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『雪崩注意報発令中(人間に)』:白雲ゲレンデ騒動記  作者: 南蛇井


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町の反応 ―「小さな地鳴り」

白い朝だった。

まだ陽が昇りきらない白雲町の商店街に、雪が静かに降り続いていた。

どの店も、シャッターの隙間から淡い光をこぼしながら、ゆっくりと一日の息を吹き返していく。

しかし、人影はまだまばら。

雪を踏む音だけが、通りの奥へと溶けていった。


その静けさの中で、旅館〈山鳩亭〉の玄関前に立つ春江が、電話の受話器を耳に当てている。

着物の袖口から覗く手は、どこか落ち着かず、何度も受話器を持ち替えていた。


「ええ、はい……安全ですとも。うちは町の中ですし……。

……ええ、ええ、他の宿も? そうですか……」


口調は穏やかだが、声の端に焦りが滲む。

電話を切ると、春江は息を吐き、暖簾の向こうに目をやった。


ロビーの奥では、テレビが小さな音量でニュースを流している。

画面の下に、冷たいテロップが流れた。


《白雲ゲレンデで“雪崩予告”拡散中》


春江は一歩近づき、映像を見つめた。

雪に覆われた白いゲレンデの空撮映像。

ナレーションの声が、どこか他人事のように響く。


《地元関係者によると、安全上の問題は確認されていないとのことです――》


春江はその言葉に小さく頷いた。

だが、頷いたあと、心の奥で何かがざらりと動いた。


窓の外では、雪が変わらず降り続いている。

静けさは保たれている。

けれどその静けさの下で、何かがじわりと、音もなく広がっていく気配があった。



電話を置いた春江の指先が、わずかに震えていた。

ロビーのストーブが小さく唸り、湯呑みの湯気が静かに立ちのぼる。

そこへ、若女将の美希が紙コップのコーヒーを手に入ってきた。

まだ寝癖の残る髪を後ろで束ね、スマホを片手にしている。


「またキャンセル? 朝から三件目です。」


美希の声は淡々としていたが、その言葉には疲れが混じっていた。

春江は苦笑いを浮かべ、電話台に手をつく。


「“現地で何か起きるかも”って言うのよ。

何も起きちゃいないのに、まるで――もう起きたみたいに。」


美希は言葉を返さず、スマホの画面を春江に向けた。

そこには、白と青の冷たい光の中で、タグが並んでいる。


《#白雲ゲレンデ #雪崩予告 #LIVE開始》


小さな文字が、雪の結晶のように無数に流れ続けていた。

春江は画面をのぞき込み、眉をひそめる。


「ライブ……って、誰がやってるの?」

「カレンって人。配信者らしいです。もう“現地から配信中”って出てて……。

否定しても追いつかないですよ。」


美希の声は、ため息と同じ速さで落ちた。

春江はしばらく黙り込んだあと、湯呑みを手に取る。

熱はほとんど冷めていた。


「怖いねえ、こういうの。雪より早く広がる。」


その言葉がこぼれた瞬間、

ロビーのテレビから、再び同じニュースが流れた。


《白雲町、雪崩予告の真偽を調査中――》


外では、除雪車の音が遠ざかっていく。

代わりに、空からは細かな雪が音もなく降り続いていた。

それはまるで、情報の粒が世界に積もっていくようだった。



白く霞んだ朝の光が、通り全体をぼんやりと包みこんでいた。

シャッターが上がる金属音が、静かな商店街にゆっくりと溶けていく。


八百屋の吉田は、凍りついた鍵穴を息で温めながら、手慣れた動作で店を開けていた。

店先にはまだ野菜の箱も並ばず、ラジオの声だけが先に店を満たしている。


《白雲町で“雪崩予告”の噂。警察は確認中としています――》


電波越しのアナウンサーの声は、どこか他人事の調子だった。

吉田はその言葉に眉をひそめ、ポケットから手を出して呟く。


「こういうの、笑い話で済めばいいがな……。」


雪を踏みしめる音が、通りの向こうから近づいてくる。

キャリーバッグを引く親子連れが、駅のほうへと歩いていた。

まだ眠たげな顔の少年が、母親のコートの裾をつかんで問う。


「お母さん、ほんとに帰るの?」

「ニュースで言ってたの。危ないかもしれないって。」


母親の声は小さく、しかし決意を含んでいた。

キャリーバッグのタイヤが雪を削り、細い音を立てながら遠ざかっていく。


その様子を、旅館「山鳩亭」の窓から春江がじっと見つめていた。

硝子越しに映る彼女の顔は、雪の光にぼんやりと霞んでいる。


「“まだ何も起きてない”のに、町だけが沈んでいくねえ。」


春江の言葉は、湯気のように薄く漂い、

やがて店先のラジオのノイズと混じり合った。


遠くで除雪車が低く唸り、

白雲町の朝は、少しずつ“地鳴り”のような不安に満たされていった。


雪はまだ、やさしく降り続いていた。

通りの屋根も看板も、同じ白に塗りつぶされ、

人の気配はほとんど消えていた。


カメラが高く引いていく。

白雲町の商店街は、まるで時間ごと凍りついたように静まり返っている。

店先ののれんが風に揺れ、遠くの除雪車のエンジン音が

かすかに響いては、雪の層に吸い込まれていった。


そのとき――。


山の方から、低く長い“ゴォ……”という音が流れてきた。

最初は風の唸りのようにも聞こえたが、

その響きには、どこか“地の底”を擦るような重さがあった。


通りの誰も、それを風だと疑わなかった。

ただ、耳の奥で何かが微かに共鳴したまま、

朝の白い光が町を覆っていく。


それは、まだ誰も気づいていない“最初の揺れ”だった。

雪の下で、何かがゆっくりと――確かに、動き出していた。






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