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『雪崩注意報発令中(人間に)』:白雲ゲレンデ騒動記  作者: 南蛇井


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18/31

カレンの配信 ―「現場で“何かが起こる予感”」

朝の光は、どこか現実離れした白さを帯びていた。

 空はまだ灰色で、山々の輪郭はぼやけ、雪面と雲の境が曖昧だ。

 白雲ゲレンデの最上部――そこに続く道の手前には、黄色いロープが張られていた。風に揺れる立て札には、赤い文字で《危険・雪崩警戒区域》とある。だが、その警告すらも雪に埋もれかけ、まるで無力な祈りのように見えた。


 雪の斜面は、ただ黙ってそこにあった。

 崩れることもなく、静かに積もり続ける。

 しかし、よく見ればその表面がわずかに波打つ――息をするように、膨らんでは沈む。風がそのたびに白い粉を舞い上げ、朝の光が散乱して、どこか幻想的な輝きを生んでいた。


 その冷たさは、実際に肌を刺すような温度を持っている。

 だがスマホのカメラ越しでは、それが“美しすぎるリアリティ”として映っていた。

 画面の中の世界は、危険よりも「物語」を感じさせた。視聴者が求めるのは恐怖でも現実でもなく、“映える臨場感”だったからだ。


 その場の空気がぴんと張りつめ、どこかで風が鳴る。

 スマホのレンズがゆっくりと斜面をなぞり、ロープを越える直前で止まる。

 まるで“境界”を意識しているかのように――。



 風が頬を切るように吹き抜ける。

 カレンはそんな寒さをものともせず、いつもの“開幕テンション”でスマホを掲げた。

 カメラのレンズ越しに映る自分の顔を確認し、明るく笑う。


 「はい、みなさん! 白雲ゲレンデ、現場に来ちゃいました〜!」


 その声は、凍てついた空気を弾き返すように響いた。

 背後では黄色いロープがぱたぱたと揺れ、立て札の《立入禁止》の赤文字が、朝の光を反射してきらめいている。

 雪の白に囲まれたその一角だけが、まるで舞台のように“映える”構図になっていた。


 スマホの画面には、すぐにコメントが雪崩のように流れ始める。


 > 「マジで行ったw」

 > 「さすがカレン、行動力の化け物」

 > 「ニュースより早いじゃん!」


 カレンはにやりと笑い、レンズにウインクしてみせた。

 その瞬間、視聴者数のカウンターが跳ね上がる。


 「昨日の映像、見た人も多いですよね? あの“動く雪”!」

 声に合わせて、彼女は後ろを振り返り、真っ白な斜面を指差す。

 「――あれ、本当に起きてたのか、確かめに来ちゃいました!」


 カメラのマイクが風を拾い、微かに“ゴウ……”という低い音を立てる。

 カレンの耳にはそれが、まるで雪が呼吸している音のように聞こえた。


 しかし、彼女は気づかない。

 その音が、BGMの裏で確かに“現実のざわめき”と混じり始めていることに。


 画面の中では、笑顔のままのカレンが風に髪をなびかせ、

 いつもの軽快なテンポで、視聴者を“物語”の中へ引き込んでいった。



 カレンはスマホを胸の高さに下げ、ポケットからドローンの送信機を取り出した。

 「じゃあ、ちょっと上から見てみましょうか」――軽い口調で言いながらも、その指先はかすかに震えている。

 雪上に置かれたドローンが静かに回転音を上げ、四枚の羽が白い粉雪を巻き上げた。

 機体がふわりと浮かび上がり、レンズ越しに斜面をなぞるように上昇していく。


 画面が切り替わる。

 スマホの中には、どこまでも白く続く傾斜。朝の光を浴びて、雪面が鈍く光っている。

 コメント欄の動きが急に早くなり、数字が跳ね上がった。


 > 視聴中:5,340 → 9,820 → 17,503


 「やば、増えてる……!」

 カレンが息を弾ませて笑うと、同時にコメントの奔流が画面を覆った。


 > 「雪、まだ動いてる?」

 > 「静かすぎて逆に怖い」

 > 「ちょ、これ音聞こえない?」


 彼女の笑顔がわずかに固まる。

 BGMがいつのまにかフェードアウトし、マイクの奥に“風の声”だけが残った。

 その風の底に、何かがこすれるような、重く湿った音が混じっている。


 ――ズズ……。


 カレンは反射的に息を止め、耳を澄ませた。

 風か。雪か。それとも、地面の奥で鳴っている何かか。


 「……今の、聞こえました?」


 彼女の声が小さく震えた瞬間、コメントが止まる。

 数万人の視聴者が同時に息を呑むのが、まるで画面の向こうから伝わってくるようだった。


 雪の斜面は、依然として静止している。

 だがその静止が、次に訪れる動きを待っているようにも見えた。


カレンはレンズをじっと見つめた。

 頬をかすめる風の冷たさが、ようやく肌の奥にまで染みてくる。

 ドローンの低いプロペラ音が遠ざかり、代わりに空気の張り詰めた気配が支配した。


 「……今、現場で“何かが起こる予感”がします。」


 声は囁くように小さく、それでいて、異様なほど真っ直ぐだった。

 カメラのレンズの向こう、数万人の視聴者がその言葉を飲み込む。


 コメント欄が一瞬、爆ぜるように動き出した。


 > 「やばいやばい、やめとけ!」

 > 「この演出、神!」

 > 「フェイクじゃないよな?」

 > 「#白雲ゲレンデLIVE #カレン現地」


 文字が滝のように流れ、画面の右端を覆い尽くす。

 それはまるで、無数の声が雪崩の前兆のように押し寄せてくるかのようだった。


 風が、突然強くなった。

 警告ロープがひゅっと鳴り、立て札がかすかに揺れる。

 カレンの髪が舞い上がり、頬に貼りつく。


 ドローンの映像が一瞬、乱れた。

 ノイズの向こう、雪の斜面が“呼吸”するように膨らんで見えた。

 ほんの一瞬――それでも確かに、白い世界が動いた気がした。


 カレンは言葉を失ったまま、スマホを握りしめる。

 視聴者数のカウンターが、無音のうちに跳ね上がっていく。


 風、雪、そして、何かの気配。

 そのすべてが“映像”の枠を越えて、現実を侵食していくようだった。



コメントの奔流は、もはや文字ではなく「音」だった。

 スマホの画面を覆い尽くす言葉たちは、互いにぶつかり、砕け、増殖する。


 > 「画面の奥で何か動いた!」

 > 「音が変わった、誰か録画して!」

 > 「今の、雪の目が開いたみたいだった」


 その断片が、まるで群衆の叫びのように、カレンの耳の奥にこだまする。


 彼女は思わず息を詰めた。

 風の匂いが変わった――そんな気がした。

 冷気の中に、何か“生きているもの”の気配が混じっている。


 カレンの瞳がかすかに揺れる。

 その揺れを、カメラは逃さない。


 > 「……皆さん、もし何かが起きたら、

 > その瞬間を、一緒に見届けましょう。」


 声は静かだった。けれど、その静けさが逆に、炎のような熱を帯びていた。


 次の瞬間――映像が、真っ白に弾けた。

 光の爆発。ノイズが画面を切り裂く。

 風の唸りがマイクを満たし、誰かの悲鳴にも似た音が混じる。


 視聴数カウンターが、狂ったように跳ね上がっていく。


 > 視聴中:45,000 → 83,000 → 120,000


 数字の増加が止まらない。

 コメントは洪水となり、映像の輪郭を飲み込んでいく。


 カレンの姿は、その渦の中心で――

 まるで情報という雪崩の中に、呑み込まれていくかのようだった。



画面には、ただの雪しか映っていなかった。

 どこにも、人の影も、動くものもない。

 それなのに――コメント欄は、叫びで埋め尽くされていく。


 > 「今、動いた!」

 > 「音、したよな? 低く……ゴォって」

 > 「来る、来るって……!」


 視聴者たちは、同じ幻を見ていた。

 互いの言葉が、信念のように重なり合い、ひとつの「真実」を形づくっていく。

 数万人の想像が、雪面を震わせる。

 その熱が、冷たい現実をわずかに歪めていく。


 > 「信じた時点で、それは現実になる。」


 誰の声でもない、けれど確かに“語り”が、映像の奥で囁いた。

 風が答えるように鳴り、雪面の一角が、わずかに息をする。


 白――静――そして、ゆっくりと。

 一本の筋が、斜面をなぞるように滑り落ちていく。

 それはまだ“雪崩”ではない。

 けれど、世界がかすかに傾いたことを、誰もが理解していた。


 コメント欄が爆ぜる。

 > 「やばい、来た!」

 > 「マジで現実動いてる!!」


 その瞬間、配信の中と外の境界は、ひと息に溶けて消えた。

 “予感”が現実を侵食し始めていた。







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