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第5話 地下のファンサ

 どよめきが起こった。

 私がステージに上がると、一瞬の沈黙が生まれ、その後お客さんたちが騒ぎ始めた。


「柊沢ノノカ? ガデフラの!?」

「なんでこんなところに」

「え? マジで? そっくりさんとかじゃなくて?」


 驚いているのは私も同じだ。

 今日はガデフラの衣装ではなく、私服を衣装として使っている。すぐに気付いてもらえるとは思っていなかった。

 私はステージの真ん中まで移動し、客席に向かってお辞儀する。 その時にまず思ったのは、近い! ということ。

 客席がやたらと近い。

 最前列のお客さんがステージに肘を乗せている。

 ステージが狭いこともあり、本当に目の前にお客さんがいる。

 晶ちゃんが「ロングスカートで来て」って言ってたのはこういうことか。ミニだったら絶対に見えてしまう。

 晶ちゃんが私にマイクを渡してくれた。


「みなさんこんにちは、ガーディアン・オブ・フラワーガーデンから来ました“野に咲く自然の花”柊沢ノノカです。今日はよろしくおねがいします」


 客席が信じられないくらい近くてまだ落ち着かないけど、この挨拶は絶対に失敗しない。

 誇張ではなく、毎日百回は練習してるから。


「はい、ということで、わたしたちがスペシャルゲストとして呼んだのは、あの! ガデフラのノノカちゃんです。みんな、驚いてくれたかな?」


 晶ちゃんが客席に問いかけると、拍手と「おどろいたー!」という大きな声が返ってくる。


「いや、うちたちも驚いたよ。晶がガデフラのノノカちゃんを連れてきた時は信じられなかった。どういう経緯でオファーしたの?」


 木漏れ日サンシャインのメンバーの一人が話の流れを作る。


「実は……プライベートでちょっとした交流がありまして。普段はお仕事の話はあんまりしないんですけど、今回は、本当にムリを言って来てもらったんです。ありがとうね、ノノカちゃん」

「ううん、晶ちゃんの頼みだから」


 こういう場面では、とりあえず仲が良いフリをしておけばいい。


「うちたちもさっき楽屋でいろいろお話しさせてもらったんですけど、ノノカさん本当に素晴らしい人で。とっても優しくて、カッコよくて、さすがスーパーアイドルだな、って感動ですよ」


 この人と一言も話してないんだけど。

 というか名前も知らないからうかつなこと言えない。

 適当にあいづち打っておけばいいか。


「それで、どうかな、ノノカちゃん。地下アイドルのステージは。いつもとは全然違うと思うけど」

「距離がとっても近くでびっくり!」

「だよね。やっぱそこは驚くよね。わたしもガデフラのライブ行ったことあるけど、ステージがすっごい遠かったもん。もう豆粒みたいにしか見えないの。ちょっと目を離したら、もう誰がどこにいるのかわかんなくなっちゃうんだもん」


 客席からうなずきが聞こえてくる。


「ここは狭いけどさ、だからこその良いこともあるんだよ。たとえば、こういうことができたりね」


 晶ちゃんがステージの前に行って、そこのお客さんたちとハイタッチ……いや、晶ちゃんは屈んで手は足元にあったのでロータッチ? そのままステージの端から端までタッチしながら移動した。

 ガデフラでは絶対にありえない光景だ。

 というか、木漏れ日サンシャインの衣装は結構なミニスカートだから、そんなに近づいたら中見えない?

 ん、あれ? ……私の位置からもちらっと中が見えたけど、あれって見せパンじゃなくない?

 パンツが見えても話題にならないとか言ってたけど、もしかして意図的に見せることまでステージの内容に入ってる?

 いや、そんなはずない。そんなアイドルいるはずない。私が知らないだけで、ああいうデザインの見せパンがあるに違いない。


「ノノカちゃんもタッチしてみる?」


 やっぱりそういう振りがきたか……。

 こういう時の対応は重要だ。

 安易に乗れば安いと思われる。

 だけど、頑なに断れば、お高くとまっていると思われる。お客さんの中には、地下をバカにしていると感じる人もいるかもしれない。

 一長一短。どっちがマシかの選択だ。

 客席が近くて、表情の小さな変化まで見られてしまうことを考えると、断るのは危険かもしれない。


「じゃあ、やっちゃおうかな」


 小走りでステージ際まで移動し、そこでしゃがむ。そこにいた何人かの手とタッチ。

 本当に近いなぁ……へたしたら握手会より近いんじゃない?


「こっちにも!」

「ののちゃん、俺ともタッチして!」

「ノノカ様!」


 近くにいた一人とタッチしたら、次から次へと手を伸ばされた。

 ちょっと失礼な表現だけど、修学旅行で行った奈良公園の鹿を思い出した。

 その勢いにびっくりしてさっきの立ち位置に戻ってしまったけど、ちょっと気分が良かった。


「どう、ノノカちゃん、これが地下の距離だよ」

「なんか新鮮な感覚」

「せっかくだから、こういう地下文化をもっと経験していこうよ。ってことで、ライブ後の木漏れ日サンシャインのファンサタイム、ノノカちゃんも参戦です! あ、ノノカちゃんはチェキ撮影なしで握手会だけね。でも、抽選を勝ち抜かないと握手できないガデフラのメンバーと、今日はじっくり接触できるチャンスですので、ぜひこの機会に。グッズたくさん買ってね?」


 すると客席から大歓声が起きた。

 でも、私は知ってる。

 お客さんって結構気を遣うんだってこと。

 その気がなくても、その場では「絶対買う!」って堂々と宣言するんだ。

 だから私は信じていない。どうせ握手会では人はそんなに来ない。

 まぁ私もプロだから、そういうのをわかっててふるまうけどね。


「ぜひ握手会でお話ししましょう。地下アイドルのことまだよく知らないので、詳しい方からいろいろ教えてほしいな」


 なんてことを笑顔で言うことだってできる。


「じゃあまだ時間残ってるから、ガデフラの話でも聞いていこうか。ここはカメラないし人も少ないし、お客さんも“わかってる”人ばっかりだから、普段は話せないようなぶっちゃけトークもおねがいできないかな?」

「ぶっちゃけトーク? ……初期黒ユリちゃんとりーりーさんとの不仲の真相とか?」

「え、それ聞いていいの? 普通に気になる。当時はどっちかっていうとプロレス説が有力だったと思うんだけど」

「あれはガチだよ。私、震えてたもん。とんでもない子入ってきちゃった、って。唯一の後輩があんな濃いキャラとか勘弁してくれよ~、って感じだった」


 客席から笑いが起きる。

 好意的な笑い声だ。なるほど、“わかってる”人たちだ。


「じゃあ次も踏み込むけど、ガデフラほどのアイドルだと、テレビ局での仕事たくさんあるでしょ?」

「ありますね。私はたくさんじゃないけど」

「イケメン俳優とかとお知り合いになったりできる? いや、アイドル的にこういうこと言っちゃダメなのはわかってるんだけど、わたしらが言っても生々しくないから別にいいじゃん? そういう人たち会う機会すらないんだから」

「何度か見たことくらいはありますけど、ちゃんとお話したことはないですね。イケメンすぎると緊張してしゃべれなくなるんで」

「えー、もったいない」

「この前仕事じゃなくて、会社の人の結婚式に行ったんですけど、そこで藤城花火さんの身内の方とお話ししたんですよ。みんな顔が良くて困っちゃって。そこで失礼なこと言っちゃったんです。顔良すぎてムリだから、顔面偏差値四十台に落としてくれ、って」

「あはははっ、なにそれ。そのくらいの顔面偏差値だと大丈夫ってこと?」

「四十五前後が一番楽にお話しできますね」

「聞きました、みなさん。みなさんとの握手会ではリラックスしてしゃべってくれるそうですよ?」

「いやいや、晶ちゃんそれ失礼……でも、実際リラックスできそうな方ばっかりで安心できますね」


 すると会場から今日一番の笑いが起きた。

 こんなに近い距離で反応が返ってくるっておもしろい。

 配信だとリアルタイムの反応がないし、大きな会場だと私のトークはすべりがちだ。場の空気を直に感じられるこのくらいの近さで、理解度の高いお客さんを相手に話す方が向いているのかもしれない。


「じゃあノノカちゃんの出番はこれくらいということで」


 えーっ! という声が客席から起きる。

 儀礼的な反応ではない。

 本当に私がいなくなることを残念がっているのだ。

 そっか、ここには他に誰もいない。

 りーりーさんも、黒ユリちゃんも、サクラさんも、姐さんも、ランさんも……だからみんな私を見てくれるんだ。

 思ったより良い場所だな、地下って。


「また後で、握手会でお会いしましょう! では」




 ステージから出て、控室に戻る。

 木漏れ日サンシャインの人たちはいないけれど、他のグループのアイドルたちがいた。


「やっぱり貫禄が違いますね」

「わたしよりずっと年下なのに、すごい堂々としてて感動しました」

「場の空気一人占めって感じで、これが“持ってる人”なんだなって。やっぱ地上のスターは違いますね」


 口々に褒めてくれる。

 別にガデフラで褒められたことがないわけじゃない。むしろ結構褒めてもらってる。

 でも、「よくやってる」的な褒め方で、絶賛というわけではない。

 こんなに褒められたのは初めてかもしれない。

 地下とはいえ、この人たちもアイドルなのに。

 その人たちが私をこんなに認めてくれている。

 ……もしかして、今の私って、みんなから憧れられてる? 昔の私がランさんに憧れて、ああいう風になりたいと思ったみたいに、この人たちも私みたいになりたいと思ってくれてる?

 たしかに今日の私のトークはキレッキレだった。ここまでうまくできることはなかなかない。

 緊張で声が上擦ることもなかった。

 たしかにステージに出る前はそこそこ緊張していたけど、ノノカガチャでSSRが出る時みたいなひどい緊張じゃなかった。もっと弱い緊張のしかたで……なんなら一番失敗しやすい時の緊張だった。

 なのにこんなにうまくできるなんて。

 もしかして、私はすごく成長したんじゃない?

 りーりーさんは常に安定したパフォーマンスを発揮できるようになって、ガチャなんて呼ばれないようにしろって言ってた。

 今の私は、それができてるんじゃない?




 公演終了後、物販が行われ、その横で握手会やチェキ撮影が行われた。

 聞いた話では、地下にいるアイドルたちのギャラはここでの売上次第、というのが一般的らしい。

 チケットをどれだけ売っても会場使用料や衣装代やらに消えていく。手元にお金を残すにはいかにグッズを売るか。

 グッズを売るには、どれだけ握手したいと思ってもらえるか……が重要だそうだ。

 そのため、地下アイドルたちのファンサはすごかった。


 握手ではなく、恋人つなぎをしている人がいる。会場ロビーの長椅子にファンと並んで座って、恋人つなぎでお話ししている。

 チェキ撮影はもっとすごい。腕に抱き着くのは当たり前。お姫様抱っこなんてのもいる。

 いくらなんでも過激すぎない?

 これじゃアイドルじゃなくて……夜の仕事の人みたい。

 でも、盛り上がっているのは事実だ。

 何万円分ものグッズを買っている人も珍しくない。

 ライブよりも、ここでの接触を楽しみにしていそうな人もいる。

 いいのだろうか?


 私は普通に握手会をしていいのだろうか?

 それで地下のファンサになれた人たちを満足させてあげられるのだろうか?

 ……私はガデフラだ。

 ここのアイドルたちでさえ憧れるすごいアイドルグループの一員だ。

 ファンサでもここの人たちに負けてはいけない。

 ただの握手なんかじゃダメだ。


「今日は来てくれてありがとう。今度はガデフラのライブにも来てね」


 そう言って、右手で握手をしながら、左手でその人の頭をなでる。

 その人はまったく予想外だったようで、最初はポカンとしていた。

 でも、すぐに大きくうなずいた。


「これからはノノカ様単推しでいきます」

「ありがとう。じゃあ、私に推し変したあなたの名前を教えてもらえる?」


 他のお客さんにも同じように頭をなでて、名前を聞いた。

 人数が多くなると覚えられないから、握手が終わるたびに聞いた名前をメモしていった。

 なんかそれが好評だったらしくて、私の列はいつまでも途絶えなかった。




 こんなにみんなが私を褒めてくれて、認めてくれて、求めてくれる場所があったなんて。

 私……今日が一番“アイドル”やってるかもしれない。

 地下って、いいな……。

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― 新着の感想 ―
いつも楽しみに読ませて戴いております。 客席からうな「づ」きが聞こえてくる。 →漢字だと 項突く が元だそうですが、まとめて一言だと うなずく で「ず」になるそうです。何ででしょうね。
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