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『雪崩注意報発令中(人間に)』:白雲ゲレンデ騒動記  作者: 南蛇井


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〈支配人の崩壊〉 ―「自然現象です!」

――蛍光灯の光が、まるで審問のスポットライトのように白井の顔を焼いていた。


狭い会見室の空気は、雪の冷たさではなく、乾いた緊張で満ちている。

夜を一睡もせずに迎えた朝。

白井の顔色は、まるで雪面のように蒼白だった。

目の下には濃い隈、髪にはうっすら霜がついている。

机の上には、半分飲みかけの缶コーヒー。

その隣で、手垢にまみれたメモ用紙が皺だらけに握り潰されていた。


カメラのレンズが彼に向かう。

十数本の視線が、金属のような無機質な光を放っている。

白井は喉を鳴らした。声が出るかどうか、自分でもわからなかった。


「……あの……」


会場の奥で、誰かのペンがカチリと音を立てる。

白井は手元の紙を見た。そこには、自分で書いた言葉が震えて並んでいる。

“冷静に説明を。感情的にならないこと。”

“責任という言葉は使わない。”


彼は一度深呼吸をして、マイクの前に顔を上げた。


「あの……今回の雪崩は、完全に自然現象です。

想定外の気象変化によるものであり……誰の責任でもありません。」


一拍。

誰も動かない。

ただ、彼の言葉が、会場の空気をかすかに揺らす。


その次の瞬間――。


パシャッ、パシャパシャパシャッ。


十数台のカメラが一斉に光を放った。

白井の額の汗が反射して光る。

震える口元が、レンズの奥で静止画に切り取られていく。


まるで彼の“言葉”よりも、“顔”がニュースの素材になるのを

世界が決めていたかのようだった。



――質問は、まるで雪玉のように転がりながら、勢いを増していった。


「“雪ですからね”って、昨日おっしゃってましたよね?」

「SNSでは“予告を無視した”と批判されていますが?」

「住民から『何も説明がなかった』との声もあります!」


マイクを突き出す腕の列。

黒いコードが床を這い、照明の熱気とフラッシュの閃光が、狭い部屋を蒸すように満たしていた。


白井は一歩退きかけた。

目の前の記者たちの顔が、もう“人”には見えない。

光を放つカメラ群。

口だけが開閉する顔。

その群れ全体がひとつの巨大な“情報機械”に思えた。


「ち、違うんです、それは……あのときは、まだ――!」


声が裏返る。

額の汗が、マイクの先に落ちて弾けた。


「私はただ、冷静に――その……!」


だがその途中で、別の質問が上書きする。


「冷静にって、つまり“危険を軽視していた”という意味ですか?」

「住民の避難はどうして遅れたんですか?」


白井の言葉は途中で途切れ、

彼の声の“断片”だけが、マイクに吸い込まれていく。


――編集で、あとで切り取られるために。


カメラは、彼の顔をアップにした。

瞳孔が揺れる。唇が震える。

照明の反射が、涙と汗の境界を曖昧にする。


誰も、彼の説明を聞こうとはしなかった。

“声”よりも“表情”の方が、物語として映えるからだ。


そして白井は悟る――

今、自分の“怒り”も“焦り”も、

ニュースの一部として“映像化”されていくのだ、と。


白井の喉が裂けるように震えた。


「これは! 完全に自然現象です! 誰の責任でもない!!」


声は、会場の空気を切り裂いて天井にぶつかり、

照明の白に飲まれて消えた。


――静寂。


記者たちのペンが止まり、

マイクがわずかに軋む音だけが残る。


その沈黙は、まるで雪崩の直前の静けさのようだった。

圧がある。

息が詰まる。

しかし、誰も動かない。


数秒後――

フラッシュが炸裂した。


白井の顔が、一瞬だけ真っ白に焼きつく。

口を開け、眉を吊り上げたその表情。

叫びの形だけを残したその瞬間が、

――“炎上”という名の光として、世界に放たれた。


「パシャッ」「パシャッ」とシャッターが連続する。

それは祝祭の拍手にも似ていた。


外の雪は、冷たく静かに積もり続けている。

だが、ここには雪よりも速い“情報の火”が走っていた。


そして、後方の誰かが――

無意識のように、あるいは嘲笑のように、

小さく笑った。


「……また、燃えたな。」


白井はその笑いの意味を理解できないまま、

立ち尽くした。

その瞬間、彼の“現実”は、もうニュースの中に取り込まれていた。

数時間後。

雪の白光がまだ窓辺に残るころ、

世界はすでに彼を“素材”に変えていた。


スマホの画面。

そこには、同じ顔が並んでいた。


怒鳴る支配人。

歪んだ口。

震える拳。


サムネイルの下には、

《#自然現象です》

《#責任は雪?》

《#逆ギレ支配人》


――そのどれもが、彼の名前ではなく、

彼の“叫び”だけを指していた。


動画サイトのトップには、

“ニュースまとめ”のダイジェスト。

再生時間、わずか三十秒。

再生回数は十万、二十万、そして止まらない。


映っているのは、彼が一番醜く見える瞬間。

汗に濡れた額、ひきつる眉、

「誰の責任でもない!」と吠える声。


その直前にあった説明の言葉も、

その後に沈黙していた時間も、

編集のハサミが丁寧に削り取っていた。


画面の中の白井は、

もはや彼自身ではない。

再生ボタンを押すたび、

世界のどこかで“怒り”が再生される。


――彼の現実は、すでに“映像の中”に閉じ込められていた。


管理棟の裏手――

除雪も届かぬ雪煙の溜まり場に、白井は一人立っていた。


灰白の空。

吐いた息は、音もなく霧散する。

耳に届くのは、遠くの国道を走るトラックのエンジン音と、

ときおり軋む雪の鳴き声。


その静けさの中で、

ふ、と低い羽音が近づいてきた。


最初は風のうなりかと思った。

だが、それは確かに機械の音――

プロペラの回転が雪を巻き上げながら、

白井の頭上に影を落とす。


ドローン。

撮影用の赤いランプが、かすかに瞬く。


白井は反射的に顔を上げ、

一歩だけ後ずさる。

それでも、逃げない。


「……もう、いいだろ……」


唇から漏れたその声は、

まるで風に話しかけるように掠れていた。

しかし――マイクは、それを確かに拾っていた。


レンズの奥、データの海。

音声波形が瞬時に解析され、

“新しい素材”として保存される。


画面の中で、

彼はもはや「発言者」ではなかった。

クリックされ、再生され、

怒りも、疲弊も、後悔も――

すべて同じ長さの“再生時間”に変換されていく。


雪が再び降り出す。

その粒が、ドローンのレンズにあたり、

画面に白いノイズを刻んだ。


――人間はもう、そこにいない。

残っているのは、“データ化された声”だけだった。



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