カレン配信者 ―「真夜中のライブタイトル」
午前三時三十分。
都内の狭いワンルームに、淡いピンクとネオンブルーの光が交じり合っていた。
LEDテープが壁際をゆるやかに縁取り、天井にはアニメのポスターが貼られている。マイクスタンド、リングライト、そして虹色に光るゲーミングチェア。まるで舞台装置のような部屋だ。
冷房代わりの小型ファンが低く唸り、時折、ノートPCの冷却音が重なる。
画面の隅では通知音がリズミカルに鳴り、コメント欄の効果音が雪のように散っていく。
現実の外では、まだ冬の夜がしんと凍っている。
けれど、この六畳の空間だけは、夜を拒むように明るい。
ピンクの照明がカレンの頬を照らし、ネオンの青が髪の毛の端を淡く染める。
その光は、まるで“ネットの夜”そのものだった。
カレン、二十二歳。
フォロワー十万人を抱える“雑談系配信者”。
職業というより、空気をつくる生き物。
彼女のキャッチコピーは〈リアルより、リアルっぽいほうが面白い〉。
それは、虚構と現実の境界を軽やかに踏み越えるための魔法の呪文みたいなものだった。
彼女は「危険」を恐れない――というより、「危険」を嗅ぎつけると、
その瞬間の“熱”を逃したくなくて、反射的に手を伸ばしてしまう。
配信タイトルの一行で、世界をざわつかせる。
それが自分の存在証明であり、唯一の居場所だった。
自称「ニュースより早い女」。
その言葉を口にするとき、カレンはいつも得意げに笑う。
だが、最近はその笑顔の奥に、再生数グラフの下降線がちらついていた。
タイムラインの流れは速すぎる。
少し立ち止まれば、たちまち埋もれてしまう。
――だから、次の“火種”を探している。
いつだって、スマホの光の向こうで何かが燃えはじめるのを。
ピコン――。
モニターの隅で、通知音が小さく跳ねた。
ベッドの上、カレンは片腕だけ毛布から出してスマホを握っていた。
ピンクの照明が壁のポスターを照らし、アニメキャラたちが眠たげに微笑んでいる。
彼女の瞳は半分閉じたまま、いつものようにトレンド欄をスクロールしていた。
「推しの炎上」「新作コスメ」「バズレシピ」――似たような見出しが流れていく。
だが、ある文字列で指が止まる。
《#白雲ゲレンデ雪崩予告》。
カレンは眉を上げた。
「え、なにこれ。雪崩予告? やば。そういうの逆に好き。」
眠気が一瞬で吹き飛ぶ。
瞳の奥で、好奇心の火がパチリと灯った。
画面をスクロールしながら、彼女の口角が少しずつ上がる。
“災害の匂い”と“バズの匂い”は、どこか似ている――そんな直感が、背筋をくすぐる。
カレンは毛布を蹴飛ばし、ベッドから飛び起きた。
足元のスリッパをつっかけ、配信デスクへ駆け寄る。
ピンクとネオンブルーのライトが次々と点き、部屋が瞬く間に“舞台”に変わる。
リングライトの中央で、彼女の瞳が青白く光った。
「――よし、今夜はこれだね。」
スマホの画面には、タグのリツイート数がじわじわと増えていく。
まるで彼女の興奮に呼応するように。
カレンは椅子をくるりと回し、リングライトの前に座った。
モニターの反射が頬を撫で、部屋の空気が一瞬で“仕事モード”に切り替わる。
「……よし、照明ピンクでいこう。」
リモコンをカチリと押すと、LEDが淡い薔薇色に染まり、壁のポスターたちが艶めいた表情に変わった。
鏡代わりのモニターを覗き込み、リップをさっと塗り直す。
唇の輪郭を整えながら、彼女は一度スマホを掲げ、画面を確認。
そこには無数のタグが光っている――《#白雲ゲレンデ雪崩予告》。
「タイトル、どうしよっかな……」
指先が配信ソフトの入力欄をなぞる。
カレンは小さく笑い、軽快に打ち込んだ。
《#白雲ゲレンデ潜入ライブ》
《雪崩予告の真相、行って確かめてみた!》
「完璧。バズる予感しかしない。」
イヤホンを耳に差し込み、マイクの位置を直す。
BGMをオンにすると、軽快な電子音が部屋に広がった。
モニターのライトが彼女の瞳に映り込み、光が二重に揺れる。
カレンは深呼吸を一度だけして、カメラに向かって微笑む。
クリック音。
画面の右上に、赤い「LIVE」マークが灯る。
――配信開始。
その瞬間、静かな夜の部屋が、世界と直結する“スタジオ”になった。
配信開始のチャイムが鳴った瞬間、画面の右側から白い文字の粒が次々と舞い込んできた。
それは雪のように、静かで、しかし止むことを知らない。
「行くなw」
「いや絶対バズる!」
「どうせネタだろ?」
「こわいけど見たい!」
コメントが一つ流れるたび、軽快な通知音が“チリッ”と鳴る。
やがてその音が重なりあい、降り積もる雪の音のように変わっていく。
カレンの顔を照らす画面の光は、まるで吹雪の反射のように白く瞬き、
その中で彼女の笑みだけが、妙に鮮やかに浮かび上がっていた。
「ねぇ、見てこの流れ。やばくない? みんな、行けって言ってるし!」
カレンが冗談めかして言うと、さらにコメントが弾幕のように溢れ、
画面の下半分があっという間に埋まった。
言葉が言葉を押し流し、情報が雪片のように積もっていく。
モニターの中では、もはや彼女の姿よりも“コメントの吹雪”のほうが強く主張していた。
通知音は風の音に似て――軽く、冷たく、どこか危ういリズムを刻み続けていた。
カレンはイヤホンのコードを整え、マイクの位置を少し上にずらした。
ピンクの照明が頬をかすかに染め、画面越しの笑顔が完璧な角度を取る。
「ニュースとかさ、どうせどっかの転載でしょ?」
彼女は軽く肩をすくめて笑った。
「だったらウチが行って、ほんとのとこ撮ればいいじゃん。
リアルタイムで“真実”見せるの、ウチの仕事だし。」
コメント欄が一斉に沸き立つ。
〈マジ行くの?w〉〈女版ジャーナリスト爆誕〉〈草〉〈神回確定〉――。
彼女の笑みはその熱を吸い込みながら、少しだけ硬くなっていく。
画面の隅では、再生数のグラフがじわじわと右肩上がりに伸びていた。
カレンの瞳が、一瞬だけその数字を追う。
――視聴者の熱が、現実の行動を押し出していく。
「じゃ、明日――てか今日か。白雲、行っちゃおっか。」
その言葉とともに、彼女は配信の画面に指を滑らせた。
クリック音が、深夜の部屋に小さく響く。
それは、ただの“配信ボタン”ではなく、現実への“出発スイッチ”のように。
モニターの右下、数字が脈打つように跳ね上がっていく。
〈視聴者:1,200 → 3,500 → 8,900〉。
コメント欄はもはや吹雪だった。
〈行くな!〉〈神回くるぞ!〉〈白雲ってどこ?〉〈地図出して!〉〈怖いけど見たい!〉――。
文字の奔流が画面を埋め、ピンクの照明の中で、彼女の顔だけが淡く白く浮かび上がる。
同時に、別の画面ではSNSのタグが伸びていく。
《#カレン潜入》《#白雲ゲレンデ配信》――それらが次々とタイムラインを覆い、
トレンド欄の白い雪原に新たな足跡を刻んでいく。
カレンはカメラの向こうを見据え、
口角を少しだけ上げた。
「じゃ――行ってみよっか。」
その瞬間、モニターの光が彼女の瞳を貫く。
小さなクリック音。
それがまるで、現実と虚構の境界を“点火”するスイッチのように響いた。
そして、画面の奥で雪が降り始める――情報という名の、止まらない雪が。
モニターの右下、数字が脈打つように跳ね上がっていく。
〈視聴者:1,200 → 3,500 → 8,900〉。
コメント欄はもはや吹雪だった。
〈行くな!〉〈神回くるぞ!〉〈白雲ってどこ?〉〈地図出して!〉〈怖いけど見たい!〉――。
文字の奔流が画面を埋め、ピンクの照明の中で、彼女の顔だけが淡く白く浮かび上がる。
同時に、別の画面ではSNSのタグが伸びていく。
《#カレン潜入》《#白雲ゲレンデ配信》――それらが次々とタイムラインを覆い、
トレンド欄の白い雪原に新たな足跡を刻んでいく。
カレンはカメラの向こうを見据え、
口角を少しだけ上げた。
「じゃ――行ってみよっか。」
その瞬間、モニターの光が彼女の瞳を貫く。
小さなクリック音。
それがまるで、現実と虚構の境界を“点火”するスイッチのように響いた。
そして、画面の奥で雪が降り始める――情報という名の、止まらない雪が。
カレンは静かに立ち上がり、机の上の配信機材をひとつずつリュックへ詰め込んでいった。
マイク、モバイルバッテリー、三脚、小型ドローン。どれも彼女の“武器”であり、“盾”だった。
最後にリングライトのスイッチを押す。
ピンクの光がふっと消え、部屋は闇に沈む。
残ったのは、スマホの録画ランプだけ。
それはまるで、暗闇の中で点滅する雪崩の赤い警告灯のように、
彼女の頬を淡く照らした。
部屋の隅で、ファンが最後の一息を吐くように止まる。
窓の外では、都市の眠りを裂くように、風が遠くでうなった。
モニターに残された配信ページが自動更新される。
カウントダウンの数字が、ゆっくりと動き始める。
《LIVE予定地:白雲ゲレンデ(長野県)》
《配信開始まで 01:32:08》
赤いランプが、一定のリズムで瞬く。
まるで、誰かの心臓の鼓動を模倣するように。
――そして、真夜中の“火種”は、
現実の吹雪へと運び出されていくのだった。




