第23話 再起☆
「どうだ? 少しは気分が楽になったか?」
先輩が優しく微笑む。
「はい。……実は、アイドルを辞めようかとも考えていたんですが、そんな気はなくなりました。まだあたしのことを応援してくれるファンがいるんですから」
「それは良かった。今辞めるのはもったいない。黒川はアイドルの素質があるんだからな」
「……あるでしょうか?」
「あるよ。顔が良いのは自他共に認めるところだろ? さっきも言ったが、それはすごく大事な素質だ」
「……ダンスの素質はないかもしれません」
「そんな素質、顔に比べたらたいしたことないよ。むしろ素質って概念自体がないと言ってもいい」
「素質って概念がない?」
どういう意味だろう。
「アメリカでな、多くの一流の人間に関する大規模な研究が行われたことがあるんだ。スポーツ選手や音楽家や学者が対象だな。その結果がおもしろい。先天的な素質による影響はほぼなかった。まぁスポーツ選手は身長とかの遺伝要素が重要なのは認められたが、技術面に関してはすべて後天的なものだという結果になった。音楽や学問も同じだ」
「えっと……すみません、それってどういうことですか?」
「つまり、メジャーリーガーやオリンピックの金メダリスト、ノーベル賞を獲った学者、世界的なオーケストラの奏者。それらの“特別な人間”の能力は、すべて努力によって手にしたものらしいんだ。彼ら、彼女らの誰一人として、生まれながらの天才ではなかった。生まれつき足が速いわけでもないし、賢いわけでもなく、いきなり楽器を演奏できたわけでもない」
「信じられません」
「そうか? 俺は妥当な話だと思うが」
「だって、小学校の時、スポーツならなんでもできるすごい子とか、逆になにも得意なスポーツがない子がいましたよ」
「小学生レベルのスポーツ万能なんて万能でもなんでもない。そういうのは、ただ単に他の子より成長が早いだけ。三年生の中に一人だけ五年生が混ざっていたらどうだ? 平均的な五年生レベルであっても余裕で無双するだろ?」
「……まぁそうですね」
「ある競技で天才と言われてて世界一になった選手でも、他競技に転向したら日本一すら難しいだろう。それはその競技のための努力をしなかったからだ。逆に、天才でない選手でも、努力をし続けてきたならば天才に勝つことがある。つまり、みんなが思うような“天才”なんていないってことだな」
先輩の話はたしかにそれっぽい。
でも、にわかには信じられない。
天才と言われている人たちが、実は天才ではないなんて。一般的な考え方じゃない気がする。
「努力すればみんなすごい人になれるって、そんな都合のいい話なんてあるんですか?」
「チートスキルを持って生まれてくる主人公体質……よりはよほどリアリティあると思うが?」
そう言われるとなにも言えない。
「さて、だいぶ脱線したが話を戻そうか。えっと、なんだったかな…やダンスに素質はいらないって話だったな。つまり、これからがんばれば黒川が他のメンバーに追いつくのは十分に可能ってことを俺は言いたいんだ。そして、顔だけは別。これは生まれ持った立派な才能だから、それを備えてる黒川はアイドルに向いてる」
「……はい」
「応援してくれてる人もこんなにいるしな。もしかしたら黒川は多いとは思ってないかもしれないけどな。だけど、昔のガデフラの話を知ってるか? 客よりメンバーの方が多かったイベントだってあるんだぞ」
「そんなことがあったんですか?」
「しかもその当時のメンバーの中にはすでに初瀬もいた。今じゃ大人気アイドルだが、誰にも知られていない、見てもらえていない時代があったんだ」
「白ユリさんでもそんな時期があったんですか……信じられないです。あの人は、なんかこう……最初からすごかったみたいなイメージがありました」
「初期は全然たいしたことなかったよ。でも、何度も失敗しながら成長して今の地位を築いた」
「詳しいですね、白ユリさんについて」
「中高の同級生だって話をしたろ? だからだよ」
本当にそれだけだろうか?
もうちょっとなにかつながりがあるのではないだろうか?
今思えば、先輩はアイドルとしてのあたしについて、かなり詳しかったような気がする。あたしの悪い部分について、以前から指摘してくれていた。
ラジオの時とか……現場を見てもいないのに、やけに具体的なことを言っていた気がする。
もしかして、どこかから情報をもらっていたのでは? それがどこかって考えると――白ユリさんの可能性は十分にある。
「学生時代の白ユリさんってどうでした?」
「ストイックだった。イメージを大事にして、学校でも必要以上に男子と話をしないようにして、でも決して無視もしない。話しかけられたら必ず笑顔で対応するけど、自分からは用事がない限り決して話しかけないって感じかな。話す時も字数制限を設けてる感じはあった」
「徹底してますね」
「弁当もストイックだったな。食事には常に気を遣って、栄養のバランスを考えていた。アイドルじゃなくてアスリートみたいな弁当と言われていたよ。自分を追い込んで努力するのが好きなやつだからな」
そう言う先輩は、どこか嬉しそう。
確信した……二人の間にはきっと何かある。
まだ決定的な証拠はないが、勘はほとんどクロだと言っている。
だから、これ以上先輩から初瀬さんの話を聞いてはいけない。スキャンダルになるかもしれない話を、知ってしまうのはまずい。
それに、さらに聞く必要はない。もう十分に伝わった。
すごい人は、最初からすごいわけじゃない。がんばってすごい人になったんだ。
虎はなぜ努力しなくても強いか? それは虎として生まれたから。
でも、あたしたちはみんな人間だ。すごい人とすごくない人の間にあるのは、虎と人間ほどの差ではない。努力したかしていないかの差でしかない。
だから、あたしもやらなくちゃいけないんだ。
「……先輩。あたし、アイドルになって思ったんです。みんなからちやほやされるのって楽しいな、って。最高だな、って」
「まぁそうだろうな」
「でも、まだライブのステージでキラキラ輝けてないんですよ。それは絶対に経験してみたいです」
「これからすればいい」
「はい。あたし、まだアイドルとしてやりたいこと全然やってないので、これからがんばっていこうと思います。本当のアイドルになりたいです……いえ、なります。本当の”黒ユリ”になります。そのためにもっとがんばらなきゃ」
「だが自分を追い込みすぎるなよ」
「はい。自分を追い込まずにもっとがんばる方法、さっそく思いつきました」
「どんな?」
「あたしが健康的な食事でダイエットしようとしても、パパがあたしの前でからあげ食べて邪魔するんです。それをやめさせようと思います」
「それはいい。家族の協力はどうしてもかかせないな。だが、お父さんはやめてくれるか?」
「あたしの覚悟を伝えたら、きっとわかってもらえると思います。でも、それでダメならケンカします。家を出て一人暮らしをしてもいいです。あたしに足りないのは、一人でやる努力じゃなくて、家族にもがんばってもらうようにおねがいする努力だったんです」
「うん、たぶんその道は正解じゃないかな? もしまた迷うことがあったら、いつでも相談に乗るから、なにかあったら連絡してくれ」
何か居ても立っても居られない気になっても、走りながら店を出た。
マスクもサングラスもいらない。フードもかぶらない。
これが今のあたしだ。それを恥ずかしがってるだけじゃなにも変わらない。
あたしは変わりたい。
変わるためには、今のダメなあたしを受け入れて、そこから先に進まなければいけないんだ。
走りながら昔のことを思い出す。
やる気がない中でだらだらと高校に通っていた。学校は楽しくなかった。友達はたくさんいたような気がするけれど、いつもどんな話をしていたかさっぱり思い出せない。きっと無意味な日常にふさわしい無意味な話ばかりしていたのだろう。
あたしは美人だから、モテてはいたような気がする。でも、どこにでもいるモブの一人でしかなかった。
いつの間にか学校に行かなくなって、気が付いた時には出席日数不足で留年が決まり、そのまま退学していた。学校の友達との縁はそこで切れた。
そこからだらだらと生きて、暇だからなんとなくバイトして、なんとなく貯めていた。
すべてが“なんとなく”。
生きている実感なんてなく、ただ死んでいないだけのような人生だった。
気力が沸いてきたのは、ガデフラのオーディションを受けてから。一次審査、二次審査と関門を超えるたびに自分が認められ、なにか特別な人間のような気持ちになることができた。
新メンバーになることができて、ちやほやされて、一気に毎日が充実した。
本当に楽しかった。
あの頃の”黒ユリ”は幻想だったけど、楽しかったことだけはウソじゃない。
あたしの十八年の人生を振り返ると、デビューからのこの一か月が、それ以前のすべての時間よりも意味があったように思える。
それはきっと、あたしがモブではなくなったからだ。
あたしがファンの日々に彩を与え、ファンがあたしを見てくれた。
それはやっぱり特別なことだ。
今のあたしはまだ特別な扱いをされるにふさわしい人間ではないけれど、あれを経験してしまったら、もうモブには戻れない。
覚悟を決めなければならない。
特別な人生を歩きたければ、それにふさわしい努力をしなければいけないんだ。
それはきっと楽な道ではない。
五分間のキラキラしたステージのために、何週間もかけて少しずつ積み重ねて行く地道な日々が待っているだろう。
だけど、あたしは怯んだりしない。
だって、今のあたしには目標がある。
今度こそ意味がある人生を送る。
あたしは”黒ユリ”になるんだ!




