〈ユウタの告白〉 ―「たった一行で」
夜明けの気配が、ようやく町外れにも滲みはじめていた。
コンビニの駐車場には、昨夜の名残の雪がまだ薄く残り、
アスファルトの黒と白がまだらに混ざっている。
自販機の明かりが、氷点下の空気を淡く染めていた。
「つめた〜い」の青いランプの下、ユウタはじっと立っていた。
その指先はかじかみ、スマホの画面をスワイプするたび、
一拍遅れて世界がついてくるようだった。
画面には――もう、何もなかった。
トレンド欄から「#白雲ゲレンデ」が消えている。
かわりに新しい災害の速報、政治家のスキャンダル、
知らない誰かの“燃えている話題”が上位を埋めていた。
彼はその移り変わりを、何度もリロードして確かめる。
「……終わった、んだな。」
呟きは、白い息と一緒に消えた。
風がコンビニの旗をばたつかせる音だけが残る。
その音が、まるでニュースの残響のように、
まだ世界が動いているふりをしていた。
コンビニの自動ドアが、乾いた電子音を鳴らした。
チャイムの音が凍りつく空気を割る。
出てきたのはミホだった。
髪にまだ細かな雪が残り、黒いフードの肩にも白い粒が散っていた。
その手には、湯気を逃さないように握られたホット缶コーヒーが二本。
無言のまま、彼女は一歩近づき、一本をユウタに差し出した。
ユウタは受け取る。
だがプルタブには指をかけない。
手の中で、ぬるい金属の温度が、何かを責めるようにじわじわと伝わる。
二人の間を、車の排気音がゆっくりと横切る。
遠くでトラックのバック音が鳴り、風が旗をはためかせる。
それらの音がまるで「沈黙の字幕」のように、
言葉の代わりに時間をつないでいた。
そして、ユウタはぽつりと口を開いた。
「……リツイートしたの、自分っス。」
吐く息と一緒に、その言葉は空気に溶けていった。
雪のように軽く、
けれど、確実に世界のどこかを少しだけ沈める重さで。
ミホは一瞬、ユウタの顔を見た。
その瞳の奥に、驚きも怒りもなかった。
代わりに、深く、どこか底の抜けたような沈黙があった。
ほんの数秒の間――
コンビニの自動ドアが開いて、客の足音と袋のこすれる音がすれ違う。
それを見送りながら、ミホはふっと目を細め、そして笑った。
乾いた、音のない笑い。
皮肉でも赦しでもなく、
ただ現実の虚しさに反応しただけの、薄い笑いだった。
「たった一行で世界が崩れるなんて、笑えるね。」
その言葉が、白い息のように消えていく。
ユウタは顔を上げられず、手の中の缶を見つめた。
プルタブを引く音が、小さく鳴る。
その金属音だけが、二人の間で確かに現実を証明していた。
ユウタは、缶コーヒーを指で転がしながら、
どこにも焦点の合わない目でつぶやいた。
「……俺、なんで押したんだろ。」
その声は、まるで自分の内側に向かって落ちていくようだった。
理由を探しても、指先の感触しか思い出せない。
あの夜、寒さと退屈の中で――
ただ、親指が動いた。
ミホは少し息を吐き、曇る窓の向こうに視線を流した。
白い息の向こうで、朝日がまだぼんやりと雲の下に沈んでいる。
「“世界が動く瞬間”に居たかっただけでしょ。みんな、同じ。」
声は静かで、どこか事務的だった。
責めるでも、慰めるでもない。
ただ、観察する者のような言い方。
ユウタは何も言えなかった。
ミホ自身も、その“波”の中にいたことを知っている。
報道を撮り、編集し、拡散を追った。
だが――結局、彼女も「見ていただけ」だった。
雪解け水がタイヤの跡をゆっくり満たしていく。
その薄い水面に、空と二人の影が、揺らいでいた。
沈黙が、ふたりの間に沈殿していた。
何かを言えば壊れてしまうような、
あるいはもう、言葉では届かない場所に来てしまったような静けさだった。
遠くで除雪車のエンジンが、低く唸る。
雪を押しのける鈍い音が、街の朝をゆっくりと削っていく。
やがてその音も遠ざかり、再び風だけが残った。
ユウタの足元。
融けかけた雪が、白線の上で小さな水たまりを作っている。
そこに映るのは、曇った空と、手の中のスマホの光。
指がほんの少し動く。
画面が揺れる。
空も、水も、同じようにかすかに波打つ。
その小さな揺らめきに、世界の輪郭が崩れていくようだった。
たった一行で始まり、
たった一行で終わる――そんな現実の終わり方を、ふたりは黙って見つめていた。
ミホは最後の一口を飲み干した。
冷えきった缶を握りしめ、少しだけためらってから――
ゴミ箱へ、軽く放る。
カン、と乾いた金属音。
その響きが、やけに澄んで聞こえた。
彼女は吐く息を白く散らしながら、
空を見ずにぽつりと言う。
「――で、また降るのかな、雪。」
ユウタは答えなかった。
ただ、手に残るスマホの熱を確かめるように指を握り、
ゆっくりと顔を上げた。
雲の向こう。
灰色の層の隙間に、薄く青が滲んでいる。
それはまるで、まだ冷めきらない世界の残響のように、
どこか遠くで、静かに揺れていた。




