第50話
紅月は朝日の中、目覚めた。起きてさっそくしたのは凌雲の寝ている横顔を見つめることだった。鼻が高い。いずれ髭を蓄えたりするのだろうか。それも似合うだろう。紅月は満ち足りた気持ちで眺めていた。
「ん……」
紅月の心の声が聞こえたかは分からないが、凌雲が目を覚ました。
「紅月」
起きてすぐ、凌雲は紅月を抱き締める。
「ずっとこうしていたい」
「……いけませんよ。私が悪いお妃になってしまいます」
きゅっと彼の鼻をつまむと、凌雲は笑い出した。
「そうだな。歴史書には夏貴妃は立派なお妃であったと書いて貰わねば」
「そうです」
冗談を口にしながら、紅月はこれから先の話を出来る喜びを噛みしめていた。
***
自らの宮殿に帰る足取りも軽い。ただひとつ影を指すのは蠱師の存在だった。それさえなければ完璧な朝だった。
「紅月様、お帰りなさいませ」
出迎えた雪香が、紅月の顔を見て、おやという表情を浮かべる。
「何か良いことがございましたか」
「……まあね」
紅月は照れくさかった。事情を話していない雪香がこのような反応をするということは、自分はどんな顔をしているのだろうとも思った。
(……しばらく皇太后様には会いたくないわ。どんな顔をしたらいいかわからない)
紅月は精一杯、平静を保ちつつ、雪香に何か変わりはないかと尋ねた。
「はい、文を預かっているのですが……」
雪香の表情には戸惑いがある。文を受け取って、差出人を見て紅月は納得した。
「皇后陛下から……?」
自分にかまうなとまで言った彼女が何の用なのだろうか。皇太后の仮の宮殿で出会った時の不躾な態度も、紅月は気になっていた。
「お茶のお誘いよ」
「お出かけになるのですか……?」
皇帝から省みられない皇后から呼び出しとあって、雪香も微妙な顔をしている。
「目上からの誘いだもの……行かなくちゃ」
紅月は伺う旨を返事をした。
「お招きいただきありがとうございます。皇后陛下」
「よく来てくださいました」
皇后の茶会に呼ばれたのは紅月だけのようだった。
紅月が現れると、皇后、明珠は嬉しそうな顔をして、丁寧に礼を述べる。そこには、あのわがままな人形のような様子はなかった。
「座って。この間はごめんなさいね」
「いえ……」
茶と菓子が運ばれてくる。明珠は美味しそうにそれを口にする。
「夏貴妃もどうぞ?」
「はい……」
紅月は一口お茶に口を付けた。
「あの……どうして私を呼んだのでしょう」
「叔母様からあなたの話を聞いて、一度、お話をしてみたいと思ったの。あなた、面白いのね」
そう言って明珠は鈴のような笑い声を上げた。
「勇敢に蠱毒に立ち向かったとか。お祓いの術が使えるのよね?」
「私が得意なのは占いとちょっとしたまじないで……それほどの術は使えません。母が元女道士でして、母より習いました」
「まあ、本当に面白い!」
明珠は手を叩いて喜んでいる。紅月はまるで自分が珍獣になったかのような居心地の悪さを感じた。
「私も占って貰おうかしら?」
「今日は道具を持って来てませんので」
「まあ、残念」
明珠が肩をすくめる。
「まあいいわ。それより色々聞きたいことがあるの。皇帝陛下とはどうやって出会ったのかしら。天穹殿の池に落ちたっていうのは本当?」
「ええ……陛下はお優しい方なので、私を気遣ってくださいました」
紅月は表向きの理由を述べた。
「それからほとんど毎晩一緒にいるのね?」
「ええ。……陛下にご興味が湧きましたか?」
紅月は精一杯の皮肉を口にした。
「そうねぇ。どうやってそんなに気に入られたかは気になるわ。だって、池に落ちただけでそんなに寵愛するなんておかしいもの。あなた、とても普通だし」
どうやって答えたものか。紅月は頭が痛くなってきた。




