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『雪崩注意報発令中(人間に)』:白雲ゲレンデ騒動記  作者: 南蛇井


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20/31

ケンジの現場 ―「崩れる人と雪」

白雲ゲレンデ・下部エリア。


立入禁止の黄色い柵が、冷たい風に細かく揺れていた。

その向こうには、雪面が曇り空を映し返して、鈍い銀のように光っている。

音といえば、遠くでスキーリフトが軋む微かな金属音と、

風が雪を撫でるざらついた呼吸だけ。


上空を、一機の報道ドローンがゆっくりと通過する。

その赤いランプが、雪の肌を撫でるように照らし、

白い世界にわずかな“体温”を落としていった。


“雪の呼吸”と呼ばれる現象の映像がSNSを駆けめぐり、

ゲレンデ上部はすでに報道と配信者でごった返しているという。

だが、ここ――この柵の手前だけは、まだ喧噪から切り離された場所だった。


雪の冷たさが、確かに存在を保っている。

それは、人の興奮や好奇心がいくら渦を巻いても、

まだ届かない“現実”の温度。


ケンジはその中に立ち、息を吐いた。

白い吐息が、風の中でかき消えていく。


ケンジは雪上車の影にしゃがみこみ、

スキー板を裏返して、滑走面にこびりついた泥をナイフの刃で静かに削いでいた。

削られた氷混じりの泥が、ぱらぱらと白い地面に散る。


風が止むたびに、遠くでドローンのプロペラ音が低くうなった。

そのたびに雪面の上を、影のような円がゆらりと横切る。


ケンジは手を止め、眉をしかめて空を見上げた。

どこかでレンズがこちらを覗いている気配がする。


「……また上で好き勝手やってんな。」


ぼそりと漏らしたその声は、すぐに雪の中に沈み、吸い込まれていった。

音のない世界が、再び静かにその場を覆う。

ミホが雪煙を蹴り上げながら駆けてくる。

息が白くちぎれ、肩で呼吸を整える間もなく、スマホを差し出した。


「ケンジさん、見てください! #白雲ゲレンデ が……トレンド一位です!

 配信がバズって……みんな、上に行ってます!」


画面の中では、コメントの奔流が途切れることなく流れている。

“現場に行け”“雪が生きてる”“真相を暴け”――

それぞれの興奮が、雪の反射のように眩しく瞬いていた。


ケンジはナイフをポケットに戻し、

ゆっくりと立ち上がってゴーグル越しに空を見上げる。


曇天を横切るドローンの赤いランプが、

まるで人工の星のように、鈍く雪面を染めていた。


「……バズって、雪が止まるんならいいんだけどな。」


低くつぶやく声が、凍りついた空気をわずかに震わせた。

ミホは何も言えず、ただその光を見上げる。

雪は静かに、しかし確実に、重さを増していくようだった。




ミホは凍えた指でスマホを握りしめたまま、

雪面から目を離せずにいた。

唇を噛み、かすれる声でつぶやく。


「もう、誰も止められない……。

 警察も遅いし、報道も押し寄せて……。」


その声は、まるで雪の結晶が砕けるように脆く響いた。


ケンジは黙って立ち上がり、

柵の向こう――まだ崩れていない斜面を見つめる。

ゴーグルの奥の目は、遠い記憶をたぐるように曇っていた。


「雪も人間も、放っとくと崩れるんだよな。

 重ねすぎたもんは、どっかで落ちる。」


ミホが小さく息を呑む。


「……何が崩れるんですか?」


ケンジは短く笑い、

足元の雪をブーツのつま先でそっと押し潰した。


「境目だよ。現実と、騒ぎの。」


その言葉が落ちると同時に、

遠くでドローンの羽音が低く唸り――

まるで“境目”の向こう側から、何かが息を吹き返すようだった。


遠くの山腹で、低くくぐもった音が鳴った。

――ズズズ……。


最初は風かと思った。

だが、風ならこんなふうに胸の奥まで響かない。

雪の底が鳴っている。

地面の下で、眠っていた何かが目を覚ましたような音だった。


ドローンのランプが揺れ、

光の輪が雪面をなぞる。

白い斜面がほんのわずかに、呼吸するように膨らんだ気がした。


ミホが声を失ったまま、唇を押さえる。

雪の匂いが濃くなる。空気が張り詰めていく。


ケンジはヘルメットをかぶり直し、

ゆっくりと息を吐いた。


「……始まったな。」


その声が、雪の静寂に吸い込まれていく。

遠くで木々が微かに鳴った。

そして、雪の世界そのものが――ほんの一拍、息を止めた。


報道ドローンが、唸りを上げながら低空を滑る。

赤いランプが雪面をなぞり、二人の影を細く引き裂いていった。

光はやがて遠ざかり、再び白の静寂が戻る。


ミホは震える手でスマホを持ち上げた。

画面には、同じ雪の斜面が――だが、別の角度から映っている。

コメント欄は滝のように流れ続けていた。


「動いた!」「今の見た!?」「崩れるぞ!」

「#白雲ゲレンデLIVE」「#奇跡の瞬間」


現実の雪はまだ静かなのに、

画面の中ではもう“崩壊”が始まっていた。


ケンジは黙って柵を越える。

足が雪を踏みしめるたび、きゅっ、きゅっ、と乾いた音が響いた。

その足跡を、冷たい風がすぐにさらっていく。


ミホが何かを言いかけたが、声は風に呑まれた。


ケンジの背中は、白の中へと溶けていった。

――雪と、人と、現実の境が、静かに、にじんで消えていく。



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