一話 坊主は苦を知る
紙の束が、目の前に積まれている。一枚、二枚、いやもう数えるのはやめた。どうせ終わらない。
「・・・坊主って、こんなに働くもんだっけ?」
思わず口から漏れた愚痴に、誰も反応しない。そもそもここは寺だ。静かなのが普通である。
ーーいや、おかしいだろ。
俺の知ってる坊主は、もっとこう、座禅とかしてるイメージだったんだが?
どうして俺は今、戦国時代の寺で書類整理なんてやっているのか?
まあ、理由は分かっている。
ーー気付けば、この時代に転生していたからだ。
◇
――とはいえ。
転生したからといって、別に何か特別なことができるわけでもない。俺はただの見習い僧で、やっていることといえば雑務ばかりだ。
書類の整理、使い走り、伝言役。どれもこれも、誰でもできるような仕事である。
ーーいや、本当に誰でもできるのか?
ふと、手元の書状に目を落とす。同じような内容の紙が何枚も混ざっている。宛名もバラバラ、順番もぐちゃぐちゃだ。
「これ、どうすんだよ・・・?」
思わず小さく呟いたところで、
「おい正然、まだ終わっておらんのか?」
後ろから声が飛んできた。振り返れば、年嵩の僧が腕を組んでこちらを睨んでいる。
「今日中にまとめて出さねばならんのだ。急げ」
「いや、これ順番も何もかも滅茶苦茶で・・・」
「それなりの形で読めれば、問題なかろう」
無茶を言う。後になって絶対揉めるぞ?
それでも、やるしかない。俺は一度息を吐いてから、紙の束をざっと見直した。
・内容ごとに分ける。
・同じ宛先をまとめる。
・順番を整える。
やっていることは単純だ。ただ、それだけで見違えるほど分かりやすくなる。
「・・・よし」
どうにか形にはなった。これなら、少なくとも"読めない"などとは言われないだろう。
そう思った、その時だった。
「――ほう」
すぐ後ろで、別の声がした。低く、静かな声。
振り向くと、いつの間にか一人の僧が立っていた。
周囲の空気が、わずかに変わる。年嵩の僧が、慌てて姿勢を正した。
「せ、雪斎様・・・」
その名を聞いた瞬間、嫌な予感しかしなかった。これは、とてつもなく面倒なお方に見られたな・・・。
◇
太原雪斎。
今川家でやたら偉い坊主くらいの認識だが、とにかく関わると面倒な御仁だ。
(なんでこんなところに?)
できれば目を合わせず、このままフェードアウトしたい。そんな俺の考えを見透かしたように、雪斎様が一歩近づいた。
「その書状、貴様が整えたのか」
「・・・はい、一応は」
短く答える。余計なことは言わない。関わるとろくなことにならない。
「何故そのように分けた?」
(来ちゃった・・・メンドい質問タイム)
俺は、一瞬だけ言葉を選び、
「その方が、後で確認しやすいかと」
とだけ答えた。
雪斎様は、整えられた書状に目を落とす。沈黙が、やけに長い。長すぎて皆さん唇カサカサカピカピよ?
(頼むから、ダメ出しだけして帰ってくれ・・・)
そう思った次の瞬間。
「無駄がない」
ぽつり、と。それだけだった。
「はい?」
思わず間の抜けた声が出る。
「同じ内容をまとめ、宛先ごとに分ける。順も整っている。誰が見ても分かる形だ」
いや、そんな大したことはしていない。ただ整理しただけだ。
(いや待て、それくらい普通だろ?)
だが、周囲の反応は違った。
「・・・なるほど」
「確かに、見やすいぞ・・・」
ざわ、と空気が変わる。やめろ。そんな目で見るな。
「貴様、名は」
「正然です・・・」
「そうか、正然」
雪斎様はわずかに頷いた。
「では、その才、他でも使ってみよ」
嫌な予感が、確信に変わる。
「はあぃ・・・?」
「丁度まとめきれていない報せがある。駿河と遠江の境で、一悶着あった」
いや待て、話がでかい。デカ過ぎる。
「それを整理し、分かる形にせよ」
「俺が、いえ、私がやるんですか・・・?」
「他に誰がいる?」
即答だった。いや、いくらでもいるだろ!他に!
「三日だ」
「短過ぎ!?間に合うとでも!?」
「できるであろう?先ほどの手際を見るに」
完全に勘違いされている。
「では頼んだ」
それだけ言うと、雪斎様はもう興味を失ったように背を向けた。残されたのは、大量の仕事と、周囲からの妙に期待した視線だった。
(・・・何でこうなるんだよ?)
俺は静かに天を仰いだ。
「・・・坊主、楽な仕事じゃなかったわ」




