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Anagram  作者: 宮原 ソラ
12/37

12 昔の女(カイル視点)


(今、社交界で一番話題になっているのは、貴方についてですよ。マードック辺境伯)


 甘かった、そう思った。

 自分の知らないところで、自分についての詮索が、既に始まってしまっている。下級貴族であった頃には話題に上るはずもなかった心無い噂話が、いずれ痛みを伴う真実を穿り返してしまいそうで、ただ恐ろしい。

 父も、母も、弟たちも、静かに暮らしたいだけなのに。なぜ、社交界というものは、人の秘密を暴き立てることにあんなに躍起になるのだろう……。

 マードック辺境伯になる前、私は、クラウザー男爵家の家督を継がない長男だった。これは、私が父であるクラウザー男爵の血を一滴も引いていないためである。

 先マードック伯の妹である私の母は、十六歳の時、どこの誰とも知れぬ男と恋仲になり、その男の子を身籠った。男の名はレアト。姓も子供のころ一度だけ聞いたことがあったが、忘れてしまった。

 幸いにして、私は母方の血が濃く出たらしく、顔は似ていないとのことだった。ただ、瞳の色が実父と同じ琥珀だった。マードックに多い青か灰の目なら良かったのだが、選べるものでもないので、これについては気にしないようにしている。

 男は母と駆け落ちをする予定だったが、直前で怖気づいて逃げた。十六の未婚の貴族令嬢に手を付けた挙句に行方をくらましたのだから、とことん駄目な人間だったと呆れ果てるしかない。

 私を胎に宿したまま途方に暮れていた母を助けたのが、父……クラウザー男爵だった。

 かねてから母に想いを寄せていたらしい彼は、私を私生児に、母を未婚の母にしないために、自らが父親になる事を買って出た。生まれた私を躊躇うことなく自分の籍に入れ、何不自由なく育ててくれた。


(お前の母……マードック辺境伯令嬢エミリアは、私にとっては手の届かない雲の上の女性だった)

(私はお前の存在に感謝しているよ、カイル。お前がいたからこそ、彼女は私の元に来てくれた)

(私は約束したんだ、エミリアに。彼女とお前を、必ず幸せにすると)


 父は非常に情の深い人物だったので、母がやがて心を添わせるようになったのは、自然の流れだったと思う。そして、八歳、十歳、十二歳、と、年の離れた弟たちが次々と生まれたのだ。

 実子が誕生した後も、父の私に対する態度は変わらなかった。長男はあくまでお前だから爵位を譲る、とまで彼は言ってくれたのだ。


(お前は聡い。聡くて強い。私はお前を誇りに思っているよ、カイル。血の繋がりはなくとも……お前は私の自慢の息子だ)


 私は父の申し出を断った。

 父のこれまでの無償の愛情に対する唯一の恩返しが、クラウザー男爵家に関わる全ての権利を放棄するという選択だった。


「マードックの爵位も、私ではなく弟の方が良かっただろうに」


 信じられないほど頑固になった伯父に押し切られる形で、結局、私がマードックを継いだ。

 この件が、随分昔に葬り去ったマードックとクラウザーの苦い過去を揺り起こさないことを、祈りつつ……。






「旦那様」

 街屋敷の自室の窓辺に立ち、明るい月を見上げている時、遠慮がちに執事に声を掛けられた。

「ブライアン子爵未亡人エノーラ様がお見えです。旦那様にお会いしたいと」

 あまりにも意外な名を聞かされて、咄嗟に返事が出来なかった。

「エノーラ?」

 鸚鵡のように繰り返せば、

「はい。そのように仰っておりました」

 やはり聞き間違いではない答えが返ってくる。

「いかがいたしましょう?」

「……」

 なぜ今、と、思った。

 エノーラは、半年前まで、私が付き合っていた女性だ。

 三年前に遡る。出会った場所は、よくある貴族の仮面舞踏会の会場だった。彼女は華やかな妖精の女王に扮し、私はいかにも義理で出席しましたと言わんばかりのやる気の無い怪盗の姿をしていた。

 早く終わってくれと時計ばかり気にしていた私に、物好きにも声を掛けてきたのがエノーラだった。

 具合が悪いから個室に連れて行って欲しいと言うので、その通りにした。随分と露骨な誘い文句だと訝しみつつ、たまには火遊びも良いかと忍び込んだ先の小部屋で、仮面を外した彼女を見て驚いた。

 十代?

 良家の未婚の子女だったりしたら、火遊びなどでは済まされない。つい、もっと自分を大事にしなさいと年寄りじみた説教をしてしまった。

 彼女は、自分は未亡人であり、夫の喪も明けたからもう自由に恋愛して良いのだと、妙に真面目なことを言ってきた。

 年齢を聞くと、二十歳だという。十六で嫁ぎ、十九で夫と死に別れた。その夫は五十歳年上だったというから驚きだ。

(だから、若い恋人が欲しいの!)

 彼女の主張に、さすがの私も絶句した。

 まだ仮面を外していない私が中年や年寄りだったらどうするのかと窘めると、素顔は先ほど確認したから大丈夫、と、あっけらかんと返答され、またも黙りこくる羽目になってしまった。

 庭の暗がりで仮面を外して一休みしていたところを、どうやら見られていたらしい。……油断した。


(貴方がいいの。私では駄目?)

(そんな事はないですが。……でも)

(でも?)

(恋人が欲しいなら、順番に始めましょうか)

(どうするの?)

(そうですね……)


 その晩は、名と連絡先だけ交換して別れた。

 数日もしないうちに、彼女から手紙が来た。私の方からは花を贈った。

 庭園に連れ出し、芝居見物に誘い、時には市場のそぞろ歩きの供をした。パーティーにエスコート役として同伴すれば、彼女はこの上もなく嬉しそうだった。

 多分、こういうやり取りに憧れていたのだろう。一通り満足すれば離れていくだろう。

 そう思っていたが、二か月経っても三か月経っても、終わる気配を一向に見せない。ごく自然と、体を繋げる仲になった。

 付き合いは二年半続いた。

 二年半後、エノーラの方から別れ話を切り出した。爵位を継がない長男の私は決して甲斐性のある人間ではなかったし、彼女もついに飽きたのだろうと黙ってこれを受け入れた。

 関係は終わった。……終わったはずだった。


 今夜、突然、彼女が屋敷を訪ねてくるまでは。




まさかの元カノ登場。

まさかでもないかー……。

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