3日目 デリー
時差ぼけのせいで早起きしてしまった。ホテルのレストランで朝食を食べる。欧米式のブレッド&バターと紅茶、ジュースはマンゴーを頼んだ。マンゴージュースを初めて飲んだけど、味が濃かった。
部屋に戻ると、電話がかかってきた。英語で完全には聞き取れなかったが、「チェックアウトの手続きがあるから、宿泊チケットを持ってロビーまで来てくれないか?」というような内容だった。何か変だな、と思いながらも、ロビーまで降りていくと、男がいて、チケットを見せると「OK」と言われた。部屋に戻ると、また電話がかかってきた。「旅行の案内をするからロビーまで下りてきて」とのこと。
僕はこれらの電話はホテルのフロントからかかってきたのだと思っていたが、そうではないことに後から気づいた。男は「ホテルの外に来い」と言い、僕をホテルのすぐ近くのオフィスへ連れていく。「インドではどこを廻るつもりなのか?」と聞かれ、「アーグラとヴァーラーナシーへ行くつもりで、一週間の滞在。鉄道で行くつもり」と言うと、「インドはとても広い国で、そんな短い期間ではとても旅行は無理だ。飛行機を手配してあげようか?」と言われた。「いくら?」と聞くと、「三百ドル(約三万六千円)」と言われた。「高い!飛行機は無理!」と言うと、「じゃあ、鉄道で二百五十ドルではどうだ?」と言ってくる。
僕はだんだん何かおかしいと感じてきた。すると、男は『地球の歩き方』を取り出して、「これに載っている旅行会社がうちだよ、だから信頼しな」と言ってきた。後から確かめてみたら、名前こそ一緒だが住所が全く違っていた。要するに優良旅行代理店を騙った悪徳旅行代理店なのである。そして、日本人観光客の書いたプリクラ付きのメモを見せてくれた。日本語で「個々の旅行代理店は最高でした。おかげで素晴らしい旅ができました。ありがとう!」と書いてある。これって、何かのガイドブックに書いてあった悪徳商法と同じ手口だと思い、僕は「ノー!」と言い放ち、ホテルの自室へ戻った。
僕はニューデリーの中心地へ行きたかった。すると、また電話がかかってきて、「コンノートプレイスまで十ルピーで乗せてってあげようか」と言われた。さっきの電話の件があったので、おかしいとは思ったけれど、相手がしつこいので、乗せてってもらうことにした。タクシーに乗ってしばらく経つと、「ITDCへ連れてってあげようか?」と言われた。ITDCというのは政府公認の旅行代理店で、『地球の歩き方』にも載っている。相手があまりにもITDCとうるさいので、僕も鉄道のチケットなどはITDCで取るものなのかな?と思い込まされてしまった。『地球の歩き方』に載っていたアーグラへの日帰りツアーを申し込みたかったのもあった。しかし、連れていかれた場所は汚い路地にあるオンボロの建物。政府公認のITDCがこんなに汚いわけがない!と思い、僕はタクシーを降りて逃げ出した。
道はさっぱりわからなかったけれど、近くに大きな建物が並んでいる場所が見えたので、そちらの方向へ歩いたところ、そこはコンノートプレイスだった。話しかけてくるインド人たちを適当にかわし、コンパスと地図を見ながら、本物のITDCに到着した。ITDCはきれいだけど小さなオフィスで、中にはインド人の職員が一人座っていた。「アーグラへの日帰りツアーはありますか?」と聞くと「もうないよ」と言われた。
仕方がないので『地球の歩き方』に書いてあったニューデリー駅にある外国人専用鉄道予約オフィス(International Tourist Bureau)でチケットを買おうと思い、ニューデリー駅を目指すことにした。しかし方向音痴な僕はどっちへ行けばいいかがよくわからない。まだ時間が早いのでほとんどの店は閉まっていた。コンノートプレイスを歩いていると「日本人?」「ITDCへ連れて行ってあげようか?」などと、次々と客引きに声を掛けられた。
何とかニューデリー駅へ向かう道を見つけ、歩いていると、汚い水たまりがあって、異様な臭いが漂い、吐きそうになった。コンノートプレイスからニューデリー駅までは一、二キロ。すると、オートリクシャ(インドで一般的な三輪自動車のタクシー)が横に止まり、「ニューデリー駅まで一ルピーで連れて行ってやる」と言われた。まだインド旅行に不慣れな自分は安いと思い、オートリクシャに乗り込んだ。すると、まるっきり反対の方角へ走り出した。「おかしいじゃないか!」と僕が言うと、「こっちがニューデリー駅だ」と、どんどん進む。結局、彼らも悪徳旅行代理店へと僕を連れて行こうとしているのだった。「ただニューデリー駅へ行きたいんだ」と怒鳴ると、「ここがニューデリー駅だ」と、車がたくさん停まっている場所で降ろされた。
どうやらここはニューデリー駅の裏口らしい。表口へ行こうと思い、階段を上って歩いていると、太ったインド人が「ここから先へ行くにはチケットが必要だ」と大きな声を出し、僕を通らせない。彼についていくと、やはり地図と反対の方向へ行く。「お前は何者だ?駅の職員でないのか?」と僕は言い放ち、再び奥へ進む。今度はもう誰も咎める者はいなかった。僕はあらゆるインド人に騙されまくって、ほとほとうんざりした。また旅の初日なのに、日本に帰りたくなった。
何とか本物の外国人専用鉄道予約オフィスにたどり着いた。そこには日本人がたくさんいた。ホテルで一緒だった黒ぶち眼鏡をかけている日本人もいたので、話しかけた。「やっとここまで着いたよ。どこに並べばいいの?」「あ~、あの書類に記入して、ここに並べばいいみたいだよ」と言われ、書類をもらう。しかし、この書類の書き方がわからない。日本人に聞くと、「あ~、俺たちもわからないから適当に書いたよ」とのこと。僕もわかるところだけ書いて、列に並んだ。
僕の番が来ると、「これではだめだ、ヘルプデスクへ行きなさい」と言われ、ヘルプデスクへ。サリーを着た女性職員が座っていた。カタコトの英語で交渉する。デリーからヴァーラーナシーへは夜行列車しかないらしい。なので、日本で予約したホテルの宿泊代金が一泊分無駄になることになってしまった。それでも、何とかチケットを取ることに成功。支払いはドルでなくルピーでなければいけないらしく、今の持ち金で足りるか不安だったが、鉄道運賃はかなり安くて、十分払えた。ホテルの向かいの旅行代理店で騙されなくてよかった。
日もすっかり高くなって、気温は三十度。ニューデリー駅からコンノートプレイス駅まで歩くことにした。露店で安いコインをお土産用に買った。右手には小汚いメインバザールが見えた。だけどこの時はまだ怖くて入れなかった。後になってみると、コンノートプレイスよりメインバザールの方がよほど安全だと思うようになるのだが。
コンノートプレイスをぶらぶら歩いていると、マクドナルドを発見。確かインドのマクドナルドはチキンとマトンだけなんだよなと思い、おなかも空いていたので入ってみた。値段は高めで、日本で食べるのと変わらないくらいだった。チキンバーガーを食べたけど、スパイスが効いていてインド風の味付けだった。その後、トイレに入ろうとすると、鍵がかかっていて、近くの男に「私たちが先に待っているんだ」と注意された。僕は「すいません」と謝った。
そのうちの一人の男性といろいろ話した。その人はダラムシャーラーから来ているそうで、その人も観光客だという。「インドはどうだ?」と聞いてきたので、「皆が僕をだまそうとしてきて困っている」と言うと、悲しそうな眼をして「そういう時はノーとはっきり言いなさい」と教えてくれた。そして、その男と一緒にコンノートプレイスへ向かった。「これからどこかへ行くの?」と聞かれたので、「エア・インディアへ行くつもりだ」と言うと、「じゃあ連れてってあげるよ」と言って、本物のエア・インディアに連れて行ってくれた。ありがたい。
エア・インディアはインドでは珍しく立派なビルで、僕は無事にリコンファームを済ませた。そのインド人はその間ずっと待っていてくれた。僕はなんでこんなに親切にしてくれるのだろう?とちょっと訝しくなってきた。そのことについて話すと、「私たちはフレンドだよな?」と言ってきた。このフレンドと言う言葉をインド人はすぐに使ってくるのだが、これが曲者で、日本人がこういわれると断りにくいことを知っていて使ってくるのだ。「名刺はないか?」と聞かれたので、僕は名刺をあげた。「将来、私が日本に行く時があったら、今度は私を君が案内してくれ」と言われた。(その時はそんなことあるわけないと思ったが、二十年が経過してインド人が日本を観光するのも当たり前の時代になった。)
僕はホテルへ戻ることにした。オートリクシャを捕まえて、ホテルへ。シャワーを浴びて、持参したMDウォークマンで音楽を聴く。窓から南国の日差しを浴びて、だいぶ気分が良くなった。だいぶ気持ちを持ち直して、ホテルの周りを散策した。近くに仏像屋があって、見入ってしまった。夕食はホテルのレストランで一番高い料理のハーフサイズを頼んだ。カレーにフルーツが入っていて絶妙に混じりあい、めちゃくちゃ美味しかった。明日は朝が早いので早寝をした。