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『雪崩注意報発令中(人間に)』:白雲ゲレンデ騒動記  作者: 南蛇井


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17/31

記者会見 ―「雪ですからね」

白雲ゲレンデ管理棟のロビーは、今朝だけ“臨時の会見場”と化していた。

長机に白い布が雑にかけられ、その前に並ぶ記者席はどれも折りたたみ式の安っぽい椅子だ。

だが、その場に漂う空気は、まるで全国的事件の現場のような熱を帯びていた。


窓の外では、相変わらず雪が降っている。

白一面の世界が、ガラス越しにぼんやりと揺らいで見える。

けれど、ロビーの中はまったく別の気候だった。


照明とカメラのライトが容赦なく焚かれ、

古びたストーブの熱と相まって、空気がむわりと重く漂う。

人いきれと機材の唸り――その合間に、インタビュアーたちの声が低くぶつかり合う。


「もう少し右寄りに寄せてください」「音、拾えてますか」

マイクスタンドの角度が何度も調整されるたびに、金属音が乾いた響きを立てた。


本来、冬の山は音を吸い込む静寂の場所だ。

だが今、この狭い空間では、

その静寂が完全に“圧縮”されている――

外の雪がもたらす冷たさと、

中の人々が発する熱気が、薄いガラス一枚を隔ててせめぎ合っていた。


支配人の白井は、額の汗をハンカチで押さえながら、

まだ始まらない会見の壇上に座っていた。

背後の窓から、雪明かりが反射して白い光を投げる。

それがまるで、じっとしたまま逃げ場のない舞台照明のように、

彼の肩と笑顔を焼いていた。


――ここは、静寂を失った雪国。

雪が降り続くほどに、言葉の熱がこもっていく場所だった。



支配人・白井の笑顔は、どこか作り物めいていた。

ロビーの中央に据えられた長机の向こうで、彼は胸ポケットから何度もハンカチを出しては額を押さえ、

「大丈夫、大丈夫」と誰にともなく呟いている。

だがその声は、むしろ自分自身に向けたおまじないのようだった。


隣では、広報担当のミホが疲弊した表情で紙束を握りしめている。

昨夜からほとんど眠っていない。

電話対応、SNSの問い合わせ、報道陣の取材要請――すべてが雪崩のように押し寄せた。

彼女の目の下には薄いクマが滲み、指先は資料の端を無意識に折り曲げ続けている。


一方、少し離れた壁際に立つ華代は、腕を組みながら会場全体を眺めていた。

彼女は町役場からの臨時応援として呼ばれてきたが、

今この場の空気が、もはや誰の手にも負えないことを直感していた。

白井が「何も起きていない」と言えば言うほど、

記者たちの眼は鋭く光を帯びていく。

――言葉は、もう“火種”になっている。


記者席の前列には、地元紙の記者が腕を組み、

隣では全国紙のカメラマンがレンズの焦点を何度も調整していた。

そしてその後ろには、スマホを構えたネットメディアの若者たちが並ぶ。

彼らの狙いはただひとつ――“言質”だ。

真実よりも、切り抜ける“瞬間の言葉”。

雪崩が起きたかどうかよりも、

「起きそうな空気」を映せるかどうかに価値がある。


白井が深呼吸をひとつして、マイクの前に身を乗り出す。

その瞬間、十数台のカメラが一斉に光を放った。

彼の表情が一瞬、白く凍りつく。


――外では雪が静かに降り続いている。

だが、最も危険なのは、この室内だった。

ここでは、言葉ひとつが雪崩の引き金になり得るのだから。


カメラのフラッシュが、雪の反射のように絶え間なく瞬いていた。

白井はまぶしそうに目を細め、笑顔の形を無理やり保っている。

その笑顔の下では、唇の端がかすかに震えていた。


「昨夜の“雪面の変化”映像について、事実ですか?」

「SNSでは“雪が呼吸していた”という投稿が拡散していますが?」


記者たちの声が、吹き抜けの天井に反響して重なり合う。

まるで雪山の遠鳴りのように、質問が次々と押し寄せた。


白井はポケットからハンカチを取り出し、額を一拭き。

その動作をしている間にも、スマートフォンのシャッター音が無数に響く。

レンズの先には、人ではなく“発言”だけを狙う眼光が並んでいた。


「皆さん、誤解です。あれは映像のノイズですよ。」

無理に明るく、彼は言葉を紡ぐ。

「現場は至って安全です。ええ、安全ですとも。」


言いながら、自分でも声の調子が少し上ずっているのを感じる。

胸の奥が妙に乾き、舌の動きがぎこちない。

記者席の誰かがペンを止め、彼の口元を凝視している。


白井はさらに一歩、マイクへ身を乗り出した。

その笑顔は、すでに“説明”ではなく“祈り”に近かった。


「安全です。安全か危険かで言えば――」


一瞬の沈黙。

空調の低い唸りだけが、熱を帯びた会場に流れた。



白井は、場の重さをなんとかほぐそうと、

自分でもよくわからない種類の笑みを浮かべた。


「安全です。安全か危険かで言えば――」


一拍の空白。

その間に、会場の空気がかすかに動いた。

誰かのペン先が止まり、カメラのレンズがわずかにズームする。


そして、白井は口角を引きつらせたまま言ってしまった。


「……雪ですからね。」


音のない、乾いた数秒。


会場の熱気が一瞬で引き、

まるで窓の外の雪が室内にまで流れ込んだかのようだった。


シャッター音が止まり、取材メモの紙だけが静かに擦れる。

前列の記者が眉を上げ、隣のカメラマンがそっと録音ボタンを押し直す。


華代は、唇の端をわずかに引きつらせて呟いた。


「……まずい。」


ミホは椅子の陰で両手を握りしめ、視線を落とす。


(なぜ、いま、それを……)


だが、当の白井は気づいていなかった。

むしろ、“うまく切り返した”とでも言いたげに、

周囲を見回して小さく頷いている。


その笑顔は、無邪気で、致命的に鈍感だった。


記者の一人が、慎重に言葉を選ぶように問い返した。


「つまり……雪は“安全”だという意味で、よろしいですか?」


白井は、額の汗をハンカチで拭いながら笑顔を保とうとした。


「ええ、まあ――自然現象ですからね。我々の責任では――」


その「では」の瞬間。

空気が、切り裂かれた。


「“責任ではない”と?」


別の記者が、まるで獲物を見つけたように食い気味で被せる。

次の瞬間、押し殺していたざわめきが一気に爆ぜた。


フラッシュの光が雪崩のように連続し、

白井の顔を白く、そして不安定に照らす。

テーブルの上に並んだマイクが前のめりに突き出され、

質問が重なり合って言葉の洪水になる。


「責任の所在をどうお考えですか!」

「予告を把握していたと聞きましたが!」

「避難体制は!?」


白井は、次々と飛んでくる声に押されるように後ずさる。

照明の熱と人いきれで、ロビーの空気が揺らいでいた。


ミホは隅で頭を抱える。


(もう、止まらない……)


華代はスマホを握りしめ、震える指でSNSを更新する。

画面にはすでに見出しが踊っていた。


《支配人、「雪ですからね」発言に批判殺到》


白井の声は、騒音の中にかき消された。

もはや誰も、彼の言葉を聞いてはいなかった。



スマホの画面が、暗闇の中でぼんやりと光を放っている。


映っているのは、再生中の短い動画。

サムネイルには、白井支配人の引きつった笑顔と、

下に大きく重ねられた白文字。


《白雲ゲレンデ支配人「雪ですからね」発言》


動画は七秒しかない。

「安全です。安全か危険かで言えば――雪ですからね」

笑い声。

フラッシュ。

そのままカットアウト。


画面右下の再生数カウンターが、

まるで呼吸するように、ぐんぐんと桁を増やしていく。

3,200 → 14,000 → 81,000 → 256,000……


下のコメント欄には、文字の雪が降るように流れ落ちる。


「人命軽視すぎる」

「この期に及んで笑ってる」

「#雪ですからね #責任逃れ」


それに混じって、軽薄な冗談も雪のように積もっていく。


「流行語大賞候補きた」

「マグカップに“雪ですからね”って入れて売ってほしい」

「AI音声で言わせてみたw」


コメントの熱量が、怒りとも笑いともつかぬまま拡散していく。

画面の向こうで、正義と皮肉と退屈が入り混じり、

巨大な雪崩となってネットを覆い尽くす。


モニターの前。

ミホは椅子に沈み込み、スマホを握りしめたまま呟く。


「……何も起きてないのに、全部、起きてる。」


外ではまだ、雪が降っていた。

それは静かで、現実のほうがずっと静かだった。



管理棟の奥――

昼を過ぎても暖房の効かない小部屋に、沈黙が沈殿していた。


支配人・白井は、応接椅子に深く腰を下ろし、

膝の上で両手を重ねたまま、項垂れている。

記者会見で乾いた喉に流し込んだペットボトルの水は、

まだ机の上で半分残っていた。


外からは、遠くで報道ヘリの低い唸りが聞こえる。

それでも、室内は妙に静かだった。


華代がタブレットを抱え、慎重に口を開く。


「“雪ですからね”で……トレンド1位です。」


その声に、白井はゆっくり顔を上げた。

瞳の奥に、どこか諦めにも似た笑みが浮かぶ。


「……早かったな、雪崩。」


ミホが窓辺に立つ。

ガラス越しに見える外の景色は、

昨日と変わらず、ただ白く、静かに降り積もる雪。


風の音もなく、すべてが息を潜めている。

まるで、世界のどこかで燃え上がる“炎上”を、

雪だけが黙って見守っているかのようだった。


ミホは小さく呟く。


「……本当の雪崩は、まだ起きてないのに。」


白井は返事をしなかった。

ただ、外の白を見つめながら、

その静けさが“終わりの合図”のように思えた。






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