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『雪崩注意報発令中(人間に)』:白雲ゲレンデ騒動記  作者: 南蛇井


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24/31

〈報道の朝〉 ―「予告的中!」

夜明け前。

白雲ゲレンデは、まだ眠っているように静まり返っていた。

しかし、その沈黙を最初に破ったのは、風でも雪でもなく――ライトだった。


闇の底から、照明の白光がじわりと浮かび上がる。

まるで夜の皮膚を剥ぐように、冷たく、均質な光が雪面を染めていく。

レポート用のマイクが氷点下の空気を震わせ、防寒ジャンパーのロゴがまぶしく照り返す。

吐息さえも白い演出のように、カメラの前でゆらめいた。


「はい、カメラ、入ります――!」

スタッフの声が飛ぶ。

リポーターの顔に、もう一段強い照明が当てられる。

光の熱が、冷えきった肌をわずかに刺す。


彼女はロープの前に立ち、緊張した笑みを浮かべた。

背後には、わずかに崩れた雪面――

ほんの数メートルの裂け目が、まだ眠る山の呼吸のように静かに横たわっている。


しかし、レンズ越しの世界は違った。

その裂け目が“事件”であり、“警告”であり、“物語の起点”だった。

ズームが寄り、フレームの中で白が濃くなる。


音声テスト、照明調整、カメラ回転。

全ての操作が、夜明けを一瞬だけ忘れさせるほどの明るさを作り出していた。


――そして、放送が始まる。

現実よりも先に、光の方が目を覚ましていた。



――画面が一斉に切り替わる。


全国ネットのニュース番組。

キャスターの張り詰めた声が、まだ眠たい家庭のリビングへと流れ込む。


「“雪の呼吸”現象、ついに現実に――!」

「SNSで拡散された“予感”が、的中しました!」


その言葉に合わせ、画面は分割されていく。

スタジオの明るい照明の下、興奮気味のキャスターが表情を強張らせ、

現地のリポーターは息を白く吐きながら、マイクを握りしめていた。

さらに隅には、SNS投稿のサムネイル映像と、

「リツイート数:20万」の赤い数字。

右下には、トレンド欄に並ぶ《#白雲ゲレンデ》《#雪の呼吸》《#現地LIVE》。


その画面は、まるで「現実」を囲い込む枠のように配置されていた。


「見てください!」

リポーターの声が震える。

「こちらが“雪の呼吸”と呼ばれた現象の発生地点です!」


彼女の背後、ロープの向こうには――

ただ、少し削れた雪の斜面が広がっているだけ。

しかし、カメラはそれを引き延ばし、ズームし、光を強調し、

白と影のコントラストを際立たせて“劇的”に仕立てていく。


スタジオのキャスターがうなずきながら言う。

「これはもう、“偶然”では済まされませんね。」


その言葉と同時に、画面下には赤いテロップが走る。

《予兆的中! 白雲ゲレンデで雪崩発生か》


静かな雪原は、いつの間にか「事件現場」と化していた。

映像が先に熱を帯び、現実の冷たさを置き去りにしていく。


――カメラマンが膝をつき、

レンズを低く構えて、崩れた雪を下から煽るように撮る。

白い斜面が、画面の中ではまるで“壁”のように立ちはだかって見えた。


別のクルーが、冷気を切り裂くようにドローンを上げる。

プロペラ音が空を震わせ、モニターには“上空から見た被害の全貌”が映し出される。

その映像の上に、赤いサークルがCGで描かれ、

“崩壊範囲”とテロップが浮かび上がる。

ほんの数メートルのズレが、

編集によって“数百メートル級の災害”に膨張していく。


「SNS上では、“予言的中”との声が殺到しています!」

リポーターの声が震えるほどの熱を帯びる。


「現地では“第二波”を警戒中とのことです!」

スタジオのキャスターが、眉を寄せて深刻そうに言い添える。


その“第二波”が存在しないことを、

誰も口にはしない。

実際には、警戒区域の解除が検討されていた――

だが、もう報道は“物語”を止められなかった。


画面の中では、光も声も熱を持ち、

現実の寒気よりもはるかに強く燃え上がっていた。


雪はただ、静かにそこにあるだけだった。

けれど世界はそれを“語ること”によって、

別の形へと変えてしまった。



――カメラのフレームの外。

報道スタッフの三脚のすぐ後ろで、

老夫婦がママさんダンプを押して雪をかいていた。


老夫は腰を伸ばし、崩れた雪面の方をちらりと見て言う。

「……あれ、雪崩っちゅうほどでもねぇけどな。」


老妻が苦笑しながら相槌を打つ。

「テレビにゃ、映すもんがいるんだろ。」


二人の会話はマイクの外で、

白い息といっしょに消えていく。

その代わりに、ニュース番組の音量が上がる。


♪――荘厳な弦楽が流れ出す。


まるで“人類史に刻まれる現象”でも報じるかのように、

ナレーションが重々しく響く。


「現場では、かつてない雪の動きが観測されました――」


画面の中では、わずかな斜面の皺が“証拠映像”として拡大され、

光が煽られ、テロップが踊る。


だがその背後では、老夫婦のスコップが

カン、カン、といつも通りの音を立てていた。


――現実の音は、誰にも届かない。


報道陣の足元で、雪がかすかに軋んだ。

その音は、照明やマイクの熱に触れて溶けかけた氷の呼吸のようだった。


レポーターは凍えた手でマイクを握り直し、

笑顔を作りながらカメラを見つめる。


「現場では、依然として――」


言葉が途中でかすれ、ノイズ混じりに途切れる。

吹きつけた風がマイクの先を叩き、

映像が一瞬、白く揺らめいた。


――その裏で。


雪面が、ごく小さく沈んだ。

誰も気づかないほどの、無音の沈黙。


ライトの熱も、人の声も、

どれも届かないほど深いところで、

雪はただ、静かに呼吸していた。


まるでこう言っているように。


――もう、何も語るな。


カメラはなおも回り続けている。

だがレンズの向こうで、世界は少しずつ音を失っていった。



報道エリアの照明が、暗い山肌に小さな街のように灯っていた。

三脚の影が幾重にも雪面に伸び、

ライトの光が粉雪を反射させて、

まるで人工の星屑が地上に降りてきたようだった。


だが、その奥――崩れた雪の白は、ただの白だった。

どこまでも静かで、何の意志も持たない。

それを“現象”と呼ぶのは、人間だけだった。


キャスターの声が、遠くのスピーカーから流れる。

どこか芝居がかった、ニュース特有の抑揚で。


「“予言が現実を呼ぶ”――そんな時代が、ついに来たのかもしれません。」


照明の群れが一つ、また一つと落とされていく。

闇が戻るたびに、雪の白さが際立つ。


最後に残った一灯が、静かな斜面を照らした。

その光に、何も応えない雪。

音も、動きも、言葉も――すべてを拒むように、

ただ、そこにあった。

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