キスする身長差は12センチが理想
「ねえねえ、ありすちゃんは身長何センチあるの?」
秋の日、二人っきりの帰り道、りんが唐突に聞いてきた。
「身長?」
私がそう聞くとりんは「うん、ありすちゃんの身長を知りたいんだ」って答えた。
私の身長なんて聞いてどうするんだろう。この春に仲良くなってから一度も身長の話なんてしたことなかった。
私の背丈は高い、普通の女の子よりは高いと思う。今年の身体測定で172センチを記録した。去年から変わっていないからもうこれ以上伸びることはないと思うけど。
「172センチだけど……」
自慢できることじゃないから私は小さな声で言った。
私の体なんてせいたかのっぽのひょろひょろだ。ひょろひょろしてるのは食生活が悪いからだ。家族と一緒に食事をしたくないから、コンビニで買ってきたジャムパンと牛乳しか朝夕は口にしない。昼食はりんがお弁当を作ってきてくれるから、それだけはまともな食事かもしれない。
「いいな、ありすちゃん背が高くて」
私がそう言うとりんは自分の頭の上で左手をぱたぱたさせた。背が足りないとか小さいとかのリアクションなんだろうか。
りんは特別背が低い訳ではないと思う。女の子としては普通ぐらいか。いや、自分の背が高いから平均なんて分からない。
「そんなにいいのかなあ?」
私は立ち止まってりんを見つめる。りんのくるみ色の髪が夕日を浴び透かされて淡い金色に見える。
りんはかわいい、女の子らしくてかわいい。体つきも女の子らしくて、ひょろひょろの私なんかと比べ物にならない。私なんか干物だ。
性格も明るくて、私と仲良くしてくれる。本当ならりんはたくさん友達を作っただろう、相手の気を使ってくれる人だ。でもそんなりんは私を選んで私だけと仲良くしてくれる。学校に行くときは別だけど、帰りは方向が同じだから一緒に帰ってくれる。
とても優しくて大切な友達だ。
そんな友達が身長のことを聞いてうらやましがる。
「だって私160センチだよ、ありすちゃんに到底及ばない」
りんも立ち止まって私を見つめる。そして一回ジャンプする。
「小さくなんかないと思うけど」
「背の高くてモデルさんみたいなのありすちゃんには分からないよ、この気持ち」
モデルさんみたい? そう言われて「そんなこと言わないで」と心の中で叫びたかった。モデル? そんなバカな! 私なんてただ背が高いだけでスタイルがいいわけでもないし。そのうえ顔つきがつり目でよくない。いつも不機嫌そうな顔をしてるって言われたことだってあるのに。
「私はりんみたいになりたい……」
りんは私の中では憧れだ。女の子らしくて、明るくて太陽みたいな存在で、なごませてくれる。
私の小さな声はりんには聞こえなかったみたいだ。その方がいい。りんは私に憧れてるのに、それを拒否したらなんとなく悪い気がする。
「ありすちゃんと私って身長差ちょうど12センチなんだね」
りんは言う。
「それってキスしやすい身長差なんだって」
それを聞いて私は顔を赤くした。キスしやすい? りんとキスしやすいの? できちゃう? いや、したいわけじゃないけど、顔が赤くなる。なんで? りんのことが好きだから? それは友達として好きであって、それ以上の好きではない……そう。
「へえ、そうなんだ」
顔を赤くして私は、なのに平然を装って言う。おかしいと思われてる、顔は真っ赤なのに、耳まで熱を帯びているのに言葉のトーンは落ち着いてるとは。
「ありすちゃん、顔赤いよ」
バレた。
りんはそんな私の顔を見て笑った。口元を緩めて、目を細めて、この笑みが好きだ。りんの表情の中の最高傑作だ。
「もしかして、私とキスしたいの?」
「そんな、そんな……」
りんは余裕そうに私に聞いてくる。私は混乱している。キスしたい? そんな? いや、してみたい? りんの唇は柔らかそうだ、ぽってりしていて触れたらマシュマロみたいな感じなんだろうか……ってなにを私は考えてる。
「ありすちゃんがしたければしてもいいよ、なんてね」
りんはまだまだ余裕そうに言う。
ダメだ、私たちは女同士だ。キスをしていいのだろうか……たしかにりんのことは好き、でもそうじゃないって思う。友達として好き。
そう、友達としてだ。
「……りんは私としたいの?」
私が攻める番だ。いじわるをしてきたりんに聞いてみたい。それを聞くことによってりんが私のことをどう思ってるか分かる。
「私はしたい人がいるんだ」
りんは言った。したい人がいるって好きな人がいるってこと?
「へ、へえ……」
そう言われて私は心の中にぽっかり穴が空いたような感覚がした。なんでだろう。りんがキスしたい人ってもちろん好きな人がいるってことか。それがどうしたっていうんだ。りんだって好きな人がいたって普通だ、なにも悪くない。
「好きな人、いるんだよ」
その言葉、なぜか聞きたくなかった。キスをしたい人がいると言った時点で好きな人がいるのはなんとなく、うっすら分かったけど、実際言われるとなぜか心が乱される。
りんは視線を私から空を仰ぐようにそらした。
「誰だと思う?」
「さあ、分からないけど……」
りんに好きな人がいること、普通のことなのに。当たり前のことなのに。この年頃の女の子なら好きな人ぐらいいてもいいのに。
「ヒント、同じクラスの子」
そう言われても分からない。同じクラスにりんが好きになるような男がいたか? それなりに顔が整ってるやつはいる。でもりんが好きになるタイプかどうか、分からない。りんの好きなタイプというか、好きになるような男、いままで考えたことない。その前に私はクラスの中ではりんとしかつきあいがない。
「分からない」
「じゃあ、内緒ね」
りんは私の方をもう一度向いて言った。その表情はうれしそうだった。なにがうれしいのかは分からない。好きな人が分からなくてよかった、秘密を秘密で終わらせられてよかったのだろうか。
「ありすちゃんなら分かると思ってた。だっていつも一緒だもん」
りんはくすくす笑う。
分からない、りんが分からない。
りんの秘密を一つ知ってしまった。今まで二人の間にはなんの秘密もないと思っていたのに。好きな人がいるくらい普通だ。いない私がおかしいかもしれない。
りんのことを分かりきってない、友達失格のように聞こえた。そんなことない、と心の中で反芻する。りんの秘密一つくらい分からなくていいんだよ、りんだって知られたくないことあるに違いない、そう思い込ませる。
「ごめん、分からなくて」
私は言う。するとりんは言った。
「いいよ、恋は内緒にしていた方がかなうっていうもんね」
「そうなんだ。じゃあ、りんの恋が叶うといいね」
叶ってくれていいのだろうか、叶ったらりんは私じゃなくて好きな人と一緒になることが多くなるはずだ。私は見捨てられる、といったら大げさだけど一人ぼっちになってしまう。前みたいに、友達がいなくて話す相手もいない「暗い白河さん」になってしまう。
りんが幸せになって欲しいけど、恋人が出来て取られるのは嫌だ。
叶って欲しくないって思ってるのかな……本当はりんの幸せなところを見てみたいのに。嬉しそうに好きな人と手を繋ぐ、満面の笑みを浮かべるりんを見たいのに。それが私だったらいいのかな……。いや、いけない、私とりんは同性だから。好きなのも友達止まりでいいんだ。
友達でしかいられないってもどかしい。でも友達のほうが恋人よりはなりやすいし、多分気兼ねなく付き合えるはず。
だからこれでいいんだ。私とりんはこの関係でいいんだ。
12センチ差、キスしやすくても友達だ。
読んでいただきありがとうございました。
この二人の話は他にも書きたいので、もし書いたらその時はよろしくお願い致します。