表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『雪崩注意報発令中(人間に)』:白雲ゲレンデ騒動記  作者: 南蛇井


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/31

支配人室 ―「静かなる放置」

 白雲ゲレンデの管理棟は、夜明け前の青白い光に包まれていた。

 外では、雪が細かな粒となって降り続き、窓を叩くたびに小さな音を立てる。

 蛍光灯はすでに消され、デスクランプだけが机上をぼんやり照らしていた。


 支配人室には、暖房の低い唸りと、パソコンのキーボードを打つ音が響いている。

 壁際には古びたスキー板のポスター、観光協会の表彰状。

 どれも色褪せ、かつての活気をどこか遠くの季節に置いてきたようだった。


 モニターの青い光に照らされながら、支配人は湯呑みを手に、静かにニュースサイトを眺めていた。

 その画面の片隅には――

 〈#白雲ゲレンデ雪崩予告〉という見慣れぬ文字列が、ゆっくりとトレンド欄を上昇していく。


 彼は、ふっと笑った。

 まるで雪国の古い冗談でも聞いたような顔で。



デスクランプの淡い光が、支配人の背中を半分だけ照らしていた。

 白髪交じりの頭、分厚い肩越しに、古いモニターの光がちらちらと反射する。


 支配人は湯呑みを手に、画面のトレンド欄を眺めながら、鼻で笑った。


 「……また誰かの悪ふざけだろう。雪崩予告なんて、そんなもの本気にする奴がいるかね。」


 その声には、どこか懐かしげな穏やかさがあった。

 まるで“騒がないこと”こそが、長年の経験で得た処世術だとでも言うように。


 デスクの端では、若いスタッフのミホが、ノートパソコンを開いていた。

 指先でスクロールするたび、タイムラインの雪が絶え間なく流れ落ちる。

 タグの数字は、見るたびに増えていた。


 > #白雲ゲレンデ雪崩予告 7,842件の投稿


 「……すごい速度で、拡散してます」

 ミホが小さくつぶやくと、支配人は軽く手を振った。


 「気にするな。どうせすぐ鎮火する。

  いまどき、ネットの騒ぎなんて一晩ももたんよ。

  問題は、観光客のイメージだ。“安全”って言葉を強調しとけ。」


 ミホは唇を噛み、言葉を飲み込む。

 外では風が強まり、窓の外の雪が、まるで何かを隠すように降り積もっていた。


 ――“何も起こらない”と思っていたのは、こっち側のほうかもしれない。


 その考えが胸をかすめた瞬間、デスク上のスマホが震えた。

 通知ランプが小さく点滅する。


 《#カレン潜入ライブ 白雲ゲレンデへ向かう配信中》


 ミホの指が止まった。

 だが支配人は、その光に気づかぬまま、コーヒーをすすっていた。


暖房の唸りが、低く部屋を満たしていた。

 古びたパネルヒーターの吹き出し口からは、乾いた風がかすかに鳴り、

 その向こうで、夜明け前の雪が音もなく降り積もっている。


 白雲ゲレンデの管理棟――支配人室。

 外の世界は一面の白に沈み、ここだけが、薄いランプの光に包まれていた。


 支配人は、モニターの前に腰を据え、湯呑みを片手にニュースを眺めている。

 画面には、見慣れぬタグが静かに点滅していた。


 > 《#白雲ゲレンデ雪崩予告》

 > 《配信予定:午前5時 白雲ゲレンデより生中継》


 「まったく……ネットの連中は暇だな。」


 支配人は鼻で笑い、椅子の背にもたれた。

 指先で取り出したタバコに、古いライターで火を点ける。

 禁煙マークの赤いステッカーがデスクの隅でかすかに光る。


 火の小さな揺らめきが、窓の向こうの雪の白に反射する。

 その一瞬の赤が、まるで闇の中で呼吸する警告灯のように見えた。


 だが彼は気づかない。

 その静けさの底で、何かが、音もなく膨らみはじめていることに。



 支配人は、灰皿にタバコの灰を軽く落としながら、

 机の端に積まれた観光パンフレットへと目をやった。


 光沢のある紙面には、

 「白雲町、復活の冬」「新装リニューアル!家族で楽しむゲレンデ」

 といった明るいキャッチコピーが並んでいる。


 その紙束を指で整えながら、支配人は小さく呟いた。


 「せっかくの再開シーズンだ。

  変な噂で客が減ったら困る。……放っておきゃ、

  明日には誰も覚えちゃいないさ。」


 その声音は、どこか祈りにも似た確信に満ちていた。

 まるで“何も起こらない”という神話に、

 自分自身を繋ぎ止めようとしているかのようだった。


 ミホが、デスクの端で控えめに声を発した。


 「でも、“潜入ライブ”って……配信の予定がもう出てます。

  下手に拡散されたら、――」


 支配人は手を振って、言葉を遮った。


 「いいんだよ。どうせネタ動画だ。

  わざわざ止めるほどのもんじゃない。

  ネットの雪は勝手に降って、勝手に溶ける。」


 窓の外では、その言葉を裏切るように、

 雪が音もなく降り積もっていた。


支配人はマウスを動かし、ブラウザのタブをぱたりと閉じた。

 「まったく、バカ騒ぎもいい加減にしてほしいもんだ」

 そう呟きながら、湯呑みを置いて腰を上げる。

 背広の肩には、暖房の風で舞った小さな埃が一粒、雪のように落ちた。


 「おい、もうすぐ夜勤明けだろ。上がっていいぞ。」


 その声は柔らかくも、終始どこか遠かった。

 責任という言葉を避けて通る人の、慣れた口ぶりだった。


 ミホは椅子に座ったまま、返事をしなかった。

 スマホの画面をじっと見つめている。


 タイムラインの上を、文字が青白く流れる。

 《#カレン潜入》

 《LIVE開始まで 00:48:22》


 その点滅するカウントダウンが、

 まるで現実の心拍を刻むように見えた。


 ミホの視線は、画面の隅に映ったサムネイルに吸い寄せられる。

 そこには、ピンクの照明の中で笑顔を見せる女性配信者――

 そしてその下に、大きく映る文字。


 「白雲ゲレンデ」。


 暖房の唸りが途切れたように感じた。

 ミホは無言のまま、指先で画面を拡大する。

 赤い“ライブ予定”のランプが、静かに点滅していた。

ミホは画面に映る笑顔を見つめたまま、ゆっくり息を吸った。

 指先の温度が、スマホのガラス越しに冷えていく。


 (“何も起こらない”と思っていたのは――私たちのほうだ。)


 雪が静かに降るたびに、

 「今日も平穏だ」と、口癖のように言い合っていた。

 それが、日々の合図であり、安心の呪文でもあった。


 けれど、いま目の前のタイムラインでは、

 無数の言葉が、雪片のように降り積もっていた。

 声のない“ざわめき”が、画面の底からじわりと広がっていく。


 (私たちは、“現場の静けさ”に甘えていたんだ。)


 外の雪は、確かにまだ静かだ。

 だがその静けさこそ、嵐の予兆のように思えた。


 ミホはスマホを胸の前に下ろし、

 赤く点滅するライブ通知を見つめながら、

 心の中で小さく呟く。


 (本当に危ないのは、雪じゃない――無関心だ。)


 窓の外で、風がひときわ強く吹いた。

 ガラスが小さく震え、

 まるでその言葉に、夜がうなずいたようだった。


配人室の照明がふっと落ちた。

 暖房の唸りだけが、暗闇の中で低く続く。


 残されたのは、デスク上のモニター。

 青白い光が、無人の室内をぼんやりと照らしている。


 画面の端では、数字が静かに跳ねていた。


 《LIVE開始まで 00:32:09》

 《視聴者待機:12,301人》


 その数字が増えるたび、

 ミホの頬を照らす光もわずかに強まる。

 まるで、誰かが暗闇の奥からこちらを覗いているようだった。


 窓の外では、雪が風に押され、斜めに流れていく。

 細かい粒がガラスにぶつかるたびに、「カサ、カサ」と乾いた音を立てた。


 ――その音は、何かがゆっくりと崩れ始める前触れのようだった。


 モニターに映る数字が、さらに一段階、跳ね上がる。

 《視聴者待機:13,104人》


 その瞬間、遠くの山で、風の音が一層低く響いた。

 まるで“誰か”が、雪の向こうで目を覚ましたかのように。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ