18 遭遇(エノーラ視点)
何度かカイルに手紙を出したが、返事は無かった。
仕方なく屋敷の方に押しかけると、いつも執事が現れて、にこやかながらも有無を言わさぬ調子で、
「旦那様はお会いしません」
と私を門前払いにした。
正直、これほど徹底的に拒絶されるとは思っていなかった。
付き合っていた二年半の間、カイルはいつも優しかった。私はよく「我儘」と周りの者に言われたが、彼の前でだけ、不思議と心が穏やかでいられた。
気分が上下に振れやすい私の扱いにくい性質も、全て含めて、彼は理解してくれていたのだ。
彼の方は感情の起伏は無いに等しく、常に波のない海のような雰囲気を纏っていた。
(このままじゃ埒が明かない……)
カイルが王立学院副理事の職位に就いたことは知っていた。
辺境伯は、国境を守るという使命ゆえに自領地に引き篭もることが多いので、これは意外だった。
聞けば、メルトレファス公爵閣下と王太子殿下の意向らしい。お二方がカイルを中枢に留めたのだ。
それは、とりもなく、彼が今後宮廷中央で施政に携わる人材と認められたことを指す。
(話さえ出来れば……きっと)
やり直せる。確信があった。
これまで、私のどんな我儘にも、彼は少し困ったような顔をしつつも最後には受け入れてくれたのだから。
今度もきっと……。
王立学院の上層部棟に行くと、早速、受付兵士に呼び止められた。
「ご用件は?」
「マードック辺境伯に会いたいの」
「お名前をどうぞ」
「エノーラ・ユリアナ・ブライアンよ」
「申し訳ございません。面会のお約束は入っておりません」
ひどく事務的に受付係は言い放ち、私の前に一枚の紙を広げた。面会申請書、と題が掲げられたそれは、赤の他人が副理事に会うための正式な手続き書類だった。
「面会許可が下りたか否かわかるのは、三日後です。三日後、またこちらにお立ち寄り下さい」
ペンはあちらに置いてあります、と、兵士は少し離れた所にある机を指した。先客の初老の男が、私がもらったのと同じような紙に、何かを書きつけていた。
「私は、彼の……!」
口を開きかけ、また閉じた。
私は彼の何?
元恋人? 七か月前までは一緒に寝ていた女?
なんて浅い、そして意味のない関係だろう。目の前の、平民に毛の生えたような兵士らを説き伏せる力さえ無い。
「あ……」
その時、用紙を持って呆然と佇む私のすぐ横を、私とそう年の変わらない女性がすっと通り抜けた。
「これはヘザー様。いらっしゃいませ」
兵士二人が、先程とは打って変わって、愛想よく微笑む。
ヘザーと呼ばれたその女が、被っていた帽子を脱いだ。
「また来ちゃった。カイルはいる?」
見事な赤毛の女性だった。私のような赤みの強い金髪ではない。搾りたての葡萄汁で染め上げたような、深い赤。その赤が、きめ細かな肌の白さを強調する。
兵士二人が、たちまちだらしなく鼻の下を伸ばした。一人がカウンターの奥から出て来ようとするのを、赤毛女が手で制した。
「案内はいいわよ。慣れているもの」
彼女は持参した大きめの巾着を探り、兵士らの前に包み紙を置いた。ふわりと甘い香りが漂った。
「うちの家の者が焼いたお菓子なの。良かったら食べて」
「いいんですか!?」
「いつも良くしてもらっているから、お礼よ。……あ、でも、これってもしかして賄賂になる?」
「こんな賄賂なら何時でも大歓迎です!」
「じゃあ、また持ってくるわね。今度はクルミを入れてもらおうかしら……」
またね、と手を振って、赤毛女は誰に咎められることもなく、当然のような顔をして階段を上がって行った。
もらった菓子袋を嬉しそうに机の引き出しに仕舞い込む受付係に、私は再び話しかけた。
「今の誰?」
「申し訳ございません。そういったご質問にはお答えいたしかねます」
「カイルって言ったわ」
「さぁ、私どもには」
「マードック伯のコレだろ」
少し離れた所に座るまた別の受付係が、横から口を挟んだ。
既定の制服に手を加えて、やや着崩しているその男は、にやにやしながら小指を立てた。小指を立てる仕草が巷では「恋人」を表すことを、私はたまたま知っていた。
「いや、婚約者かな? 特別許可簿に名前載っけるくらいだし」
「おい……」
「いいじゃん。許可簿に名前載せるなんて、普通、家族くらいのものだし。だったら、近々家族になるって考えるのが自然だろ?」
だからさ、と、制服を着崩している男は、にやけていた顔を急に引き締めた。挑みかかるような目に、私は少なからず怯んだ。
「あんたがマードック辺境伯夫人の地位を狙っているどこぞのお嬢様なら、無駄な努力だから止めておきなよ。今度の副理事、いい方でさ。俺らにも普通に挨拶してくれるし。彼女の方も気さくな感じで話しやすいし。あの方々が面倒事に巻き込まれるのは見たくないんだよ」
大急ぎで自宅に舞い戻り、数日かけて、私はカイルについて調べ上げた。
彼が自分について詮索されることを嫌っているのは知っていたけど、構ってはいられなかった。
すぐに、情報通の友人から「まだ発表前だけど、マードック辺境伯とディオフランシス侯爵令嬢が婚約中」との話を聞けた。
(ディオフランシス侯爵令嬢……)
あまり良い噂は聞かない。生意気で頭でっかちな女、が社交界での評判だ。それもまともに夜会に出席していたのは五年も前で、最近は家に閉じこもって本ばかり読んでいるという。
辺境伯爵ともなれば、当然、周りは妻帯を急かすだろう。外堀を埋められ、やむを得ず行き遅れの侯爵令嬢の相手を引き受けたのかもしれない。
メルトレファス公の側近だった頃から、彼は、自分を犠牲にすることには慣れた人だった……。
(カイル。カイル。嘘よね。貴方が政略結婚なんて。そういうのを一番嫌っていたじゃないの)
何故かひどく疲れてしまって、早めに寝床に潜り込んだ。
馴染んだ体温が傍らから消えて七か月。いまだに、ふとした拍子にどうしようもない寂しさに襲われる。
何度も寝返りを打って意識を睡魔に預けようとしたが、叶わず、ついに私は上掛けを跳ね除けてベッドから出た。手早く着替えると、その足で御者を叩き起こし、馬車を出させた。
「マードックの街屋敷へ行って!」
「またですか? しかもこんな時間に?」
「いいから行って!」
今日は、今夜は、引かない。
そう思った。
(カイルに会えるまで、一晩でも粘ってやる)
あの腕の中に、もう一度、戻りたいから……。
修羅場……?(違)