第45話
「玄牙―っ!」
もうもうと上がる埃がようやく落ち着いた頃、紅月は割れた瓦を踏みしめてようやく崩れ落ちた宮殿に近づいた。
「あっ」
割れた木材に足を取られ、転びながら紅月は玄牙を呼んだ。死ぬわけない。死ぬわけない。だって玄牙はあやかしだもの。そう思いながら、梁をどかし、瓦をかき分けて紅月は玄牙を探した。
「……痛っ」
紅月の手に木のとげが突き刺さった。
「玄牙……」
『はいよ』
紅月は振り返った。そこには見慣れた褐色の肌の男が佇んでた。
『危ないぞ』
玄牙がいつものように呆れたように言って、紅月の目には涙が溢れた。
「良かった……!」
足場の悪い瓦礫の上で、よろよろと立ち上がり紅月は玄牙に抱きついた。
ちゃんといる、と紅月はその存在を確かめて、ぐっと腕に力をこめる。
玄牙は肩を震わせる紅月の背に触れようとして、やめた。
『紅月、こっちに来い』
「玄牙……?」
『あの宦官のところだ』
紅月はハッとして、玄牙の後をついていった。
玄牙が進んでいったのは、広間の中央だったところだ。特に損傷が激しく、華やかな装飾は塵となり、瓦礫に埋まっている。
「白瑛!」
『あっちだ』
玄牙が指さした方向を見ると、白瑛が瓦礫の隙間で横たわっているのが見える。紅月は、転がり落ちるようにしてそこに向かった。
「大丈夫⁉」
白瑛は大きな梁に足を挟まれ、動けないようであった。紅月が声をかけると、白い顔を向けて、まぶたが震える。ゆっくりを目を開けて、そこに紅月を認めると、白瑛はうっすらと笑った。
「紅月様、ここでお別れです」
「何言ってんの!」
白瑛は微笑みながら、自分の腹部を指さした。そこはえぐれたようにぽっかりと開いており、白瑛が話しているのが不思議なほどだった。
「私は敗れて、呪いを返されました。ここで終わりです。でも……」
白瑛が咳き込み、血を吐いた。彼の息は荒くなり、もう意識も朦朧としているようだ。
「私は後悔はありません。今も……皇太后なぞ……後宮なぞ……滅びてしまえと思っている」
「白瑛……きっとあなたの死を悲しむ者もいるでしょうに」
白瑛の目はもうどこも映していない。でも見えない何かを探るように一瞬泳いで、微笑んだ。
「いる……かもしれませんね」
そう言って白瑛は動かなくなった。
「白瑛!」
もう白瑛は返事をすることはない。どの道、皇太后への殺害を企てた時点で彼には死しか残っていなかった。前に進むしかなかった。だが、それでも、何とか救う手立てはなかったのだろうか、と紅月は悔やんだ。涙を流し、袖を破って血に塗れた彼の顔を拭ってやる。
白瑛の死に顔は穏やかであった。全ての苦しみから逃れ、柔らかな笑みさえ湛えている。これから後、白瑛の遺骸は大罪人として扱われるだろう。それならば、今だけは綺麗にしてやろうと紅月は懸命にその顔を綺麗にした。
***
「皇太后様はすぐに治療を受け、命に別状はないとのことです。崩れた宮殿は今、撤去の作業を急がせております。当面は別の宮殿にお住みいただきます」
王安が、凌雲にこの度の蠱毒事件について報告をしていた。
「白瑛が蠱師であったことは、複数人から証言が取れました。燕禹の拘束は近いうちに解かれ、白瑛の首は城外に晒されることになるかと」
「……分かった」
凌雲の声は暗かった。
「紅月はどうだ。その場にいたのであろう」
「はい。皇太后様の一番お近くにいましたので、当時の状況を証言してくださいました。その後はご自分の宮でお休みになっております」
「そうか。しばらくは紅月をそっとしておこう」
「それがよろしいかと」
そう報告を終えると、王安は立ち上がり、執務室を出た。主殿の長い廊下を、言葉もなく進む。
「私はここで。お前たちは仕事に戻れ」
王安は部下たちにそう言い、廊下を曲がり、使っていない部屋へと入った。
「……う……うう……」
王安は膝から崩れ落ち、顔を覆った。その隙間からぽたぽたと涙が溢れ、王安の膝を濡らす。
「白瑛……何も分かってやれなかった……何もしてやれなかった……」
声を押し殺し、許されない涙を、王安は人知れず流した。




