火種が灯る ―「ネットの雪面」
深夜一時半。
眠りかけた世界の片隅で、ひとつのタグが、音もなく点灯する。
《#白雲ゲレンデ雪崩予告》
――トレンド入り(1,284件のツイート)
画面の中で、数字が静かに増えていく。
1,284。1,316。1,402。
それはカウントではなく、積雪量のようだった。
スクロールするたびに、文字の雪が吹き荒れる。
> 「これ、バイトの人が言ってたやつじゃない?」
> 「去年も山の上の方でヒビ入ってたよな」
> 「マジで明日行くのキャンセルしようかな」
ひとつひとつのツイートが、白い吹雪の粒となって流れ落ちる。
誰が最初に呟いたのか、もう分からない。
ただ、誰かの軽口が誰かの不安を撫で、不安が別の誰かの想像を押し出し、
想像が現実の形を取り始める――そんな連鎖。
画面の光は、雪明かりのように無機質で冷たい。
静寂の夜空の下、情報だけが、風よりも速く流れていた。
午前一時四十五分。
タイムラインの雪は、もう吹雪になっていた。
流れるのは文字だけではない。
そこに、断片的な“映像”が混ざりはじめる。
――崩れ落ちる雪の壁。
――悲鳴とともに白く覆われる画面。
――誰かが撮った“今日”のような“過去”の映像。
添えられた文章は、まるで火の粉だ。
> 「これ、今日の映像じゃね?」
> 「やっぱ内部の人間のツイートだったんだ」
> 「政府、隠してるだろ」
ひとつひとつが確信のような口調で書かれ、
拡散されるたびに、まるで証拠の重みを得ていく。
スクロールする指先の下で、
“本物”と“作り物”の映像が、境界を失って混ざり合う。
数年前の事故現場、どこの山とも知れぬ崩落、
果てはAIが生成した「白雲ゲレンデ崩壊映像」までが、
同じ雪の夜に起こった出来事のように見えてくる。
ツイートの滝が流れ落ちるたび、
画面の中の白が濃くなり、
ノイズが“吹雪”の音に聞こえはじめる。
誰かが呟いた――
> 「本当に、もう崩れてるのかもしれない」
その言葉を境に、
情報の雪面が、ひとつの“現実”として固まり始めた。
――ピコン。
――ピコン、ピコン。
通知音が一定の間隔で降り注ぐ。
最初は軽い雪の粒のようだった。
だが、数が増えるにつれ、
その音は互いにぶつかり合い、
反響し、歪み、いつしか一つの「うねり」へと変わっていく。
リツイートの電子音が層をなし、
リプライの着信がその隙間を埋める。
無数の通知が重なり合うとき、
そこに“轟音”が生まれる。
――ゴゴゴゴゴ……ッ。
画面を覆う数字が連続して弾け、
光の波が指先を焼く。
それはもう、情報ではなかった。
雪崩の音そのものだった。
その背後。
監視カメラの静止映像が、
まるで別世界のように沈黙している。
無人のゲレンデ。
照明の光が、風に舞う粉雪を淡く照らす。
音はない。
ただ、スピーカーのハム音だけが、現実の存在を証明していた。
情報が流れ続ける。
現実は止まったまま。
その対比が、奇妙な圧力となって世界を満たす。
まるで“ネットの雪面”そのものが、
いま、静寂の向こうで崩れ落ちようとしているかのように。
タイムラインが、ゆっくりと下へ流れていく。
指の動きに合わせて、無数の言葉が降り積もる。
白い背景に、黒い文字。
「怖いね」「やばくない?」「ほんとに崩れるかも」
ひとつひとつの投稿が、雪片のように軽く、しかし確かに積もっていく。
最初はまだ、下の投稿が透けて見えていた。
だが、リロードのたびに白が濃くなり、
スクロールの動きが重たくなる。
まるで、雪が積もる速度に指先が追いつかないように。
――カサ……カサ……。
ページをめくるような音が、かすかに聞こえる。
それは風の音か、あるいは雪のざわめきか。
やがて画面は、一面の白に包まれる。
何も見えない。
誰の言葉も、どの発信も、
その白の下に埋もれてしまった。
ただひとつ、
画面の中央に黒く浮かぶ文字だけが残る。
> 《#白雲ゲレンデ雪崩予告》
それはもう“ニュース”ではなかった。
“情報”でも、“噂”でもない。
白い静寂そのもの――
すなわち、雪面。
ネットの雪原が、完全な沈黙とともに完成した。
真白な画面。
そこには、もう言葉も、影もない。
ただ、中央にぽつりと――赤い点が灯る。
通知ランプのような、小さな光。
「拡散中:10,000件」
その文字が浮かんでは、消える。
赤い点が、雪の白をわずかに染め、
まるで雪原の中に埋もれた“非常灯”のように瞬いた。
ピッ……ピッ……。
無機質な通知音が、遠くの心臓の鼓動みたいに響く。
画面がフェードし、
静寂の現実がゆっくりと浮かび上がる。
監視カメラの映像――
雪の降りしきる白雲ゲレンデ。
誰もいないリフト、止まった時計、無音の風景。
その中で、ただ雪だけが、絶え間なく降り積もっていく。
世界が静止しているのに、
“情報”だけが、動き続けている。
――音もなく、崩れ始めていた。
誰も気づかぬまま、
ネットの雪崩が。




