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呪いと猫の後宮夜話〜月夜のまじない妃と眠れない皇帝〜  作者: 高井うしお


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第53話

 紅月は力を振り絞り、玄牙の元に駆け寄ると、しがみついた。それしかもう紅月には出来なかった。


「玄牙……!」


 玄牙との繋がりの象徴であるその名を呼ぶ。だが、明珠は紅月の髪を掴み、引き剥がすと彼女を蹴り飛ばした。


「みっともないわ。ほら、あなた。これを食べなさい」


 明珠は手に巻き付く猫鬼を玄牙の口元に持って行く。玄牙はとうとう人型をとっていられなくなり、大猫へと変化した。


『ぐあああ!』


 そしてぺろりとその猫鬼を頭から丸呑みする。


「玄牙!」


 紅月は悲鳴を上げた。ああ、堪えることが出来なかった。玄牙は明珠の傀儡として、すぐにでも襲ってくるだろう。紅月はすぐに後ずさり、凌雲の上に覆い被さる。かくなる上は、凌雲だけでも、生きて返さねばならない。


「万一女精が万千の鬼を殺し、太一九九気が邪神を収め、鬼は死に、神は至れ。道は無極を求める。叱叱」


 呪文を唱える紅月を、明珠はあざ笑う。


「例え、あなたの祓があっても、目の前にいるものを逃すはずがない」


 明珠の言葉を裏付けるように、玄牙は一歩一歩、紅月の呪文を弾きながら近づいてくる。途端、生暖かい息が、紅月の頬に当たる。


「玄牙……」


 玄牙がもうすぐそこで、紅月と凌雲の喉笛をかみちぎらんとしていた。恐ろしく尖った牙が、鋭い爪が、紅月のすぐ側にある。だが、玄牙はすぐには襲ってこなかった。


「何しているの! 殺しなさい! 殺して‼」


 明珠の命令は苛立ちから悲鳴のようになっている。


「玄牙……?」


『ちくしょう……いいなりになってたまるか……』


 ここまで来て、玄牙は抗っているようだった。紅月はそれを感じ取って、そっと玄牙の顔に手を伸ばす。


「ありがとう……玄牙……」


『紅月よ。俺の名を三度繋げて叫べ』


 その声は苦しげであった。


「どうして……?」


『そうすれば俺は死ぬ。この中の猫鬼共々滅べばあの女は無力だ』


 玄牙は己の死を望んだ。人殺しの為に同族と共食いさせられ、化け物としてこの世に生み出され、そして紅月を守ろうとして死ぬのか。


「無理よ……できない」


『やれ。お前にしかできない。俺ももう意識を保てない……!』


「嫌よ! 私があんたを幸せにするんだから!」


 紅月は玄牙の首にしがみついた。黄金の目と紅月の目が合う。


「太一が私に万鬼を殺させる。鬼は去り、神は至れ。急急」


 紅月は呪文を唱え終え、ぎゅっと目を瞑った。すると、何か暖かい風がふっと紅月の頬を掠めた気がして、彼女は目を開く。


「これ……」


 まばゆい光が、紅月の胸元で輝いている。それは、父に渡された母の形見の翡翠のお守りであった。光はより明るく、輝く。紅月は胸元からお守りを外すと、玄牙の口に放り込んだ。


『玄牙。帰って来て。自由になって幸せに暮らしましょう……』


 囁くように言うと、玄牙は目を瞑り、人型へと戻っていく。紅月は息を飲んでその様子を見守っていた。


『……まったく乱暴だな』


 目を開けた玄牙の目は理知的な輝きを取り戻していた。


「玄牙……!」


 紅月は涙が止まらなかった。後から後から溢れる涙に視界を奪われ、紅月はその場に蹲る。


「紅月……どうしたのだ。何が起きているのだ」


 すぐ側で凌雲の声がした。紅月は目元を拭い、凌雲を見る。


「玄牙が、蠱師の呪縛に打ち勝ちました。私たちを守ろうとしてくれました」


「なんと……」


 凌雲は見えない玄牙を見ようとして目をこらし、頭を下げた。


『さて、あの女はどうする。殺すか』


 自我を取り戻した玄牙はくるりと後ろを向くと、そう言った。


「駄目。取り調べをしてからよ」


『ならば拘束するぞ』


 玄牙は明珠に近づき、上から見下ろした。


『お前の負けだ』


「そうね……私の負けね」


 明珠はもう抵抗するつもりはないようだった。全てを諦め、穏やかに笑っている。


「皇帝陛下。ひとつだけお願いが。私の亡骸は辱めずに故郷に葬ってください」


「皇后……?」


 凌雲が異変を感じたそのすぐ後のことだった。明珠は突然吐血した。


「毒を飲んだな!」


 紅月と凌雲はすぐに明珠の元に駆けつけたが、明珠の息はもう無かった。


「指輪に……毒を仕込んでいたようです」


 明珠の指には蓋の開いた指輪がはまっていた。


「なんと……しかし……こうするしかなかったのか」


 明珠の歪んだ純真さが招いた蠱毒事件は、本人の死によって幕が引かれた。




 凌雲は亡骸を辱めて欲しくない、という明珠の願いを聞いた。かつての許嫁を忘れるほどの良き夫とはなれなかった、せめてもの償いである。よって、明珠の死は突然の病とされた。盛大な葬儀が行われ、後宮は彼女の死を悼んだ。




 ――そして、その頃。明珠の故郷で一人の男が滝から身を投げて死んだ。



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