第41話
「お前のお陰で中央の官職を戴くことができた。国の要である外交に携わるという重要な仕事はやりがいがあるよ」
「それはようございました。義母上たちはどうしているのですか?」
「麗珍たちも帝都に呼んである。華やかな都に浮かれて少々散財が目立つが、義父殿と離れて告げ口も出来なくなったので私が気が楽になった。そうそう……星雨にも縁談がいくつか来てな。帝の寵姫と縁続きになろうという気持ちなのだろうが、星雨も都の貴公子ならばとまんざらでもなさそうなのだ」
天明は全て紅月のお陰で上手くいっている、と深々と頭を下げた。
「週に何度か屋敷に帰ると、皆笑顔で出迎えてくれる。一家団欒とはこういうことかと。が、そこに紅月がいれば……そう思ってしまう。お前を追い出したのは私たちなのに……」
「お止めください。お父様の役に立つことがあればいいと思って後宮を選んだのは私です」
紅月は父の背を撫で、ふうと息を吐いた。
「お父様、実は……」
どうせ夢だと思うのなら、と紅月はこれまでのことを全部話してしまおうと思った。
「お父様、途方のない話ですが……」
紅月はある夜、猫の蠱毒「猫鬼」が皇帝の寝所を襲うところに出くわしたこと、それを祓う過程で自身が猫に変身してしまったことを話した。
「それは……確かに……しかしお前は翠玲の子だからな……」
「ふふ、そうですね。でも猫になったおかげで皇帝陛下の側にいられることになったのです」
天明がきょとんとした顔をしたのを見て、紅月は可笑しくなった。
「可笑しいですよね。猫と寝たらぐっすり眠れたって言って、私を誰も入れなかった天穹殿に呼んだんですよ」
思えばなんて変わった皇帝だろう。でも、そんな風になるくらいに、あの時の凌雲は精神的に追い詰められていたのだと思う。そこに現れたのが紅月だったのだ。
「私は何か役に立ちたくて、猫鬼を放ち皇帝陛下のお命を狙った蠱師を探そうとしました」
「あ、あの捕らえられた蠱師というのは……」
「ええ、私が追っていた蠱師です。これで陛下の命は守られた。一件落着……のはずなのに。私、まだ後宮で呪いの気配があると知って、少し嬉しくなってしまったんです」
そこまで言うと、紅月の目からは耐えきれず涙がこぼれ落ちた。
「ま……また陛下のお役に立てると。それまでは私は捨てれないって……思って」
醜い自分を知りたくなかった。誰かに執着して、みっともなく心が揺れて、本当は皇后のことを気遣ったりなどしたくなかった。そんな思いが溢れて、紅月は声を詰まらせた。
「紅月。それは恋だよ。恋をした人間はそんなものだ」
そんな紅月の涙を拭いながら、天明は優しく語りかけた。
「私も翠玲と出会った時、周りの人間を不幸にすると分かりながら、己を止められなかった。だがね、あそこで翠玲の手を離してしまったら、もう私は私ではなくなっていたと思う。だからね、紅月はありのままでいなさい。沢山の妃が陛下のお側にいても、お前は自分の気持ちを押し殺すことはない」
「そう……でしょうか。でも、そうして陛下が私の元を去ってしまったらどうしたらいいのでしょう」
紅月が本当に怖いのはそれであった。凌雲に口づけされた時、喜びよりも恐れが勝って、猫になって逃げた。このまま本当の男女の関係になって、忘れられなくなるのが怖い。今でさえ、凌雲の心が離れるのが怖いというのに、これ以上となったらどうかなりそうだった。
「紅月。常に陛下には真心を差し上げなさい。偽りはよしなさい。もしあの時こうしていたら、と思うことがあったら後悔する。真に愛して、それが実らなくても、紅月がそうしていたら、その時はつらいだろうが、思い出になるよ」
天明の言葉は紅月の心に染み入るようだった。また溢れ出る紅月の涙を天明は袖で拭い、小さな子にするようにその背をさすった。
「お父様ありがとうございます。自分がするべきことがわかったような気がします」
そうか、と天明は頷き、席から立ち上がった。
「これを持っておいき」
天明が差し出したのは翡翠のお守りである。たしか母がいつも身につけていたものだ。
「翠玲の形見に持っていたのだが、これはお前が持っているべきだ。私よりも多くの困難があるだろうからね」
紅月がそれを受け取ると、天明は床に崩れ落ちた。
「お父様!」
『……眠っているだけだ。紅月、じきに皇帝が目を覚ます。戻るぞ』
「え……ええ」
紅月は父の顔を目に焼き付けるように見つめた後、その場を離れ、天穹殿へと戻った。




