憂国の志士
日本という国は本格的に迷走をはじめている。
官僚トップの汚職事件、数多くの天下り企業の実態。言論の自由とは形ばかりの報道規制。数年前、大事故をおこした原発がきっかけで、日本が今まで以上に役立たずな政治がますます浮き彫りになった。
だからなんだと言うのか。俺には関係ない。
何不自由のない暮らしが出来て、父親が官僚、コネもカネも何もかも揃っていて、エリートの道を約束されたような環境にいるのだから、お国の事などどうでいい。
「くだらない」
ニュースで騒がれてもまるで他人事のように吐き捨てる。
環境が汚染されようが、戦争がおころうが関係ない。勝手にすればいい。いざとなれば、この高級住宅には地下シェルターがあり、国内の食糧がダメになっても外国から直通で取り寄せることが出来る。もしもの時が起こってもハワイ等に避難することは容易い。父親は優秀でそこまでのカネ、力を持ち、安全も万全だった。
後は勉学さえ励んで有名大学に入れば、今の官僚、父達と同じ社会的地位が獲得できる。そうして勝ち組になって、国民の税金で自分達の財産をばれない様に築いていけばいい。
「日本はなんだかんだ言っても学歴社会だ。俺のようになりたいのなら勉強しろ」
そう、父親に教えられてきたのだから。
国を動かす官僚が、自分さえよければいいと思っている奴で溢れている。父もそうだが、周りがそういった奴の集まりだとしたら、自分だけ馬鹿正直に生きても損をするばかりか、はぶられるのだろう。良くも悪くも協調性を大事にする民族だから。実質、力を持ったトップ達がそういう考えの持ち主だから、従うしかない。だから、こんな国に誇りを持つ奴なんていない。愛国者なんて言葉が時代錯誤と思えるぐらい滑稽だ。変化を望む人達は大勢いる。根本的に日本全体が変わらなくては無理だろう。それこそ、幕末のように全員が立ち上がって、世の中を変える運動をおこすしかない。しかし、現実は厳しい。若い世代は昔ほど多くなく、時代背景も違う。それに超高齢化社会もあって、トップが未だに古い考えの人間が居座っている。現役で不可能に近い。
「つまらない」
そう言って日本の社会に批判的な本を閉じる。
暇だったので、父の書斎で適当に手に取ったものを少し読んでいただけだった。本棚には『ユダヤが世界を変える』『坂本竜馬』『人間失格』等、あらゆるジャンルがバラバラになって収められていた。父も兄貴も読書好きだ。俺はあまり読まない。決められた勉強のノルマをこなし、退屈をもてあましていただけ。
日本のシステムのおかげで、ぬるま湯に浸かって、生活ができているとは露知らず、そこまで深く考える必要のない学生の自分には心底どうでもよかった。
学生の本分は父が言うように勉学。大まかに現代で読解力、数学で計算、歴史で人類の推移、科学で世界の理を学ぶ。一般的な知識と教養を身につける為、『少し』頑張ればいいだけ。兄貴とは違い、次男の俺はそれほど期待はされていない。
(そろそろ受験の時期か・・・エスカレーターだから問題ない。コネって凄いね。――父の子供に生まれて心底よかったと思う)
中学3年生の自分は典型的なゆとりと呼ばれるクソガキだった。
しかし、そんな俺を変えるキッカケ、大事件がおこる。
ある日突然、世田谷にある高級住宅の我が家にたくさんの人達が押し寄せてきた。
「検察庁の特捜部です。貴方がたの父親が汚職に関わっているとの事で家宅捜索させてもらいます。これが証明書です。それでは失礼します」
留守番をしていた俺と妹の2人に令状を見せると、複数の男達が勝手に家に入って、泥棒のようにあちこち荒らしていく。
「兄さん・・・怖い」
「大丈夫・・・」
幼い俺には何が起っているかわからず、根拠のない気休めの言葉しか言えなかった。
その日から仲の良かった父と母は連日のように夫婦喧嘩で家庭は荒れだした。
父は酔っぱらって夜遅く帰ることが多くなり、母はヒステリックになって物にあたったり、最悪、俺達にまで手を出したり、暴言を吐いた。
そして、とうとう
「もう終わりね、離婚しましょう」
「子供達はどうするつもりだ?」
「貴方が引き取ればいいでしょう?」
「・・・ ・・・」
「不服なら民事裁判でもおこしますか?」
「・・・わかった」
そんなやり取りが耳を澄ましていた俺に聴こえていた。
それから数日後、父親が俺達を呼んで家族会議のように事情を説明した。
「母さんと離婚して、わたしがお前達を引き取る事になったが、父さんはちょっと、お勤めに行かなきゃならなくなった・・・。しばらく家に帰れない・・・」
いつも強気だった父親は憔悴して覇気が感じられない。どこか目も虚ろだった。
「・・・どういう・・・事?」
年長者の兄貴がただ事ではない雰囲気の中、口を挟む。俺と妹はこの空気に耐えるだけが精一杯でみてるしかできない。
「・・・叔母の家に行きなさい。この家も売らなきゃならない・・・」
「―――ッ!!」
(今まで生活していた場所まで無くなる?)
母親がいなくなるショックがまだ治まらない中、更に重い事実を告げられ、言葉がでない。
(なぜ、どうして、学校は、食事は、寝る場所は、これからどうすれば!?)
色んな事が頭の中に押し寄せて俺達は呆然自失になった。
しばらく誰も何も言葉を発しなかった。
「済まんッ!!、父さんが全部悪い」
ようやく口を開いた父が俺達に『初めて』頭を下げた。それがどれだけ重い事か子供の俺でも感覚で理解した。
そして、数日後――
その言葉通り、父は帰ってこなくなった。
ニュースで内部告発によって父親が警察に捕まった事を知った。
官僚の派閥争いに巻き込まれ、権力闘争に敗れたのだ。(その事を理解したのはもう少し後だが)
父親『小田原一郎』は刑務所に、元女優だった母『川口エリカ』は離婚。財産は父の汚職で差し押さえられ家さえも住めなくなった。
残されたのは3つ離れた高校生の兄『純一郎』と中学3年の俺『勇人』
「兄さん・・・」
慕ってくれている中学1年の妹『沙耶』は、俺の服にしがみ付いて不安そうに呟く。
唯一つの救いと言えば、父が残してくれていた、それぞれ100万単位の貯金があった事だけだった。
自分の部屋に戻った俺は、疲れたように勢いよくソファーに座った。
一人になった途端、糸が切れた人形のように崩れ落ちる。
沙耶を不安にさせたくなくて、弱さを抑え込んでいた反動がくる。
(嘘、だ・・・何かの冗談だろ?・・・なんで、なんで・・・父も母も数週間前まで仲が良くて・・・一体、どうして・・・これは・・・本当に、現実なの・・・)
兄貴も耐えているんだ。泣き事一ついってない。俺りつらいはずなんだ。
でも、
もうだめだ、こんなに大きくて、こんなたくさんの感情は、知らない、耐えられない。
泣きたい、逃げたい、消えたい
――ツライ、カナシイ、クルシイ――
「――誰か、助け・・・て・・・よ・・・」
押し寄せる強い衝動のあまり、酸欠のような状態になりながら、声を振り絞る。
涙が出そうになって両手で顔を覆った。
(・・・何が悪い・・・?捕まった父・・・?俺達を捨てた母・・・?性根の腐った官僚達が作った社会・・・?)
「はははは・・・」
涙を我慢すれば、今度は渇いた笑いが勝手に口から零れる。
天井を見上げても、瞳の中には何も映らない。
(もう何もかもどうでもいい・・・ ・・・それなら、いっそ――)
絶望というマイナスの感情が大量に押し寄せて、生きる気力さえも奪っていく。
「――ッ!!」
寸でのところで思い留まった。
(バカな、何を考えてる!兄貴と沙耶に追い打ちをかけるつもりか!)
急激に思考がクリーンになって、これまでの自分が走馬灯のように映像として蘇えっては消えてゆく。自分はなんて愚かなのだろう。
目が覚めた――
(赦・・・さ、ない・・・)
怒りが湧いてくる。
(「何に対して?」)
(こんな国を作った奴ら全部――こんな世界を――こんな不幸を押しつけたすべてを――ぶち壊してやる!)
悔い改めると同時に、目的を作る事で、なんとか心のバランスをとった。
復讐はとてつもなく強い行動理念を伴う。
しかし、数日間、気だけが膨らんで何も手に付かず、途方に暮れていた。その感情を維持しないと、自分自身、何をおこすかわからないぐらい、まだまだ心は不安定だった。
このままでは行き場を失う。
兄貴を撒き込みたくない俺は、仕方なく、目的は言わないで相談しようと部屋の扉を恐る恐るノックする。
「・・・勇人か?・・・入れ」
一拍おいて落ち着いた声で返答がかえってくる。
兄貴も相当ショックだったはずだ。
しかし、部屋に入ると胡坐を掻いて微動だにしない兄貴の姿がそこにあった。涙の後さえない。驚くほど、至って冷静だった。
ただ、その眼の中には以前無かった暗いモノが宿っているような気がした。それは今なら分かる、自分と同種のモノだと言うこと。
だが、兄貴のそれはもっと深く底冷えするように感じた。
佇まいを正して、俺は話を切り出す。
「・・・なぜ、こうなったのか、知りたいのか・・・知らない方が幸せということもある」
兄貴は俺にはまだ早いというニュアンスで言葉を濁す。
「俺は・・・知りたい。色んな事を!だから教えて、どうすればいい!・・・何をすれば・・・」
感情の赴くままにまくしたてだした俺にもう口を挟まず、黙って耳を傾けている。
そして、俺が言い終わるとしばらく眼を瞑っていた。
数秒間空いて、兄貴は簡潔に一言だけいった。
「本を読め」
最初何の事か解らなかったが、その様子をみてとった兄貴はその後、単純明快に説明してくれた。
本はその人が人生で感じてきた事を少なからず書いている。つまり色んな人の考え、意見を知れという事だ。それに専門的な事もたくさん本でわかる。
(そうか)
俺にまず、必要な事はたくさんの知識だと理解した。
何をするべきかを学ぶ、物事を見極める、方法を編み出す。
昼夜問わず、何かしらの本を片手に持つようになった。