第16話 生活改善指令☆
全体レッスンに加わって数日が過ぎた。
最初は戸惑っていたが、だんだんと慣れてきた……と思う。
周りにだんだんとついていけるようにもなってきた……とはず。
だけど、スタミナだけは追いつかない。どうして他のメンバーたちは疲れずにあんなに動けるのかわからない。
この日、レッスン後にフィジカルトレーナーに呼ばれた。
ダンスコーチはダンスの技術を教えてくれる人だが、フィジカルトレーナーは体作りについて教えてくれる人だ。ただし、毎日来るわけではないので、これまであまり会ったことはない。
年齢は四十代前半。あたしのママの少し年下くらい?
お腹の出た丈の短いTシャツを着ているが、そのお腹がすごい。腹筋がバキバキに割れている。板チョコ?
「黒川、あんたずいぶんと体力がないね」
自分でも実感していることであっても、他人から面と向かって言われると反発したくなる。
「結構ついてきたと思ってますけど」
「今の状態じゃライブでもたないよ」
「大丈夫です」
「今回のライブはそうかもね。四曲しかやらないから。でも次からはフルになるよ。単独ライブなら二十曲はやる。できるの?」
「……それまでにはできるようになります」
「ただ踊るだけじゃダメなんだよ。アイドルは踊って歌わなくちゃいけない。体力がなければ踊り疲れた後半に歌が乱れる。そうしたらどうなると思う? 一番盛り上がる後半であんたのパートは減らされるのさ」
「…………」
それはわかる。アイドルになろうと思った時、ガデフラだけでなく他のアイドルについてもいろいろ調べた。ライブ後半に音を外しまくっているアイドルはたくさんいた。
それでも盛り上がっていたから、アイドルはこの程度でいいんだと思っていた。
だけど、ガデフラはたぶんそういう人たちじゃないだろう。みんな体力がすごくある。
「なんであんたはそんなに体力ないのかね?」
「……生まれつきじゃないでしょうか。昔から持久走苦手でした」
「瞬発力は先天性の要素が強い。持久力は後天性だ。トレーニングでガンガン伸ばせる」
「そんなの聞いたことないです。それにレッスンしてるのに伸びてないです」
「だから他のところに理由があるんだろうね。睡眠時間はどれくらい?」
「……えっと、その日によって違うんですけど」
「昨日は何時に寝て、今朝は何時に起きた?」
「……三時に寝て」
「三時? 午前の?」
「はい。それで、朝の八時に起きました」
「はっ、そりゃひどい。五時間睡眠の寝不足じゃ動けなくて当然だね」
トレーナーさんが鼻で笑う。
そういう態度、イラっとする。
「寝不足じゃないです。あたし、ショートスリーパーなんです」
「昔から睡眠が短いのかい?」
「がんばってショートスリーパーになったんです。ショートスリーパーになる方法って検索するとたくさん出てきますよ」
「そんなの全部ウソだよ」
「ウソじゃないです。たくさんのインフルエンサーがショートスリーパーになったって言ってますもん」
「そいつらが本当に何時間寝てるかなんて誰もわからないだろ? 三時間しか寝てないって言いながら七時間寝てるかもしれない」
「え、それは……まぁたしかに。でも、あたしはなったんです。寝る時間減らしても元気ですし」
「寝不足だと頭が回らなくなるからねぇ。それこそ自分が寝不足だってわからないくらい」
この人、嫌い。
あたしは褒められて伸びるタイプだって言うのに、否定することばっかり言う。
「だいたいさ、そんなに遅くまで起きててなにしてんの?」
「いろいろやることあるんです」
「エゴサ?」
「……まぁ、そうですね。エゴサ以外にも最新の流行をチェックしなきゃいけないですし」
「仕事に影響出るまで睡眠時間削ってやることじゃないね」
おばさんはそう思うのかもしれないけど、若いあたしには大事なことなんだよ。
「他の子はどんな感じかね。おい、初瀬」
「はい、なんですか?」
呼ばれて白ユリさんがやってきた。
「昨日は何時に寝て、今朝は何時に起きた?」
「十二時くらいに寝て、起きたのは八時過ぎですね」
「ぐっすり寝るねぇ」
「私って寝る時間減らすとダメなんで」
「寝る前にエゴサとかする?」
「しないですね。エゴサには睡眠の質を悪くする以外の効果がないと思うので」
「流行のチェックはする?」
「こまめにチェックしてる子にこまめに聞いて、必要なら自分で触れます。その方が効率的ですし。ま、人気アイドルにとって流行とは追いかけるものじゃなくて、発信するものって感じですかね。どやっ」
茶化すように言ってるけど、言ってることは結構カッコいい。あたしが言いたかったな、それ。
でも、白ユリさんはあまり積極的にSNSを活用しないタイプなのか。
そういえば、公式アカウントは仕事のお知らせばかりだ。日常や自撮り写真を上げたことは、あたしが知る限り一度もない。
一緒に仕事をしてしばらく経ったのでわかったが、白ユリさんは過剰なほどにガードが堅い。常にあちこちに気を張っている感じだ。特にネットには対して臆病と言っていいレベルで警戒している気がする。
こういう人は、裏アカに投稿するはずの内容を本アカで投稿……なんてやらないだろうな。そもそも裏アカすら持ってないかもしれない。
だけど、気になるんだよな。なんでここまで常に警戒心が高いのか。
もしかして、知られては困ることをプライベートでしていたり? さすがに考えすぎかな。
「ま、そういうことだから、黒川ももう少し眠るように。睡眠時間増やすとはっきり自分でわかるくらい違うから」
「……はい」
と返事をしてみたが、プライベートで使える時間が減るのはイヤだな。ま、できたらやるでいいか。
「食事は? どんなもの食べてる?」
「普通ですよ」
「普通って?」
「今朝はクロワッサンとカフェオレでした」
「は?」
「え?」
トレーナーさんだけでなく、白ユリさんまで変な声を出して首を傾げた。
なにかおかしなこと言ったかな?
「クロワッサンとカフェオレですよ」
「お菓子とジュースの朝食なんてデブの食事じゃん」
「そんなことないですよ、トレーナーさん。何人ものモデルさんが毎朝そういう食事してるって知らないんですか? 白ユリさんは知ってますよね?」
「そんなの信じてるなんて黒川さんって意外とピュアなんだね」
え、なんでそんな子供を見るみたいな目であたしを見るの?
「いいか、黒川。そういうのはオシャレなイメージを演出するためのウソなんだよ。実際は朝にそんなもの食ってない。だいたいだな、クロワッサンもカフェオレも栄養なんてほとんどない。クロワッサンの原料は小麦とバターだ。カフェオレはコーヒー牛乳に砂糖を入れただけだ。つまり、さっきも言ったようにお菓子とジュースだ。炭水化物と脂肪ばかりで、タンパク質とビタミン、ミネラルが圧倒的に足りない」
「でも、おいしいし……」
「甘いものはそりゃうまいだろう。だが、そんな食事をしたら美しくはなれないぞ」
「あたし、美人です!」
「まだ若いからな。だが、そんな生活をしていたらあと何年ももたんぞ。いや、今もどうかな? 遠くからなら分からないが、近くで見ると少し肌が荒れてるようのかわかるが?」
「これくらいの肌荒れは人間なら誰でもあるじゃないですか?」
「ほう、そうかな。では初瀬、お前の手を黒川に触らせてやってくれないか?」
白ユリさんが手を差し出してくる。
ふんっ、そう違うはずないじゃない。白ユリさんだって同じ人間、ううん、あたしより二歳も年上なんだから。
「……えっ?」
なにこの肌。
すごくつるつるで張りがある。まるで赤ちゃんみたいにみずみずしい肌。
それに細いのに引き締まっていて、押したら同じ力で跳ね返してくる弾力がある。
なんなの、この人。
「違いがわかったか?」
「…………」
「言葉も出ないか」
「ではついでに私のも触らせておくか。まぁさすがに初瀬には負けるが、お前の母親と比べてみるといい」
トレーナーの腕も若々しかった。うちのママだって近所では年齢以上に若いって評判なのに。トレーナーと比べるとおばさん肌でしかない。
「ショックを受けてるということは理解したということだな」
「なんでこんなに違うんですか? そういうのも才能ですか? 年をとったら若々しくなくなったママの娘なあたしは、そういう肌にはなれませんか?」
「肌の美しさに才能や遺伝なんて関係ない。生まれたばかりで母乳しか飲んでいない赤ん坊は、みんな最高に美しい肌をしている。その後衰えていくんだ。原因は主に睡眠と食事の量と質だな。家を建てるときに、良い材料を使って建設期間も長く取った場合と、悪い材料で短期間で作った家、どっちが長持ちするかは考えるまでもないだろう?」
「はい」
「睡眠時間はとにかく長く。質も大事だが、質で量はカバーできないというのが最近の研究結果らしい。あとは食事のことだが、初瀬、お前は今朝はなにを食べた?」
「えっと……雑穀米のご飯と、豆腐とわかめのお味噌汁と、半熟卵を二個、納豆一パック、あとはサラダですね。キャベツとレタスとブロッコリーと……なんだっけ。ああ、ピーマンとにんじんですね。サラダはだいたいお皿ふたつくらいになりますね。あとはレモン水。出かけるまでに五百ミリくらい飲みました」
「レモン水に砂糖は?」
「入ってたらジュースになるじゃないですか。お仕事で飲んでくれと言われなければ飲まないですよ、ジュースなんて」
意識高いどころじゃないな、この人。
でも、アイドルなのに納豆食べるって言うし、意外と意識低いところもあるのかもしれない。
だって納豆だよ、納豆。あんなに華がないものをアイドルが食べるなんて。それでいいの?
「どうしてもっとキラキラしたものを食べようとしないんですか?」
「キラキラ? 金箔ってこと?」
「そういう意味じゃないです」
「知ってる」
白ユリさんがにやっと笑う。
あたしのことをからかって遊んでるみたいだ。
「あたしの仕事は素晴らしいパフォーマンスでファンを楽しませること。そのための体の維持に食事がある。グルメロケとかは別だけど、家での食事はショーではなくショーのための準備期間。キラキラなんかいらない。石を磨く地味な作業よ。レッスンと同じ、ね。でも、この時間こそがステージ上の私たちを輝かせてくれる」
「アイドルってもっとキラキラしたものだと思ってたのに。レッスンはキツイし、食事や寝る時間にもあれこれ言われるし、思ったより窮屈」
「それに見合うものはもらえる。ライブがうまくいけば、何千人ものお客さんから大きな拍手をもらえるわけだけど、普通の人間は一生の間に一度もそんな経験をできない」
「それは楽しそうですけど、そこまでの道が大変すぎです」
「別にいいのよ、あなたが超天才で、私たちが一生懸命やっていることを努力なしで達成できるなら、いくらでも楽してくれていいの。まぁどんな歌やダンスの天才でも努力しなきゃ二十曲を疲れずに踊るのはムリでしょうけど。そういえば、スポーツ漫画とかでも、スタミナの天才で練習なしで一切疲れないキャラって見たことないな。能力バトルに片足突っ込んでるような作風であっても、ド素人のスタミナお化けっていうのはリアリティなさすぎだからかな? でも、あなたがそんな常識を覆すような天才なら遠慮なしに努力を怠ってくれて結構よ」
「……嫌味な言い方ですね」
「あら、“大丈夫”“そのままでいいよ”って言ってほしかった? でも、残念。今のままだとあなたは大丈夫じゃないし、そのままじゃダメよ」
「……………………わかりました。食生活を変えて寝る時間を増やせばいいんですね。具体的にどうしたらいいんですか?」
こんなこと言われて黙っていられない。
そんなのあたしのプライドが許さない。
こんなの白ユリさんの挑発だってわかってるけど、だからってこれで何もしなかったらきっと鼻で笑うに違いない。
だけど、白ユリさん……カメラの前では 無垢で清楚なアイドルなのに、身内しかいない場所だと結構ズケズケ言うのね。
でも……だからこそ、今のはすごく本音っぽい。
このままだとあたしがダメっていうのも本音?
そんなことない。
絶対に見返してやる。