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『雪崩注意報発令中(人間に)』:白雲ゲレンデ騒動記  作者: 南蛇井


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朝 ―「白雲ゲレンデ、静寂の始業」

 雪ってのは、人間の退屈を白く塗りつぶすために降ってるんじゃないかと思う。

 世の中がどれほど汚れても、冬になるとこうして上書き保存してくれる。

 ――ありがたいけど、救いようがない。


 そんな独り言を、吐くでもなく胸の奥で転がしながら、私はゲレンデを見下ろしていた。

 白雲ゲレンデの朝は、世界が息をしているのか疑わしくなるほど静かだ。

 音という音が、雪に吸い込まれていく。

 リフトのワイヤーが軋む音だけが、かろうじて現実をつなぎとめていた。


 滑っている客は、三人。

 数えるほどしかいない客が、まるで儀式のように同じコースを滑り降りては、同じように登っていく。

 スキー板の軌跡も、すぐに降り積もる雪に埋もれる。

 時間が、ここだけ止まってしまったみたいだ。


 スピーカーから、機械的な女性の声が流れる。

 「今日も安全運転で、楽しい一日を!」


 リフト小屋の中で、私はカップスープの紙コップを握ったまま、ため息をついた。

 「安全って、暇と同義なんだよな。」


 言葉が湯気に乗って、窓の外へ逃げていった。

 外では、また粉雪が舞っている。

 誰も聞いていないのを知りながら、私はもう一度、小さく呟いた。

 「暇すぎて、安全ボケする。」


 リフトの金属音が返事のように鳴った。

 それが、このゲレンデにおける唯一の会話だった。



リフト小屋の中は、まるで冷凍庫の中みたいだった。

 ストーブは壊れているのか、朝から一度も火が入っていない。

 息を吐くたびに、白い煙がふわりと宙に浮かぶ。

 壁には「事故ゼロ 連続347日」と印刷された紙が、テープの端をめくりながら貼られている。

 この紙だけが、この場所で唯一“連続”を主張していた。


 私はカウンターに肘をつきながら、カップスープをすする。

 粉末の味しかしない。

 けれど、温かいだけでありがたいと思うあたり、私の基準はすでに氷点下に落ちている。


 目の前のパネルのランプが、一定のリズムで点滅していた。

 リフトのモーター音が、低く長く響いている。

 客を乗せた椅子が、雪を背負ってゆっくり上がっていく。

 そしてその雪は、途中でふわりと落ちて、また積もる。

 誰も乗っていないのに、律儀に往復を繰り返すリフト。

 それを眺めながら、私は思わず口にした。


 「このリフト、客より雪のほうがよく乗る。」


 自分で言っておいて、苦笑が漏れた。

 ほんの少しだけ、笑うと寒さが和らぐ。

 その一瞬を狙ったように、外のスピーカーが再び鳴り出す。

 「今日も安全運転で――」

 私はその声を遮るように、スープを飲み干した。


 粉雪が窓を叩く。

 音がないのに、世界がすこしずつ擦り切れていく気がした。

リフト小屋のドアが軋みを上げて開いた。

 冷気と一緒に、早川さんが入ってくる。

 顔の半分をネックウォーマーで覆ったまま、息を荒くして言った。


 「今日も客いねぇな。」


 私はスマホの画面を見つめたまま、親指だけを動かす。

 タイムラインには、昨日と同じ雪景色。

 今日も何も変わらない世界が、延々とスクロールされていく。


 「雪山なのに、閑古鳥の鳴き声がエコーしてますね。」


 画面から目を離さずに言うと、早川さんは笑ったのか、凍ったマスクがわずかに揺れた。


 「ほんとだよ。スキー場っていうより、自然冷凍庫だな。」


 私はスマホをポケットにしまい、肩をすくめる。

 「冬眠した方が、売上いいかもしれません。」


 しばらく、二人とも黙った。

 リフトの音だけが、遠くでウウウウと鳴っている。

 沈黙の上に、乾いた笑いがほんの一瞬だけ積もり、

 すぐに雪と一緒に溶けて消えた。


 早川さんはストーブの壊れたスイッチを何度か押してみたが、

 何の反応もない。

 「……あったかいって、贅沢だな」とぼそり。

 私は「安全と同じですよ」と返した。


 二人とも、それ以上何も言わなかった。

 リフトは、今日も律儀に空を運んでいる。

 私はパネルの上に手を伸ばし、いつものボタンを押す。

 カチッ――と、乾いた音が指先に返る。

 その瞬間、外で低い唸りが始まった。

 ワイヤーが動き出す音。

 ウウウウウ……と、ゆっくり、まるでため息をつくように山へと伸びていく。


 無人のリフトが一台、また一台と上がっていく。

 椅子の上に積もった粉雪が風にほどけて、ふわりと宙を舞う。

 まるで誰かの幽霊が座っているみたいに、静かに消えていく。


 遠くでスピーカーが鳴った。

 「安全確認、完了しました。」


 私は返事代わりに、軽く指を鳴らす。

 そしてぽつりと呟いた。

 「……ああ、完了。生きてる実感、ゼロ。」


 機械は確かに動いているのに、人間のほうは停止している。

 私はそれを、毎日確認しているような気がする。

 ボタンを押し、音を聞き、何も起きないことを確かめる。

 それが仕事だ。


 外の雪は、音もなく降り続いている。

 リフトの唸りと、スピーカーの残響と、私の心拍だけが重なり合う。

 まるで退屈そのものが拍子を取っているようだった。


 ――一拍、二拍。

 今日も変わらず、世界は退屈のテンポで回っている。

 指先が冷たくなってきたので、私は手袋を外した。

 ポケットからスマホを取り出す。

 画面がまぶしく光る。

 外の白よりも、人工的な白の方が目に刺さるのが、少しだけ笑えた。


 アプリを開くと、見慣れたアカウントが現れる。

 @雲下の生活

 プロフィール文には、

 “スキー場勤務。人間関係は低温注意報。”


 自分で書いたくせに、読むたびに寒気がする。

 それでも、こうして日々更新していないと、

 自分が本当にここで働いているのかどうかさえ曖昧になる。


 私は親指で文字を打ち始めた。


 > 「#白雲ゲレンデ 今日もホワイトノイズ。」


 投稿ボタンに触れる前、ほんの一瞬だけ指が止まった。

 そのまま口の中で呟く。


 「……ホワイト“デスノイズ”にしようかな。」


 声にしてみると、思った以上に語呂が良かった。

 でも、ちょっと笑って、すぐにその言葉を消す。

 “デス”の方がリアルなのに、“ノイズ”の方が生きやすい。

 その程度の妥協で、今日も人間をやっている。


 私は「投稿」を押した。

 画面には、たった一行のつぶやきと、小さな雪だるまの絵文字。

 それが誰かに読まれることも、誰にも届かないことも、

 同じくらいどうでもよかった。


 スマホを閉じてポケットに戻す。

 冷たくなった指先が、少しだけ現実に戻った気がした。


 ――外では、まだリフトの唸りが続いていた。

 その音も、たぶんホワイトノイズの一部だ。


 リフトのワイヤー音が、ふと途切れた。

 その静寂のあとを埋めるように、地の底から響くような重低音が遠くから近づいてくる。


 ――ウウウウウ……。


 白い雪の向こうに、ぼんやりと黄色い光が浮かぶ。

 やがてそれは、圧雪車の回転灯だった。

 音もなく押し寄せる巨体が、粉雪を巻き上げながらゆっくりと進んでくる。

 そのたびに、ゲレンデの白が少しだけ整えられていく。


 ミホはリフト小屋の窓ガラスに頬を寄せて、じっとそれを見つめた。


 「……あの車だけは、仕事してる顔してる。」


 小屋のドアが開き、早川が鼻をすすりながら入ってきた。

 「ケンジさん、また一人で哲学してんだろ。

  “雪の平等性について”とか、そんな感じの。」


 ミホはカップスープをすすりながら、淡々と返す。

 「哲学って、現場の暇つぶしなんですよ。」


 早川が「はは」と乾いた笑いをこぼす。

 その笑いは、すぐに外の冷気に吸い取られて消えた。


 窓の外では、圧雪車が依然として無言で進んでいた。

 人間の哲学よりも、よほど確かなリズムで雪を均していく。


 ミホはふと思う。

 ――あの車がこのスキー場を支配した方が、うまく回るんじゃないか。


 そんな考えが頭をかすめたが、彼女は笑わなかった。

 ただ、再びリフトのスイッチを押す。


 カチッ。

 ウウウウウ……。


 退屈の音が、また戻ってきた。

小屋の中は、ほとんど音がなかった。

 外の雪が音を吸い取り、内側の空気まで固めてしまったようだ。


 壁の時計だけが、律儀に仕事をしていた。

 秒針が一歩ずつ、雪を踏むように進む。


 ――カチッ。


 ――カチッ。


 一分がこんなにも長いとは、冬になるまで知らなかった。

 ミホは視線を時計に吸い寄せられる。

 秒針の動きが、まるで誰かが“生きているふり”をしているように見えた。


 彼女はぼんやりとつぶやく。


 「時間って、凍るんだな。」


 言葉が空気に溶けるより先に、また“カチッ”という音。

 それがまるで返事のように響いた。


 小屋の外では、雪がゆっくりと積もり続けている。

 その白さの中では、どんな過去も、どんな未来も、同じ速度で埋もれていく。


 ――退屈の中でさえ、世界は止まっていない。

 ただ、自分が止まっているだけだ。


 そう思うと、少しだけ笑いが込み上げた。

 凍った笑い。

 誰も見ていない、白い時間の中のそれ。

外は、相変わらず白かった。

 雪は音もなく降り続け、ゲレンデの輪郭を少しずつ曖昧にしていく。


 リフトの椅子は、乗る人のいないまま、

 律儀に山の上と下を往復していた。

 空席を運び、また戻す。

 誰も待っていない、終わりのないループ。


 カメラのような視点で見るなら、

 世界全体がゆっくりと回転しているのではなく、

 止まったまま雪だけが動いているようにも見える。


 小屋の窓から、薄く湯気が立ちのぼる。

 カップスープの残り。

 その湯気も外に出る前に、冷たい空気に消された。


 遠くで圧雪車のエンジン音が低く唸る。

 それはまるで、退屈を均していく音だった。


 ミホの声が、雪の中に溶けるように響く。


 > 「今日も静かに、世界が積もっていく。

  ――いつ崩れるかも知らずに。」


 彼女の視線の先、降り続ける雪の一片が、

 風に流されてリフトのワイヤーに触れ、

 それが微かに震えた。


 音にはならない揺れ。

 その小さな振動が、何かの始まりのようでもあり、

 単なる錯覚のようでもあった。


 白雲ゲレンデは、今日も静寂を運転中だった。






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