誤解の連鎖 ―「リツイート一回で世界は傾く」
深夜一時過ぎ。
白雲ゲレンデのバイト寮、六畳の部屋。
ユウタはベッドに仰向けになり、毛布に半分くるまりながらスマホをいじっていた。
空になったコンビニ弁当のパックが床に転がり、テレビには音を消したままの深夜アニメ。
ストーブの前では、濡れたスノボブーツが中途半端に乾ききらず、部屋全体が少しだけ湿っている。
指先でスクロールしていたタイムラインの中に、ふと見慣れない文章が流れ込んだ。
「この雪、崩れそう。あ、社会の話ね」
一瞬の間。
ユウタは目を細めて読み返し、「社会の話ね」の部分でふっと笑った。
「うけるw 皮肉じゃんこれ。」
声に出すほどでもない、乾いた笑い。
特に意味もなく、ただ“いい感じに夜っぽいツイート”だと思った。
誰かが何かを真面目に言ってるっぽくて、でもよく見れば冗談。
そういうのが、妙にツボにはまる時間帯だった。
親指が軽く動く。
“リツイート”ボタン。
ついでにコメント欄に、勢いで書き込む。
「#白雲ゲレンデ雪崩予告www」
ほんの出来心。
冗談。
深夜テンション。
指を離すと、電子音が短く鳴った。
「ツイートを送信しました」の表示。
ユウタはあくびを噛み殺し、スマホを胸の上に落とす。
天井を見上げて、ぼそりと呟いた。
「……ま、誰か笑うっしょ。」
外では風が強まり、窓の外で雪がさらさらと音を立てて流れていた。
けれどそのとき、ユウタはまだ知らない。
その軽い“笑い”が、山のように重く積もっていくことを。
数分後。
ユウタの枕元で、スマホが小さく震えた。
――ピロン。
「いいね」2件。
――ピロン。
「リツイート」3件。
液晶に並ぶ数字が、じわじわと増えていく。
ユウタは毛布の中でニヤリと笑った。
「うわ、バズるかも。」
ささやく声が、少しだけ弾んでいる。
深夜の静けさとスマホの光が、奇妙にリンクして、
自分だけが世界のどこかで“生きてる”ような感覚。
すぐに友人たちからリプライが飛んでくる。
「マジ?今日も雪ヤバいし、本当に崩れそうw」
「ゲレンデの上のとこ、去年も落ちかけたよな?」
その言葉にユウタは軽く吹き出した。
冗談に冗談を重ねて、笑いが連鎖していく。
「#白雲ゲレンデ雪崩予告」――ただのネタタグ。
けれど、深夜のTLではその軽さが心地よく、
次々に仲間が乗っかっていく。
「白雲、避難しとく?w」
「俺らも崩れそう(給料的な意味で)」
「雪崩もバイトも止まらねぇ」
気づけばタイムラインが白雲ゲレンデ一色に染まり、
誰かが作った簡単なコラ画像まで出回り始めた。
ユウタはスマホを見つめ、薄く笑いながら呟く。
「やっぱ、ノリって大事だよな。」
外の雪は止む気配もなく、
その白い闇の中で、
ひとつの冗談が――静かに膨らみはじめていた。
時間が経つにつれ、
タイムラインの空気が、微妙に変わっていった。
最初は、いつものノリだった。
「やべぇ、白雲崩壊www」
「雪よりバイトが先に沈むw」
だが、夜の2時を過ぎた頃から、
コメントのトーンが少しずつ沈んでいく。
「笑えねぇな。去年マジで小規模雪崩あったろ?」
「ニュースでやってたよな?積雪量、今季最多だって」
「スキー場の従業員が内部告発したってマジ?」
ユウタのスマホは、通知音で小刻みに震え続けた。
画面の数字が、まるで熱を帯びたように跳ね上がっていく。
「……え、なんか怖くね?」
独り言のように呟いても、
スマホの中では誰も彼を見ていない。
地元情報アカウントがタグを拾い、
《#白雲ゲレンデ雪崩予告》を“地元トレンド1位”に押し上げる。
そこからは速かった。
知らないユーザーが真顔で言う。
「現場の人が警告してるなら、対策必要では?」
「拡散しとく。命は大事。」
その“善意”のリツイートが、さらに炎を広げた。
ユウタは画面を見つめたまま、
乾いた喉を鳴らす。
最初に感じた「バズるかも」の興奮が、
今は別の震えに変わっていた。
スマホの画面をスクロールしても、
止まらない波。
止まらない文字列。
止まらない拡散。
――“笑い”という軽い雪が、
いつの間にか、重く湿った“不安”に変わっていた。
スマホの画面が、暗い部屋の中でひとつだけ光っていた。
その青白い光が、ユウタの顔の輪郭を不安定に照らす。
瞳の奥に、数字が反射している。
「1」
「3」
「7」
「12」
「24」
「48」……
リツイートの数が、呼吸のように膨らんでいく。
画面をスクロールする指先が、汗ばんでいた。
通知の音が途切れず鳴り、タイムラインが止まらない。
それはもはや“情報”というより、
目の前で積もっていく“雪”のようだった。
外の風が、ふっと強まる。
屋根の上の雪が「ドサッ」と重たく落ちる音が、
部屋の天井を震わせた。
ユウタは、思わず顔を上げる。
暗闇の中に、窓ガラスが小さく軋む。
「……マジで、崩れたりして。」
その言葉は、
誰にも届かないはずの独り言だった。
けれど、
まるで“現実”に向かって呪文を唱えたかのように、
部屋の空気が一瞬、静まり返った。
そして、スマホの画面にまた新しい通知が灯る。
「リツイート49件」
――光がひとつ増え、闇が少しだけ濃くなった。




