その日、私の人生がひっくり返った
※ご都合主義作品です。
それは、王家主催の舞踏会で起きたとんでもないハプニングによって引き起こされた。
この出来事がきっかけとなり、思いもよらぬ形で私の人生は大きくひっくり返った。
舞踏会前日。
6歳年下の従妹のミーシャが突然家にやってきたのは、昼すぎのこと。
私が部屋のソファーに座り、くつろぎ始めたところで、扉が"バンッ"と、開かれた。
「ミ、ミーシャ?」驚いて扉に視線を向けると、彼女は肩を上下に動かし、『ゼーゼー』と喘鳴を響かせ、息をするのも苦しそうだ。
どうやら彼女は我が家に到着するや否や、部屋まで一目散に走ってきたようだ。
その様子に私が首を傾げると、彼女は扉を開けたまま、ツカツカとヒールの踵を鳴らし入室してきた。
従妹といっても、彼女はこのワイナー国唯一の王女、ミーシャレン殿下なのだ。だというのに、いくつになっても私の前では変わらない子供のままの彼女に、私は眉尻を下げ薄い笑みを浮かべた。
「ハァ、ハァ……。ア、アリアお姉様……」
「ミーシャ。そろそろ、扉はノックをして返事が返ってきてから開くことを覚えた方がいいわよ」
「他ではきちんと出来ていますわ。そんなことよりも、重大な話があるのです」
「あらまあ、重大な話があるのなら仕方がないわね。でも次からは、先に扉を叩くことを約束できるわよね」
息を切らしながら頷くミーシャの姿がとても可愛くて、ついつい甘やかしてしまう。
「それに、重大な話をする前に、私に告げることがあるでしょう?」
「……あっ、アリアお姉様。お帰りなさいっ!」
「ただいま。会いたかったわ」
ソファーに座る私に、ミーシャが笑顔で抱きつくと、私も彼女の背に腕を回した。
「わたくしもよ! お姉様に会いたかったわ! それでね、次からはきちんとすると約束しますので、アリアお姉様も約束して下さい」
「……? 何を約束してほしいのかしら?」
「簡単なことですわ。明日の舞踏会に来てほしいのです。分かっていますわ……アリアお姉様がお疲れのことは、百も承知の上でお願いしているのです。でも今回は、ミーシャのお願いを絶対聞くと約束して下さい」
ミーシャの可愛いところは容姿だけではない。
王女として私を呼び出せばいいものを、お願いという可愛らしい言葉で気遣ってくれているのが分かる。
しかし、どうしたら良いだろうか。
本当ならば、私はまだ国に帰っていないことになっている。
それというのも1年間、親善大使として国外に出ていたが、予定より3日早く帰国したのだ。
昨日の昼前に私が帰国すると、母は昼食を済ませた後で、王宮へと向かった。母の従妹であり、ミーシャの母親でもある王妃陛下に会うためだ。
そのとき王妃陛下が、「今からでは舞踏会に出る準備が間に合わないでしょう」とおっしゃって、私の気持ちを汲んでくださったと、母から聞いている。そして、国王陛下が帰国を知らせる謁見を予定通り舞踏会の2日後として下さったのだ。そのため、それまでは家でゆっくりするつもりでいたのだが。
「私はまだ帰国していないことになっているのですよ?」
「そのことなら大丈夫よ! 叔父様と相談したの。お姉様が帰国と同時に舞踏会に現れたことにするから、当日は俺に任せろって言ってくれたわ。だから、このことはフレディレク兄様にも言っていないの。アリアお姉様も秘密にしてね」
フレディレク様には報せていないと言うが、彼はこの国の第一王子であり私の婚約者なのだ。その彼に伝えていないとは、どうしてなのだろうか。
ミーシャが言う叔父様とは、ランガーディ王弟殿下のことであり、殿下と彼女の話の内容を他言しないよう釘を刺されれば、そうせざるを得ない。
楽しみにしているだなんて……絶対に這ってでも出てこいと言われたわけだが、ミーシャも分かっていて伝えてくるとは。
彼女の天使のような微笑みが、小悪魔が悪戯をしたときのように見えてくるのは気のせいだろうか―――。
◇◇◇
婚約者のフレディレク様と初めて顔を合わせたのは、王宮にある大きな庭園だった。
その日は、突然聞かされた婚約者の存在に納得出来ないまま、両親に王宮まで連れて来られた。
両親に付いて温室の向かいに設置されたテントへと渋々ついて行く。
すると、そこに金色の髪を緩やかな風に揺らした綺麗な大人の女性と、美しい男の子が、にこやかな表情で立っていた。
私より二歳年上の婚約者である第一王子フレディレク殿下と、第二王妃殿下の二人だと知ったのは、その時だった。
「はじめまして。アリア・ダートンと申します」
急ごしらえで覚えさせられたカーテシーをどうにか失敗せずに披露する。
後ろにいた両親の顔を確認することは出来なかったが、目の前にいる二人が笑顔を向けていたので、まあまあの出来だったかな、と胸を撫で下ろした。
「婚約したのだから、アリアと呼んでもいいでしょうか。僕のことはフレディレクと呼んで下さい」
彼の長いまつ毛で隠れる碧い瞳は、陽の光を浴びてキラリと輝く。その美しい瞳を私に向け、トロンと蕩けるような表情で、彼はスッと手を差し出してきた。
彼の手の上に私の手を重ねると、白いテーブルの席へとエスコートされる。
メイド達がお茶を淹れはじめたところで、フレディレク様に好みの菓子を聞かれ、「チョコレートです」と返答する。すると彼は、自らケーキスタンドから菓子を取り、私の前へいくつかチョコレート菓子を置いた。
「緊張しないで大丈夫です。好きなものから食べて下さい」
「は、はい。ありがとうございます」
お礼を告げると、彼はシルバーを手に取り綺麗な所作でケーキを口に運んだ。
隣のテーブルに居る両親を見れば、目が合あったのは第二王妃殿下だった。
ミーシャの母である王妃陛下は、国母になってからの数年間、国王陛下との間に世継ぎを授かれなかった。そのため神の許しを得て、侯爵家から第二王妃と伯爵家から第三王妃が迎え入れたと聞いている。そして、先に生まれた第二王妃の子、フレディレク様が、第一王子となったのだ。
第二王妃殿下はニコリと笑顔をみせると両親へと視線を戻し、珍しい薔薇が咲いたのだと言って、両親を連れて温室へと移動してしまった。
置いていかれたフレディレク様と私は、ギクシャクしながらも、彼のリードでそれとなく会話を続けた。しかし、次第に彼の様子が可怪しいことに気がつく。
どちらの手が大きいか比べてみようとか、手相を習い始めたから見てあげるとか。彼は何度も私の手を触り、指を絡め、握る。
更には、彼の手が私の手を掴もうとした際に引っ込めた手にケーキのクリームが付くと、彼はすばやく私の手をとった。そのあとで、ねっとりした目つきで私を見ると、手についたクリームを舐めたのだ。
……信じられない!
……気持ち悪い!
私はすぐに手を引っ込めた。一瞬にして、血の気が引いた。彼の所業を見ていなかったメイドが、濡らしたナプキンで手を拭いてくれたが、彼はそのメイドを睨み見た。
いくら彼が王子だとしても、婚約者だとしても……私にしたことは許されない行為だった。
「僕はアリアと婚約出来て、とても幸せだ。アリアを一生大事にするからね。嫌なことはしないよ。だから、僕を好きになってね」
帰るときに、彼に両手を握られ言われた言葉に、私は今の想いを告げることにした。
「では、エスコート以外では触らないで下さいますか。男の人との触れ合いは、結婚してからだと教えられています。それと、ずっとジロジロ見られているのは気持ちが悪いのでやめて欲しいです」
「……気持ち悪かった? 申し訳なかった。嬉しくて、つい。それと、アリアの珍しいオレンジ色の瞳が美しくて、ずっと見てしまったようだ。今度からは気をつけるよ、ごめんね」
謝罪したばかりで、次に私のストロベリー色の髪を一房手に取ると、彼はそれに唇を当てる。
背中に冷たいものが走ったようにゾクリとし、私は足を一歩引く。
その後で、顔を上げた彼の舐めるような視線の気味の悪さに、体中の毛が逆立つようにゾッとした。
帰りの馬車に乗り込むと、両親に向かって私は癇癪を起こした。
「あんな気持ち悪い婚約者、絶対にイヤ! 婚約を取り消して下さい!」
「素敵な王子様だったじゃないか」
「アリアは、フレディレク殿下の何処が嫌だったのかしら?」
「全てが嫌なのです。気持ち悪い目でずっと見てくるし、何度も手を握ってくるのよ。初めて会った人にそんなことをされれば、誰だって嫌になるわ」
「アリアは可愛いから、殿下は手を繋ぎたくなったのよ」
「それに、私は好きな人以外と婚約なんてしたくないわ。私が誰を好きなのか、父様も母様も知っているでしょう?」
「アリア。彼とはもう二度と会うことはできないのよ。彼もアリアの幸せを願ってくれているわ」
「私の幸せを勝手に決めないで!」
「アリア。……王家からの申し入れを断ることは出来ない。フレディレク殿下は素敵な人だし、これから会う度に良いところを探してみるといい」
「嫌よ! 良いところなんて無いに決まってる! 断ることが出来ないからって、私の気持ちはどうでもいいのね! 父様のオタンコナス!」
私には好きな人がいた。その彼とは両想いだった。でも彼は、いなくなってしまった。私は彼以外の男性に嫁ぎたくなかった。彼とは二度と会うことはないと父から言われ、それならば一生一人で生きていこうと思うくらい、彼は私の全てだった。
彼のことが忘れられないことを両親は知っていたのに、私は無理矢理フレディレク様と婚約させられた。
王家からの申し入れで断れないと言われた言葉は、12歳の私でも理解できた。
でも、どうしても嫌だった。
しかし、どうにもならない事だった。
それからは月に一度、婚約者としてフレディレク様のお茶会に招待された。
彼と会う日は朝から気怠く着替えをするのも億劫で、馬車の車窓から王宮が見えてくるだけで一層気怠さが増していった。
初めて彼と会った日に、触らないと約束したことは守ってくれてはいる。そして、彼はとても優しい。でも……たまに見せる真の姿の様な目つき。私を舐めるような視線は相変わらず気持ち悪い。フレディレク様と時間を共にすればするほど、嫌悪感が増していった。
そんな中で、私が王子妃教育のために王宮を訪れていたときに出会ったのが、ランガーディ殿下だった。
私のダンスの練習中に、ランガーディ殿下が突然フロアに入場してきたのだ。
「前を通ったので、誰がダンスをしているのかと覗いてみたんだ」
ダンスの先生と親しげに会話をはじめたランガーディ殿下は、明るい笑顔で笑う人だった。
国王陛下の弟君であるランガーディ殿下は、陛下より5歳年下であるにもかかわらず、年齢を全く感じさせないほど若々しい方だ。王族特有の長い金髪に碧色の瞳。顔つきは一見、甥のフレディレク様と似ている。しかし、よく見れば、切れ長の鋭い目に知的な顔つきをしていることがわかる。
「一曲、お相手願えますか」
「ま、まだ練習中なので、上手く踊れないのです」
「大丈夫。練習しながら楽しく踊ればいいんだ」
挨拶を終えた後で、殿下からダンスに誘われるとそのまま手を引かれ、音楽が始まると緊張に身をこわばらせながらも、どうにかステップを踏んだ。
私の緊張をほぐすように、ランガーディ殿下は踊りながら優しく話しかけてくる。
次第に私の顔から笑顔が溢れだすと、下手な踊りでも間違いを直しながら褒めてくれるのが嬉しかった。
王子妃教育の休憩時間、私はいつもミーシャと一緒に過ごしていた。
その時にランガーディ殿下がお菓子をお持ちになったり、共にお茶を楽しむなどして更に交流が深まった。それと、ダンスやマナーのレッスンにも頻繁にいらっしゃるようになり、会話も自然と弾むようになっていった。そうして、ランガーディ殿下とは年齢が離れていることもあり、良き相談相手となってくれる兄のような存在となった。
王立学院に入学すると、フレディレク様は生徒会長として最高学年で多忙な日々を送っていた。そのため、学院内では滅多に会うことがなかった。
しかし月に一度の茶会では、学院で話すことができない反動か、うんざりするほど愛を語るようになった。
茶会の席で、いつも対面に座っていた彼は、私が最終学年になった頃には隣に座るようになり、何度も私に触れようとしてきた。
そうして、最終学年も残り半年となる頃から、街でフレディレク様を見かけるという話を度々耳にするようになった。
「昨夜、家族とディナーを楽しんでいたのですが、マントのフード下から顔を見てしまったの。フレディレク殿下がVIPルームから出て来ましたわ。ただ、一緒にいた方が、アリア様ではなくて――」
「まぁ、アリア様は知っていらっしゃるのかしら?」
フレディレク様と私の仲が良好でないと噂されるようになると、周囲の生徒たちが私を軽視し、その話題をわざと聞こえるように話す。
その後も、『王都で人気のドレスショップで――』とか、『うちの領地のジュエリー店で――』など、一緒にいたとされる令嬢は、その都度違う名前が挙がるようになり、彼の浮ついた話が次々と聞こえてくるようになった。
街でフレディレク様を見かけたという噂を、私は卒業後も頻繁に耳にした。招かれた茶会でその名を聞くたび、うんざりするほど繰り返される情報に、ただただ辟易としていた。
令嬢たちが、私を嘲笑うかのような表情を浮かべ口を開く。
――フレディレク殿下と一緒になれる
アリア様が羨ましいと
皆が言う。彼の浮気を話しているその口で……。
――ダートン侯爵家の長女である私が、
フレディレク殿下と結婚することで、
王家は盤石になると
皆が笑う。私の魅力は実家の力しかないと……。
我がダートン侯爵家は、王国一の商会を営んでいて、他国との取引も大規模に展開している。商才に長けており、他国との駆け引きや情報、金、人望、あらゆるものが揃っている。
近年、アレクレント公爵家の力が強まりつつある中、ダートン侯爵家との結びつきは、王家が待ち望んでいたものであった。
だが、彼の噂話は遂に国王陛下の御耳に達することとなった。
そして国王陛下は、フレディレク様との婚姻を、噂話が落ち着くまでの期間を考慮し、予定より一年遅らせることに決定なさったのだ。それに伴い、私は親善大使に任命され、公務のため国を離れることになった。
国を離れる数日前。フレディレク様のエスコートで夜会に参列することになった。
夜になると頭痛に悩まされていたため、国王陛下のご慈悲により、結婚するまでは夜の催しへの参列を免除されていた。今回は、私が国を離れる前に少しでも第一王子の噂を払拭するよう、国王陛下から夜会への参列を命じられたのだ。
夜会では、隣に立つフレディレク様に腰に腕を回され、紹介される方々に笑顔を貼り付け続けた。
憂鬱どころの話ではない。私は今すぐ、この場から逃げ出したかった。
「申し訳ありません。頭痛が酷くなってきたので、ご挨拶が済み次第この場から離れてもよろしいでしょうか」
「頭が痛いのか、この場は気にすることはない。私も付き添えればいいのだが、国賓の手前無理そうだ。一日でも早く結婚できれば、私が毎晩頭を撫でてやれるのに、すまない」
「いいえ。遠慮させて――」
返事をし始めたところで、フレディレク様は私の言葉を最後まで待たずに、私を抱き寄せ、頭を撫ではじめた。
私は一瞬で、怒りが溢れ出す。
頭に血が上り、頭痛だけじゃなく吐き気に悪寒までしてきた。
こんな公式な場で、非公式なことを何とも思わずやってのける彼に心底嫌気がさす。
第一王子とあろう者が、場にそぐわない不適切で無礼な行いをするだなんて。それに周囲からは、噂を払拭するためにわざと芝居でもしているのだろうと言いたそうな、冷ややかな視線も向けられている。そんなことすらも、彼は気が付いていないようだ。
「頭痛が増して、これ以上は耐えられそうにないので、失礼させていただきます」
そう告げると、私は皆から見えないようにフレディレク様の胸を押し退け、会場を後にした。
会場を出て、馬車が来るのを待っていると、ランガーディ殿下が私の名を呼びながらやってきた。
殿下は眉尻を下げ、心配そうに私を覗き込む。
「アリア。大丈夫かい?」
「はい。途中で抜け出してしまい申し訳ございません」
「フレディレクには、私からも言い聞かせるよ。このままでは、噂のこともどうにもならないだろう。アリアは、今夜は帰ってゆっくり休みなさい」
殿下は、眉を下げ気遣わしげな表情を浮かべる。
「噂など……どうでもいいのです」
「そうなのか? ……アリアには、気持ちを溜め込まずに吐き出す場所が必要だな。アリア、君には幸せになってほしい。アリアが役目を終え帰国するまでに、君がいつも笑顔でいられるよう私も頑張るよ」
ランガーディ殿下の頑張るとは? フレディレク様の不貞の事なんて、私は全く気にしていないのに。フレディレク様の隣で、私にどの様な幸せを見つけろというのだろうか。
ランガーディ殿下の言葉に絶望しか感じられなくて、視界が揺らぎ上手く笑みを作れない。
殿下は眉を更に下げ、「可愛い顔が台無しだ」と言って、私の頬にハンカチをそっと当てる。ハンカチから香る優しいムスクの香りは、殿下の優しさを表すように私の気持ちを落ち着けてくれた。
それから2日後。
私は親善大使として他国との友好を深めるべく、日の出と共に旅立った。
◇◇◇
ミーシャが用意した馬車に乗り込むと、馬車は舞踏会の会場となる宮殿へ向かい、ゆっくりと走り出した。
2日前に親善大使としての任務を終え帰国してきたが、国王陛下への公式な報告はまだこれからだという状況だ。ランガーディ殿下が『当日は俺に任せろ』と言っていたとミーシャから聞いてはいるが、このまま舞踏会に参列しても大丈夫なのだろうか――。
そんなことを悶々と考えているうちに、舞踏会の開始時刻よりやや遅れて、馬車は正門をくぐり抜けた。そして、宮殿の正面玄関を横目に見ながら通り過ぎ、脇道から裏扉の前へと静かに進んで停車した。
馬車の扉が開かれると、そこには思いもよらぬ人物の姿があった。驚きに目を見張る私を、正装姿のランガーディ殿下が笑顔で出迎えた。
「やぁ、アリア。おかえり。長い間ご苦労様。今夜は来てくれて嬉しいよ」
「ランガーディ殿下、お久しぶりでごさまいます」
1年ぶりに会うランガーディ殿下に、私は胸を弾ませた。
「ああ。今夜はアリアにどうしても会いたかったんだ。来てくれてありがとう。今は時間がないので、俺はこのまま会場に戻るよ。アリアは騎士の彼に裏から案内してもらいなさい」
「はい。分かりました」
「今夜は、アリアにサプライズプレゼントがあるんだ。楽しみにしていてくれよ」
「サプライズ……プレゼントでしょうか?」
「そうだよ。それと、会場ではこの仮面を着けていてくれ」
そう言って、殿下はミーシャが選んだという仮面を差し出した。
「フレディレクにはアリアが来ることを知らせていないんだ。アリアのことは舞踏会の最後に皆に紹介する予定だ。だから仮面を外さずフレディレクの近くには行かないように。いいね……じゃ、また後で」
ランガーディ殿下は、フレディレク様に知らせていないと言ったが、サプライズプレゼントと何か関係しているのかも知れない。
だからといって、帰国早々苦手な人物と顔を合わせずに済むなんて、今夜はとても幸運だ。
ランガーディ殿下が先に会場へと向かいその場からいなくなった後、私を会場へと連れて行ってくれる騎士様に目を向けた。すると、彼も仮面を着けている。
私が仮面を着け終わると、騎士様から差し出された手を取って、裏扉から会場へと歩みを進めた。
騎士様のエスコートで、舞踏会が催されている大広間まで人気が少ない廊下を進む。
オーケストラの演奏が徐々に大きく聞こえてくると、小さな扉の前で足を止めた。ここは給仕が出入りするための扉のようだ。
私は緊張し大きく深呼吸をした。すると、私の様子に気づいた騎士様が、「誰だか分かりませんよ」と言い、重なる手を優しく握った。
私の手を包む大きな手は温かく、緊張し張り詰めていた体の強張りが解けていくようだ。握られた手を見て自然に口角が上がった。
緩やかに騎士様を見上げると、仮面で鼻上まで隠れたその口元だけが、楽しげに弧を描いていた。
扉を開くと、舞踏会の熱気が一気に押し寄せ、全身が震える。騎士様に手を引かれ足を踏み入れると、そこには出入りを隠すための薄いカーテンがかけられていた。
薄手のカーテン越しに会場を覗くと、左側ではオーケストラが生演奏を奏でている。右に視線を向ければ、きらびやかなシャンデリアの下、正装した紳士淑女が音楽に身を委ね、優雅に踊っているのが見える。その中には仮面をつけている人もちらほらおり、華やかな雰囲気の舞踏会に、一層神秘的な彩りを添えていた。
「フレディレク殿下はダンスフロアの中央にいらっしゃいますね。デビュタントを終えた令嬢たちと踊っているようです」
突然かけられた低い声にはっとすると、騎士様がずらしたカーテンの隙間へ視線を向ける。
そこには、真っ白なドレスを纏ったまだあどけなさが残る令嬢に寄り添い、楽しそうにダンスを踊る婚約者の姿が見えた。
「それならば、私は中央に近づかなければいいのですね」
「はい。休憩される際は、あちらのユリの花が飾られたテラス席をご利用ください。その手前にいる騎士が、他の方が入れないように見張っております。私は、そのテラスからアリア様を見守っております。他のテラスと間違えないよう、くれぐれもご注意ください」
「分かりました。お気づかい感謝いたします」
「最後になりますが、ランガーディ殿下より伝言を預かっております。サプライズプレゼントがございますので、本日は飲酒を控えていただくよう、とのことです。それでは、どうぞ楽しんでいらしてください」
騎士様は私の手をそっと離すとカーテンを開け、テラス席へと歩き出した。
なんとも心配性なランガーディ殿下と騎士様だ。でも、至れり尽くせりというのも気持ちがいい。
今夜の夜会では、胸元や背の肌の露出が少なく控え目でいて尚且つ上品に仕立てられた深い碧色のイブニングドレスを選んだ。
ストロベリー色の髪を結い上げ、後頭部には碧色のレースに金色の刺繍がされているリボンを着けることで、髪色も目立たぬようにした。
更に仮面を装着したことで、前髪部分は隠すことが出来ているし、これなら私だと分かる人はいないだろう。
そう思うと、ワクワクしてきて、私もダンスフロアへ足を踏み出した。
これまで幾度となく経験してきた自国での行事だが、隣に王子の姿はない。私は今、第一王子の婚約者という立場を離れ、この会場に来ている。それも、正体を隠しながらだ。悪いことをしているわけではないのに、胸がドキドキする。
本当は、ダンスを踊るのが好きだから舞踏会に参列するのは嫌じゃない。私が今まで参列を避けてきたのは、他ならぬ婚約者のフレディレク様とダンスを踊らなければならなかったからだ。触れるのはもちろん、一緒にいること自体が嫌だった。
でも、王子妃教育の際にダンスの練習相手を務めてくださったランガーディ殿下は、私がダンスを好きなことをよくご存じなのだ。
……もしかすると、サプライズプレゼントって、好きなダンスを思いきり踊れるってことなのかしら。仮面を着けているから、誰も私だと分からないし。それなら楽しまなくちゃ。
数人とダンスを終えたところで激しく息切れると、私は笑顔でダンスの輪から退出する。 『踊り過ぎたかな』と思うけど、凄く楽しい時間を過ごすことができた。
次に流れ出した曲でダンスが始まるとフレディレク様が踊り出したのを確認し、テラス席へと向かう。
その途中、連続で踊り火照った体の熱を冷ますためにウェイターから水の入ったグラスを受け取る。
テラス前に立つ騎士様がガラス戸を開けてくれ、私はお礼を伝え外へ出た。
辺りを見回すと、テラスの隅に置かれている長椅子の後ろに、先ほど大広間までエスコートしてくれた仮面の騎士様を見つける。
騎士様に促され長椅子へと腰を下ろし、誰もいないことを確認すると、手にしているグラスから一気に水分を補給した。
「はぁー、生き返ったわ」
私の言動に、後ろにいる騎士様のクスッと笑った声が聞こえる。
「誰も見ていないからいいのです」
そう告げてから、大きく息を吐き出し緊張で強張っていた体をリフレッシュする。
心地良い柔らかな夜風が、体の熱を奪い去っていく。
火照りが冷めた後で、見上げた先にある美しい満天の星空に癒される。
久しぶりに夜空を見上げたような気がし、その壮大な景色に酔いしれた。
……ここまでは、ランガーディ殿下の指示通りにしたけど。
そう思うと、私は夜空を見上げながら騎士様に尋ねる。
「騎士様。この後は、どうすればよろしいのでしょうか」
「しばらく、この場でお待ち下さい」
しばらくとは、いつまで待てばいいのだろう。
その瞬間、夜空にすーと星が流れ落ちた。
「あっ!流れ星! 騎士様もご覧になりましたか? 星が流れました」
振り返って騎士様に尋ねれば、「はい」と首をたてに振る。そんな彼に、「良い事がある前兆よ」と言えば、「楽しみです」と答えてくれた。
「小さな頃はよく星を数えていたのに、最近は夜空を見上げることをしていなかったわ。こんなに素敵な空を、どうして忘れていたのかしら」
夜空に視線を戻し後ろにいる騎士様に聞こえるように呟くと、ガラス戸がカシャンと音を立てた。
音の鳴る方へ視線を移動すると、キィーと戸の開く音の後にテラスへ現れたのはフレディレク様だった。
会場の光に照らされ明るい金色のくせ毛がキラキラと輝き、碧い瞳は夜空に浮かぶ銀色の月を映している。疲れたような表情をしている彼もまた、連続してダンスを踊っていたためにテラス席へと逃げてきたようだ。
誰も来ないと思っていたのに。まさか、一番会いたくない人が来るだなんて思いもしなかった。
……どうしよう。私が参列していることを彼は知らないのに、見つかってしまうわ。
フレディレク様の姿を横目に、ひとつため息を吐く。その後で椅子から立ち上がろうとするが、騎士様が後ろから私の動きを手で制した。
するとフレディレク様の後ろから、金色の髪をなびかせ綺羅びやかなブルーのドレスを着た令嬢が現れた。その彼女は、「フレディ」と彼を愛称で呼び、背後から抱きついた。
私は驚くと、二人の姿に目が釘付けになる。
二人は笑い合いながら陰になる位置まで移動すると、その女性がフレディレク様に口づけをねだった。彼は両手で彼女の頬を包み込み、微笑みながら顔を下げ唇を重ねた。
誰にも見られていないと思っているのだろう。フレディリク様と彼女は抱きしめ合いながら、唇を重ね続けている。
自分の婚約者の不貞現場を呆れて見入っている私も大概だとは思うけど、よりによって王家主催の舞踏会の最中だというのに。
そんなことを思っていると、私の後ろに控えていた騎士様がとても小さな咳をした。
後ろを振り返ってみれば、騎士様は顔を傾け、またもや小さな咳を2回してから視線だけを私に向ける。
――この状況を私にどうにかしろといいたいのかしら?
どう考えても、この場で彼の行動を止められるのは私しかいない。この会場にいるはずのない私が声をかけなければならないのか、そう思うと気が重い。
こうしてる間に、誰かがテラス席に訪れてくると思うと、いつまで経っても終わらない二人の様子に私は仕方なしに椅子から立ち上がった。
「コホン! ……お邪魔してしまい申し訳ございません。場所をお考え下さいますでしょうか。できれば、誰にも見られることのない場所にて移動してから続けて下さるとありがたいのですが」
二人が唇を離し、こちらを見た。
私が座っていたのは、彼らの死角となる壁の陰。気がつかないのも無理はない。私はそう告げ、光の当たる場所へ数歩足を踏み出し仮面を外した。
驚きで固まる二人を前に気まずさを隠し、とりあえずニコリと笑みを見せる。フレディリク様の腕の中の女性は、そんな私を見て口角を上げ不気味に微笑んだ。
「……きゃぁぁぁ」
その笑みの意味を測りかねていると、女性はいきなり悲鳴を上げた。
フレディリク様は慌てて彼女の口を塞いだが、すでに遅かった。
悲鳴に驚き目を見開いた私の前で、彼女は彼の手を払い除け、数歩前へ進み出た。会場のガラス扉越しに差し込む光を浴び、彼女は目を細める。そして、嘲笑うような微笑みを浮かべて私を見つめた。
「ふふっ、アリア様ったら。見て見ぬふりぐらいしないと、ね……」
そう言って口角を上げた彼女は、アレクレント公爵家のご令嬢であるエトワール様だった。
彼女の悲鳴を聞きつけ、ガラス戸が開かれると会場内にいた騎士様が素早く出てきた。それと同時に気がついた人たちが、ガラス戸の向こうからこちらに視線を向けている。その様子を見たエトワール様は、私へ向ける表情を一変させ、大声で非難の言葉をぶちまけた。
「アリア様! アリア様にはフレディレク殿下という婚約者様がいるのに、他の男性とテラス席でなんて……はしたないですわ」
指を突きつけながらそう言われましても? 何を言っているのか……さっぱり意味が分からない。
だが、開かれたガラス戸から聞こえてきた声によって私はハッとする。
「ダートン候爵家のアリア嬢が不貞だって?」
「フレディレク殿下とエトワール嬢が目撃したらしいぞ」
……この展開は、自作自演ってこと?
不貞していたのは自分ではなく私だと皆に報せたわけね。
呆気にとられ、ポカンと口を開いたところに、ランガーディ殿下がガラス戸から出てきた。
殿下は、私の顔を見てニヤリとし、すぐに冷静な表情に変えた。
……殿下、今のは何でしょうか。
口に出したくても出せずにいると、宰相様と国王陛下までもがテラスへと出てきた。
「ランガーディに呼ばれて来てみれば、この騒ぎ。いったい何があったのだ?」
国王陛下の問いに、すぐ様答えたのはエトワール様だ。
「アリア様がテラスで不貞をしていらしたのです。わたくしとフレディレク殿下が2人でテラスに出て来ましたら、アリア様が不貞を働いていらしたのですわ」
公爵家の令嬢ともあろう方が、皆の前で国王陛下に嘘をつくとは―――。
王子は、あんなだし。公爵家の令嬢は、こんなだし。これから先、この国大丈夫? って不安になる。王家主催の舞踏会だというのに、こんなことが国外に知れ渡ると思うと、私が親善大使として頑張ってきたのが水の泡になったような気がするわ。
エトワール様の返答に、国王陛下は驚愕の表情を向けている。
そのお顔からは、『なんつー事を言っているんだバカタレ』と叫びたいのを押し殺している様子が窺える。
周囲を見渡せば、この場で何も考えずに国王陛下へと発した彼女の言葉に、誰もが度肝を抜いたような表情を浮かべている。
国王陛下は、居合わせた人たちに箝口令を敷き、その後で私たちは陛下の後をついて場所を移動した。
賑やかだった会場から出ると、静まり返ったアーチ状の廊下に足音だけが鳴り響く。
どうやら、私たち一行は一番奥にある貴賓室へと向かっているらしい。
「アリア、ごめん。無理矢理、唇を重ねられたんだ。私が愛しているのはアリアだけだから。今夜だってアリアが来るのを知っていれば、ずっと一緒にいてあげられたのに……」
「手を離して下さい。そして、二度とわたくしに触れないで下さい」
隣に並んで歩き始めたフレディレク様に腕を掴まれ、呆気にとられて辛うじて私の口から出たのはそんな台詞だ。
願いもしない言い訳と謝罪という名の押し付けはご遠慮いただきたい。
冷たい視線を横目で送ると、フレディレク様は俯き、私の腕から手を離した。
「フレディレク様。ありがとう」
素敵な現場を押さえたことで、やっとフレディレク様から解放されると思い、嘲笑うようにそう告げる。
その言葉に、許してもらえたと勘違いしたフレディレク様は安堵したような表情で、また性懲りも無く手を伸ばしてきた。
……まったく、いい加減にして!
「汚れた手で、触らないで下さい!」
そう思うと、私はフレディレク様に怒鳴り声を上げていた。
私が前に向き直ると、国王陛下とランガーディ殿下が振り返って驚きの顔を向けている。
今の私はどんな目で見られようが怖いものはない。今までずっと我慢してきたのだ。今ぐらい我慢しなくてもいいと思うのだ。
私は涼しい顔でいると、ランガーディ殿下は目だけで微笑んだ。
貴賓室で皆が席に着くと、ノック音と共にアレクレント公爵様、私の父であるダートン侯爵が続けて入室してきた。
宰相様が静かに扉を閉めると、静まり返った室内で、国王陛下の第一声はエトワール様に向かって放たれた。
「――して、先ほどのエトワール嬢の発言についてだが、詳しく聞かせよ」
「はい、国王陛下。フレディレク殿下とダンスを終え、わたくしはテラスへご一緒いたしました。するとアリア様が、仮面で顔を隠した男性と二人きりでおられました。わたくしと殿下だけでテラスへと出ましたので、他の者に目撃されなかったのが幸いでした」
話をしたくてうずうずしているエトワール様は、流暢に嘘を並べたてる。
国王陛下への説明を終えた途端、彼女は私に鋭い視線を向け、罵ってきた。
「だからといって……アリア様、言い逃れは出来ませんわよ! フレディレク殿下も証人です」
エトワール様は勝ち誇ったかのように表情を浮かべているが、今の発言が墓穴を掘ったことに本人は気づいていない。
その事実に、父がピクリと眉尻を動かし、アレクレント公爵様は娘を厳しい目で見やった。
「陛下。発言することをお許し願いたい」
アレクレント公爵様は国王陛下が許可したあとで、父に向き直った。
「ダートン侯爵。誠に申し訳なかった。娘のしたことは、とても許されることではない。謝罪や慰謝料で済む問題ではないことは十分理解しているが、ダートン侯爵の納得のいく形で償わせてほしい」
アレクレント公爵様は冷静な口調で父に謝罪すると、そこにエトワール様が口を挟んだ。
「……お、お父様? なぜ、お父様が謝罪なさっているのでしょうか。今は、アリア様の不貞についてお話しているのですよ?」
父親の言動をエトワール様は理解できなかったようだ。『わたくしと殿下だけでテラスへ出ました……』その彼女の不貞発言により、アレクレント公爵様が頭を下げたというのに。
……といっても、公爵様の様子を見ると、これは茶番に過ぎないのであろう。本来であれば、驚いて娘を叱咤する言葉の一つや二つ、あってもおかしくはないはずだ。
公爵親子の会話にフレディレク様は苦しそうな表情を浮かべ、エトワール様が告げた私の不貞を否定した。
「いや、アリアはそんなことをしていない。私が……していたんだ。アリア、二度とこのような事はしない。すまなかった」
「ど、どうして? そんな、フレディレク殿下。アリア様ではなくて私を選んで下さらないのですか? 私は、フレディレク殿下に全てを捧げたのに――」
フレディレク様は、泣きながらそう訴えるエトワール様の方を見向きもせずに、私を見つめて許しを請う。
それを見て、アレクレント公爵様は額に手を当てながら首を左右に振り、大きくため息を吐いた。
訝しげな顔をしている国王陛下に、父が発言の許可をいただき口を開く。
「フレディレク殿下。アリアを泣かせるようなことはしないと、婚約する際にお約束しましたね。どうも、約束が履行されなかったようですな」
厳しい表情と口調で父がそう告げると、国王陛下はフレディレク様に再度当時の状況を問いただしたあとで、間違いがないかを私に確かめた。
「はい。フレディレク様のお話した内容に間違いはありません」
二人からの肯定の返事に思いあぐね終えた国王陛下は、フレディレク様の非を認め、私たちの婚約を解消するよう命じた。
アレクレント公爵様は、エトワール様に沙汰が下るまでの間は自宅にて謹慎するように告げたが、彼女は難色を示した。
「な、なぜ私が謹慎なんかに……嫌ですわ! わたくしは悪くないのに。フレディリク殿下は、わたくしのことを愛していたのよ。私達はお互いに愛し合っていたの。それなのに……絶対に許さないから!」
エトワール様が瞳を潤わせ、そう言って泣き崩れた。
彼女の言動に、国王陛下は眉間に深いしわを作り口を開く。
「フレディリクと愛し合っていたと言うが、アリア嬢を婚約者にと選んだのはフレディリクだ。それなのに、アレクレント嬢とフレディリクの間では、婚姻の約束をしておったということか?」
「いえ、していません。私が愛しているのはアリアだけです。陛下、私は婚約の解消をしたくはありません!」
突然立ち上がり大声を上げたフレディリク様に、皆の視線が集まる。すると、アレクレント公爵様も唸るような声を上げた。
「どういうことだ。殿下は、我が娘を弄んだと……そう言うのでしょうか。私が娘から聞いていた話とは違います。殿下は娘を未来の正妃に望まれていると、そう約束したと―――」
顔を真っ赤にして、アレクレント公爵様がフレディリク様を責め立てる。……でも、顔が赤いのは、怒っているからだけではない。
舞踏会の最中での出来事のため、お酒が入っているのは言うまでもない。が、それにしても、今の発言はよろしくない。
公爵当主ともあろうものが、娘の不貞を許していたと言ったのだ。
更に言えば、先ほどすぐに父に謝罪を述べたことも考慮に入れると、この国の王子と婚約者である私の婚約解消を望んで、娘を王家に嫁がせる算段をしていたと口にしたようなものだ。
アレクレント公爵様はフレディリク様が約束をしたと言ったが、問題はそこではない事を飲酒しているために気がつくこともできないのだろう。
「エトワール嬢と婚姻したいと口にしたことはありません。アリアに知られたくなければ責任を取ってほしいと言われましたが、私が愛しているのはアリアだけです。私が望むのは、アリアとの婚姻です。エトワール嬢にも、そう告げました」
「……最初に、そう言われたけど。でも――」
「それでもいいと、そう私に告げたのはエトワール嬢です」
自分は約束したこともなければ、結婚する気はないと言った後での爆弾発言。何の責任を取ってほしいと言われたのかまでハッキリ言ってほしいところだ。それに、それでもいいと言われたから関係を続けていたってことでしょう? ……聞いてて呆れる。
さすがに国王陛下も呆れ顔を通り越した表情になっているが。私からしてみれば、その男の父親である陛下の育て方にも問題があると思うのだけれども。
「話にならん。アリア嬢、そなたの思いも聞かせてくれんか」
やっと、私に話が回って来た。陛下から発言を許されると私は軽やかに口を開く。
「はい。私は婚姻解消を望みます。フレディリク様に一生を捧げたくはございません」
「陛下。我が娘が、これ以上傷つくことに耐えられません。ですので、娘はここで失礼させていただいてもよろしでしょうか。この後のことは、家同士の話し合いになるかと……」
「ふむ。では、アリア嬢には後日改めて王家から謝罪をさせていただこう」
私が答えると、続けて父が国王陛下に許しを得て、やっとこの場から退場できると安堵した。
すると、ランガーディ殿下がソファーから立ち上がったことで、私は足が踏み出せなくなった。
「陛下、発言をお許しください。フレディリクとアリア嬢の婚約が解消されたということで、私からアリア嬢に似合いの相手を紹介させていただきたいのですが」
(……な、なんですって?)
「本来なら、賢いアリア嬢には王家に嫁いでもらいたかったが……。しかしそれをするならば、ダートン侯爵とアリア嬢に判断を委ねるとしよう」
(……絶対にお断りだわ)
「ランガーディ殿下、ありがたきお言葉ですが、娘はこんなことがあったばかりなので、今後のことはまだ考えられないかと……」
「申し訳ございません。父が言った通りでございます」
「ああ。分かっているよ。ただ、私が紹介したい相手と一度会ってほしい。その後で、ゆっくり決めても遅くはないだろう?」
気に入らなかったら断ればいいとランガーディ殿下に言われ、私はとりあえず頷くしかなかった。
「では、早速だが移動しよう」
「は、はい? 今、でしょうか?」
「その方が早いだろう? 今夜、彼もこの会場にいることだし、今なら顔だけ見て帰れるぞ」
「……分かりました」
ランガーディ殿下が私を連れて退室しようと扉から出る際、フレディリク様に呼び止められる。
「アリア、行かないでくれ!」
振り返らずに扉をくぐると、その先に先ほどテラスにいた仮面の騎士様がいた。
ランガーディ殿下は、「アリア嬢のエスコートを頼む」と彼に委ねると、こちらに向かってくるフレディリク様を御するために部屋へ戻った。
騎士様から差し伸べられた手に私の手を重ねると、後ろからまたフレディリク様の必死に許しを請う叫び声が響く。
「俺は、アリアとの約束を守っただろう! 君が嫌がる場所には触れていないじゃないか。アリアに嫌われたくはないから、だから俺は……」
フレディリク様の言葉は、ランガーディ殿下が扉をパタリと閉めたことで、最後まで私の耳に届くことは無かった――。
回廊を歩き小さな庭園を過ぎた場所で、美しく着飾ったミーシャが護衛の騎士様を連れて立っていた。
「あっ! アリアお姉様!」
目が合うと、ミーシャはパッと花が咲いたような笑みを浮かべ、私を手招いた。
「もっと早く来てくださると思っていたのですが、遅かったですね。フレディリク兄様が駄々を捏ねたのが目に見えるようですわ」
「まぁ。知っていたの? ……もしかして、ランガーディ殿下のニヤリ顔も……あぁ、なんてこと。こうなると、分かっていたのね? 知らなかったのは私だけだったのね」
「だって、先に言ってしまったらつまらないでしょう? 一生懸命、叔父様と計画を立てたのだから許してほしいわ」
「計画? ……では、サプライズプレゼントって、このことだったのね?」
「んー……違いますわ。サプライズは、これからです。プレゼントを受け取っても、受け取らなくてもいいとお伝えしたかったのです」
受け取っても受け取らなくてもいいものとは……全く意味が分からず首を捻る。
するとミーシャは、そんな私の腕を引き、これからが本当のプレゼントだと言って、私を庭園脇の貴賓室へと背を押した。
パタンと締められた扉の音で振り返る。どういうわけか、ミーシャの姿はない。
「もしかして、ランガーディ殿下が告げた方をミーシャは呼びに行ったのかしら?」
「いいえ。もう来ていますよ」
「え? どちらにでしょうか?」
「ここに……」
そう言って、騎士様は仮面を外し、オールバックにしていた金色の髪を手でかき分けると、私をじっと見る。その蜂蜜色の瞳に、心臓が早鐘を打つ。
……まさかそんな―――
……いいえ、彼は漆黒の髪色だったもの
こんな日に、神様に悪戯されるだなんて――。
私が子供の頃。祖父母が住んでいるダートン領には、療養を目的として預かっていた男の子がいた。
彼の名前はヴァジアッシュ。6歳のときに祖父母の下へやってきた。
心を閉ざしてしまった彼の良き友になれるようにと、私が彼と年齢が変わらないことから祖父母に領に呼ばれた。
初めて見た彼はとても痩せていて、いつも何かに怯えたようにビクビクしていた。
そんな彼だったが、ダートン領で過ごす時間が増えると、少しずつ心が和らいだのだろう。日が経つにつれ、怯える様子もなくなっていった。
食事も少しずつ食べることができるようになると、痩けていた顔とガリガリだった体型もだんだん普通になり、暗かった顔は良く笑うようになった。
体を普通に動かせるようになり、近くの畑や小川に彼と2人で遊びに行けるようにもなった。
でも、初対面の大人には、いつまでも怯えを見せていた。私が隣にいれば大丈夫だと言って、どうにか平静を装っていた。
それからは、家庭教師の先生が邸で勉強を教えてくれるようになり、たくさんのことを一緒に学んだ。
二人でいる時間は楽しく、いつの間にかそれが当たり前になった頃。彼の漆黒のような艶のある黒髪は、陽射しを浴びると薄っすらと金色に輝き美しく、切れ長の蜂蜜色の瞳が細められると、私の心臓がバクバクと音を立てるようになった。
彼が優しく手を握る。彼が柔らかに微笑む。彼が静かに言葉を紡ぐ。
私は彼に恋をした――。
そして、ヴァジアッシュと両想いだと知った日は、私の誕生日より大事な記念日となった。
「アリア。大好きだよ」
彼は私の気も知らず、笑顔でサラリと好きだと言ってきた。彼の口から出てきた言葉に、私は意識を保つのがいっぱいいっぱい。とても嬉しい。でも――。
「ヴァジアッシュ。……私も大好きよ」
嬉しいけど、友達としての言葉は胸にチクリと針が刺さったかのように悲しい気持ちになった。
苦笑いを隠すように横を向くと、私の様子に照れてると揶揄われた。
……照れるに決まってる。……が、苦しい想いもある。ヴァジアッシュには、分からないだろけど。
彼にとって、揶揄うくらいの大した事のない「大好き」と言う言葉。
彼とは違い、私は勇気を出して発した言葉だった。
気落ちするのと気不味さに俯くと、彼は下を向いている私をふわりと抱きしめた。
「じゃあ、両想いだな」
「……え?」
「だろ!」
出会った頃の私より低かった身長は、いつの間にか私を抜かしていた。
驚いて彼を見上げれば、私を見下ろし柔らかに微笑む彼の真っ赤な顔。
そんな彼に、私は何度も大好きだと言って涙が枯れるまで泣き続けた。
両想いとなって1年の月日が過ぎた頃のこと。突然、ヴァジアッシュは家に帰ることになった。というのも、彼の母親が事故に遭ったという報せが届いたからだ。
急な報せに、彼は驚きと悲しみの二つの表情を見せ、私に告げた。
「アリア。ずっと大好きでいてもいい?」
「ヴァジアッシュ? 戻ってくるわよね?」
「……分からない。実は、ダートン領にこれたのも、母上が無理して逃がしてくれたようなものなんだ」
「……逃がす? って、何から?」
「今はまだ詳しく話すことは出来ない。でも、約束する。ずっとアリアを好きでいる。大人になったら必ず話すから」
「必ず、必ず戻って来るって約束してくれなきゃ、手を離さないわ」
「ああ、アリアのもとに戻ってくるよ。好きになってくれてありがとう」
子供だった私は、彼とずっと一緒に過ごしていけると思っていた。一緒に喜び、一緒に哀しみ、一緒に大人になっていくのだと、そう思っていたのだ。
――でも、彼はいなくなった。
それからは、ヴァジアッシュの行き先を祖父母や両親に尋ねる日々が続いた。何度聞いても、彼の家や行き先を教えてはくれなかった。
そして、私がヴァジアッシュのことを口に出さなくなってから一年と経たずに、父は気を緩めてしまったのだろう。彼のことをポツリと告げたのだ。
『ヴァジアッシュは、二度と会うことができない、遠いところへと行ってしまった』と――。
口にしなくなったのは、諦めたからではない。両親に尋ねても無駄だと思ったからだ。教えてくれないのなら、時間がかかっても自力で探し出そうと、考え方を変えただけ。
今思えば、二度と会えないと分かっていても、尋常では無いくらいにヴァジアッシュに執着していたのは確かだ。
だからといって、今も想いは変わらずで、親善大使として他国に行っていたときも、彼を探し続けていたのだ。
私の瞳に映る彼の蜂蜜色の瞳に、懐かしい過去が思い出されと、私の視界には歪んだ騎士様の姿しか見えなくなった。
「王弟殿下がおっしゃっていたのは、私のことです」
「……騎士様だったのですね。それならば、話が早いですわ。申し訳ございません」
「それは、私ではアリア様に相応しくないということでしょうか」
「急なことでしたから。……ごめんなさい。わたくしは、これで失礼させていただきますわ」
その場から一刻も早く立ち去ろうと、ソファーから立ち上がり深くお辞儀をする。
次に、頭を下げた私の頭上から聞こえてきた言葉に、私は頭を上げることができなくなった。
「お帰りとは言ってくれないのか? アリアが、必ず戻ってこいと俺に約束させたんだろう?」
「……えっ?」
「だから俺は諦めなかった。必ずフレディリクからアリアを奪い返すつもりで、今日という日を迎えた。……もう俺を大好きだと言ってはくれないの?」
時が止まった。頭を下げている私の目に映るのは、高級な絨毯。……そこに、彼のブーツの先が視界に入ってきた。
――ヴァジアッシュとした約束
……目の前に立つ彼が?
……彼は戻ってきてくれたの?
そう思うと顔を上げ、彼の胸を何度も叩いた。
「アリア。遅くなってごめん」
「……遅いわよ! ずっと遠くに行ってしまって、二度と会えないって……なのに……生きていたなら手紙ぐらい寄越しなさいよ!」
「ごめんな」
「こんなの……ずるいわよ……」
「どうしても、アリアだけは諦められなかったんだ」
「ずっと、ずっと待ってたんだから―――」
彼を叩く私の背に優しく腕が回され、顔が彼の胸にピタリとくっつく。涙と鼻水でぐじゃぐじゃの顔が騎士服に押し当たるが汚れるのも気にせず、私はギュッと彼にしがみついた。
もう何があっても、彼を離したくないから。
ヴァジアッシュは私を抱えたままソファーに座ると、涙が止まらない私の頭を撫で続けた。大人になったら必ず話すと言った、出会う前からの彼自身の話をしながら。
「俺は、死んだとされている第二王子のアーヴァルツなんだ」
彼は長い年月を病床に伏して若くして亡くなったと言われている、我が国ワイナー国の第三王妃殿下のお子、第二王子アーヴァルツ殿下だった。
フレディリク様と彼の生まれた日は、ひと月も変わらなかったと聞いたことがある。
王妃陛下のお子が、ミーシャレン王女殿下、それと今年5歳になる第三王子のレジスターン殿下である。
「第二王妃殿下が、母上と俺を廃除しようとしたことが始まりだった」
彼は、母親は病気だと聞いていた。そのため、衰弱していく母親の姿を見守るしかできずに日々を過ごしていたという。でも、本当は病気ではなかった。医師が遅効性の毒の症状だと気づいたときには、既に起き上がることが困難になっていたのだとか。
そして、衰弱していたのは母親だけではなかった。医師は、彼が以前に比べて痩せていく姿を不審に思い診察した。すると、彼もまた毒を盛られていたのだ。
その様子に、第三王妃殿下と学友だったランガーディ殿下が両陛下に口添えしたことで、実家のクレンチス伯爵家へ療養として戻ることになったのだとか。
しかし、それだけでは終わらなかった。
第三王妃殿下の実家であるクレンチス伯爵家にも第二王妃殿下の魔の手は伸びていた。
実家で飲んでいた解毒剤もまた、調べてみれば毒だったのだ。
ランガーディ殿下が見舞いに訪れた際に、第三王妃殿下が彼のことを伯爵家から連れ出してほしいと頼んだ。
そして、ランガーディ殿下が王妃陛下に進言したことにより内々に彼をダートン侯爵に託した。そうして、彼は我が領で私と出会ったのだという。
当時、彼が伯爵家から離れた際に第二王妃殿下の息のかかった第三王妃殿下付きの侍女が姿を消した。そのため、第二王妃殿下を裁くことができなくなった。
月日が経ち、第三王妃殿下がお亡くなりになるときに、彼が私の前から去っていったのだ。
両陛下はクレンチス伯爵の意向により、第三王妃殿下が亡くなったときに、第二王子のアーヴァルツ殿下も馬車に同乗していた事故死とし、彼も一緒に死んだものとした。跡取りがいなかったクレンチス伯爵家に髪を漆黒に染めた彼を養子として迎えるために。
そうして、クレンチス伯爵の養子となった彼は姿を変えたまま、ランガーディ殿下の保護の元で、騎士団に入隊したのだという。
「いつ、どこからバレるか分からないため、連絡をとることができなかった。それなのに――」
その後で、彼が亡くなる直前まで、我が領にいたことが第二王妃殿下の耳に入ったようだ。彼女は、王妃陛下を敵に回さないためと牽制のために、私とフレディリク様の婚約を国王陛下に願い出たのだろうということだ。
「もとは、国王が第三王妃を寵愛していたために、第二王妃が嫉妬したことが始まりだった」
驚くことに、第二王妃殿下が嫉妬に狂っていたことを、当時から国王陛下は知っていたということだ。ランガーディ殿下が何度も現状を進言したところで、国王陛下は調べることすらせずにいた。妃のことは、妃たちの問題だからと……。
それならばと、王妃陛下が行動を起こされ、行方が分からなかった侍女が最近になってやっと見つかった。そこからは、毒を処方した王宮医師もすぐに分かり証拠が次々と出てきたのだという。
「アリアが1年間国にいない間に、全てが明らかになったんだ。そして、今夜の舞踏会のあとにランガーディ殿下が国王陛下と第二王妃殿下を給弾することになっている。王妃陛下が沙汰を下すことになる」
ヴァジアッシュの話が終わると、私たちは第三王妃殿下の眠る場所へとやってきた。
彼女が好きだったというユリの花束を彼が墓石の前に置くと、私の腰を手繰り寄せた。
「母上。アリアを……やっと連れてくることができたよ」
「お義母様。彼と出会わせて下さりありがとうございました。これからは、私が彼を一生守っていきます」
月明かりの下、二人を祝福しているかのように白い花びらが微かに揺れ、緩やかな夜風がユリの花の香りを運び頬を撫でた。
ヴァジアッシュと手を繋ぎ夜道を歩く。
以前から変わらない、手から伝わる彼の温かさが胸を弾ませる。
「……さっき、俺の申し出を断ったくせに」
「申し出なんて、聞いてません」
「おかえりって、まだ言われてないし」
「ただいまって、言ってないじゃない」
「俺のこと、大好きなくせに」
「私のこと、大好きなくせに」
「じゃあ、両想いだな」
「じゃあ、もう離れられないわね」
「もう、一生離れないよ」
「あら、一生離さないわよ」
「それなら……」
「…………」
「……」
まるで途切れていた時間などなかったかのように、二人の静止していた時が音を立てて動きはじめた。
―――――――――――――――――――――
【その後のお話】
フレディリク様は臣籍降下し、王宮にその影を見ることはなくなった。
エトワール様は、隣国の侯爵家に後妻として嫁いだということだ。
そして、第三王子のレジスターン殿下が国王として即位できるようになるまで、ランガーディ陛下がその地位を引き継いでいる。
王宮では―――
「こらー! 言う事聞きなさい!」
走り回る子供たちの傍らに、
息を切らせ肩を上下に揺らしながら
子守をするミーシャレン王女が――。
「ミーチャ、おもちろいかお」
「ミーチャ、おかちいかお」
褒められたと思い、
にんまり微笑む子供たちが――。
「あなたたち、本当にヴァジアッシュ兄様とアリアお姉様にそっくりだわ」
「ミーシャ、子供には優しく接しなきゃ……」
「ちちうえ、かっこいい。ぼくもおんなじ」
「かーたま、かわいい。わたちとおなじよ」
「そうだね。二人とも伯爵夫妻に似て、美男美女でとっても可愛いよ」
ミーシャレン王女とその婚約者様が、
クレンチス伯爵家の双子を庭園で
遊ばせている姿が――。
……たまに見られるのだとか。
誤字脱字がありましたら
申し訳ございません。




