〈町の静けさ〉 ―「誰も見ていない雪」
昼下がりの白雲町商店街。
昨日まで報道車と観光客で埋まっていた通りは、
まるで祭りの翌日のように、妙に広く、妙に静かだった。
看板が風に揺れ、金属の軋む音を立てる。
その音が、どこまでも澄んだ空気に吸い込まれていく。
遠くで旗がはためく音がするが、それもすぐ風にちぎれて消えた。
電線の上に取りつけられたスピーカーは、
正午のチャイムを流し終えると、まるで力尽きたように沈黙している。
街灯の根元には、人の足跡が幾重にも踏み重なった雪が黒く凍り、
その上から新しい雪が、まるで上書きするように薄く積もっていた。
昨日まで、この町を覆っていたのは騒音と光だった。
報道陣のライト、カメラの赤いランプ、観光客の歓声。
彼らが口々に叫んだ言葉は――
「#白雲ゲレンデ」
「#予言的中」
――そんな見出しで、世界の熱を燃やしていた。
けれど今、そのタグは誰のスマホにももう表示されていない。
トレンドは別の都市へ、別の災害へ、別の噂へと移っていった。
残されたのは、風と、雪と、
それを見ている者さえいない、この小さな通りの静けさだけだった。
谷口館の前。
春江はスコップを両手で握り、腰をかがめながら、
玄関前の雪をひとすくい、またひとすくいと掻き寄せていた。
雪は軽くもなく、重くもなく、
昨日とまったく同じ手触りだった。
スコップの先が地面を擦るたびに、
「シャリ、シャリ」と淡い音が響く。
その音が、この通りで唯一の“生活の音”になっている。
見上げれば、「雪崩鍋」の旗が風に揺れていた。
布の端はほつれ、棒から半分外れかけている。
残ったのは――“崩”の一文字。
それが、ひらひらと空気に舞っていた。
春江は手を止め、少し息をつく。
白い吐息がふわりと広がり、
青みを帯び始めた空へと溶けていく。
「……昨日も今日も、雪は同じ顔してるのにね。」
誰に言うでもない独り言。
けれどその声は、この静かな町の空気に吸い込まれ、
まるで返事を待つかのように、
一瞬だけ、風が止んだ。
ゲレンデの入口。
昨日まで立ち入り禁止のロープで囲まれていた場所は、
いまやただの雪の坂道に戻っていた。
風に煽られたロープが、柵の端で名残のように揺れている。
人の足跡は風で薄れ、代わりに新しい雪がその上を覆う。
白さがゆっくりと、昨日の痕跡を飲み込んでいく。
リポーターが立っていたあたり――
そこには三脚の跡が三つ、規則的に雪に凹んだまま残っていた。
それはまるで、誰かが“見ていた”という記憶の残骸。
けれど、もうその跡をなぞる者はいない。
マイクも、ライトも、視線も消えた。
静かな風がひとすじ通り抜け、
小さな粉雪を巻き上げては、また何事もなかったように落とす。
――誰も、もうこの雪を“見る”理由を持たなかった。
春江はスコップの柄に手をかけたまま、ふと顔を上げた。
遠くの山の稜線に、薄く青が滲んでいる。
雲がほどけて、白い光がゆるやかに差しはじめた。
雪面が静かにきらめく。
その光は、昨日までのニュース映像よりも淡く、
けれど確かに“ここ”にある現実だった。
春江はスコップを雪の上に立てかけ、
しばらく何もせずに、その光を見つめる。
息を吐くたび、白い気配がゆっくりと薄れていく。
雪は、ただそこにあった。
白く、冷たく、何も語らない。
まるで最初から、何も起きていなかったかのように。
風がふっと止んだ。
「雪崩鍋」の旗が、名残惜しげに揺れをやめる。
春江はスコップを片づけ、ゆっくりと館の中へ入った。
戸の閉まる音が、ひとつだけ乾いた響きを残す。
通りには、誰もいない。
残された雪だまりの上に、ひらひらと一枚のチラシが落ちてきた。
角が折れ、湿った紙には昨日のままの文字が滲んでいる。
《白雲ゲレンデ LIVE中継!》
雪が、それを静かに覆い隠していく。
やがて文字も、紙の色も、すべてが白に溶けた。
町は完全な静寂に包まれた。
誰も見ていない雪が、淡い午後の光を反射していた。
それは、終わった物語の最後のページのように、
静かで、どこまでも白かった。




