母親はそんなものの存在すら知らないのである。

 ――それは、香々美を喜ばせようとする、祖母の思いつき。

 ――そして、後年これがこの子の役に立つかもしれないという、薄い期待。

 それだけでもって、祖母は香々美にまじないを教えた。何度も何度も、香々美がそれを空で言えるようになるまで繰り返した。繰り返し覚えさせた。

 そしてようやく香々美がそのまじないを最後までつっかえることなく言えるようになったところで、祖母は近くにあった日本人形に水の精霊を降ろして見せたのである。

 茶の間に飾ってあった、着物姿の日本人形。それに向かって祖母は手をかざし、まじないを唱えた。青白い光を放った後、急に立ち上がった人形。ここはどこだと言わんばかりに、きょろきょろと周りを見渡し始めた。

「話しかけてごらん」

 と祖母が言うと、五歳の香々美はこくりと頷き、恐る恐る人形に顔を近づけながら、

「……こ、こんにちは」

「ああ、やあ、こんにちは」

 口が動き、軽快な声が聞こえてきた。口の動きと声の発生が完全にシンクロしている。その様を目の当たりにした香々美は、その目を見開き、口をぽかんと開けた。そしてその顔のまま後ろを振り返る。期待していた通りの表情に、祖母は微笑んで大きくひとつ頷いた。

 結局この水の精霊は、香々美と三十分くらい話した後に、あまり引き止めるのも悪いということで還された。幼い香々美は当然のように不満がったが、祖母の

「これからは自分で降ろしなさい」

 という言葉に説得され、渋々従った。


 ――そして、香々美が初めて自分で式神を降ろしたのは、その十年後だった。


 あの後、家に帰ってから自分のぬいぐるみに降ろそうと何度も試してみたが、一度も成功しなかったのである。まじないは合っているはずなのだが、ぬいぐるみから光を放たれることはなかった。電話で祖母に相談しても、

「ちゃんと心を込めるのよ」

 と言われるだけで、具体的な解決策はもらえず。後で祖母の家に行って、もう一度降ろすところを見せてもらおうと思っていた――


 ――その矢先の、あの事件。


 式神を見せてもらうことはおろか、祖母と会話をすることすら永遠に叶わなくなってしまった。

 それから数ヶ月、香々美は悲しみと共に暗澹とした日々を送ることになり、式神のことなど思い出さなくなっていったのである。苦しくなるから、悲しくなるから、祖母の記憶をできるだけ思い出さないようにしていた。ただ逃げていた。当時を振り返り、今の香々美はそう思う。

 そして結果として『藁人形』へと興味が移りつつも、香々美はごく一般的な学生生活を送っていった。式神とも東家の家業とも完全に縁が切れたような日々。祖母のことも記憶の一つとして心の中にしまい、日常に笑顔を取り戻していた。

 その日常に風が吹き込んだのは、去年の二学期のことである。

 その日、香々美は帰路を歩んでいた。

 大通り沿い、二車線の大きな道路の脇の歩道を歩いていると、ふと、その道路の真ん中に、モゾモゾ動く小さい何かがいた。そしてそれが何なのかと顔を向けて、香々美は驚いた。

 それは子猫だった。

 生後半年くらい。ものすごく小さい。そんな猫が、道路の真ん中、行き交う車と車の間で動けなくなっていた。助けを呼ぶように、ナーナー鳴いている。

「うわわわっ」

 慌てて、香々美はそっちの方へ寄っていった。

 早く助けなきゃ、と思うが、車はひっきりなしに通っている。とても飛び出せる隙はない。さらに周りに信号もなく、車は減速する様子すらない。

(こうなったら、無理にでも止まってもらって……)

 可々美がそう思ったときだった。

 いきなり、子猫が思い立ったように走り出したのである。たたたっと、向こう側へ向かって脚を蹴りだした。

「あっ」

 間に合えば、とも思ったが、しかし子猫の脚力。車道を出る前に車が迫ってきて、タイヤと猫がぶつかりそうなタイミング。

 可々美は思わず目をつぶった。

 かしゃんっ

 しかし、聞こえてきた音は決して鈍いものではなく、プラスチックが折れるような甲高い音。恐る恐る目を開けると、目の前には、猫を抱えた――


 ――青白い長髪の、白装束姿の少女。


「主、子猫は無事保護できました」

 柔らかく微笑みながら、その少女は子猫を差し出してきた。思わず香々美はそれを受取る。

 猫を抱えながら視線を地面の方へ向けた際、ふと目に入った着物の裾の下、その少女の片脚は、レンガをハンマーで叩いたように砕けていた。

「わっ、ちょっと、な、何、その脚? 大丈夫なの?」

「ええ、修理すればどうとでもなります」

 少女は、あくまで笑顔を崩さずに言ってくる。

「しゅ、修理? というか、血も出てないし。……あ、あなたは一体何なの?」

「うふふ、あなたが呼び出したんじゃありませんか」

 少女はその青い瞳をまっすぐ香々美に向け、


「あなたの式神ですよ、主」


 これが、香々美とナガツキの出会い。一年前の出来事である。

 この後、香々美は猫とナガツキを自宅へと連れて行き、接着剤でナガツキの脚の修理を行った。そして子猫は家で飼うことにし、ナガツキも出張続きで留守がちな香々美の両親の目を盗んで一緒に住むことに決定。そうして、現在に到るのである。

 ちなみに、「ナガツキ」という名前は、この出来事が九月に起こったからという単純な理由で香々美がつけたもの。ナガツキ自身も特に反対することもなく、この名前に決定した。

 思えば、おばあちゃんがその死の直前に式神の降ろし方を教えてくれたのも、運命なのかもしれない。ナガツキちゃんは、おばあちゃんが遣わしてくれたもの――もしかしたら、代わりなのかもしれない。だったら、私はこのナガツキちゃんを大切にしよう、おばあちゃんとできなかった分だけ、たくさんの楽しい時間を一緒に過ごそう。

 香々美はそう思っていた、そう心に決めていた、のに――

「――な、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで……」

 ……分かってる、ナガツキちゃんが死んだわけじゃないのは分かってる。でも、いまだに式神降ろしが成功したのはあの一回だけ。もう一度できるのか分からない。しかももう一度降ろせたとしても、それがナガツキちゃんだとは限らない。もう一度ナガツキちゃんを呼べるのかは分からない。もしも呼べなかったら、もう二度とナガツキちゃんとは会えない……

 そんな、困惑と失望と不安と悲嘆を込めて、香々美は

「なんでなのよ、なんでなのよ、なんでなのよ、なんでなのよ、なんでなのよ……」

「お、落ち着け」

 左は、香々美の肩をそっと抱いた。

「ナガツキさんは、別に死んだわけじゃないんだろ。金輪際会えないってわけじゃないだろ。大丈夫、大丈夫だ。とにかく落ち着け。…………雑音君、香々美さんを、リビングに連れてって」

「あ、ああ、分かった」

 雑音は呆けたまま頷き、部屋を出るように香々美の背中を押した。

 おぼつかない足取りの香々美と呆然とした表情のままの雑音を見送り、

「何でこんなことになったのか……」

 左は親指の爪を噛みながら呟いた。そして首を回し、扉の横に立てかけてある黒いレザーの長細いバッグを、じっと睨んだ。

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